
週末の新日本フィル定期は、アルミンク指揮で、レンツ作曲「ミステリウムより星」、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、最後は、シューマンの交響曲第1番「春」であった。
レンツの曲は始めてであったが、綺麗な曲だなあと言った感じで、あまり印象には残らなかった。
皇帝と春については、何度も聞いているので、今回は、謂わば週末の憩いのコンサートという気持ちで楽しんできた。
皇帝については、バックハウスのレコードを何度も聞いて親しんできたよううなものである。
しかし、その後、あっちこっちで何度もコンサートで聴いているのだが、誰の演奏だったのかさえ覚えていないからいい加減なものだと反省をしている。
リヒテル、ケンプ、ブレンデル、ミケランジェリ、フランソワ、ポリーニ、アルゲリッチ、内田光子、クラーイバーン、アラウ等々、とに角、ホロヴィッツとルビンシュタイン以外は殆どの著名なピアニストのコンサートに通った筈だが、である。
もっとも、よく考えてみると、夫々の演奏家の断片なり雰囲気などは、かすかに記憶があっても、この「皇帝」に限らず、また、ピアノに限らず、曲目やオーケストラや指揮者等さえもよく覚えていない。
しかし、コンサートに行く時には、一所懸命苦心して切符を手配して、本当に楽しみにしていそいそと出かけて行ったのは間違いないのだから、コンサートそのものは楽しんだのだと思っている。
ところで、今回の「皇帝」のピアニストは、ウイーン生まれでウイーン育ちの素晴らしいピアニスト・ティル・フェルナー(Till Fellner)で、1972年生まれで、1993年にクララ・ハスキル国際コンクール優勝して国際的に認められたのであるから、まだ、若くて前途洋洋である。
フィルハーモニア・オーケストラのホームページからフェルナーの横顔を読んでいるのだが、昨年は、ドホナーニと共演し、新設のボローニアの「オーケストラ・モーツアルト」でアバドと共演し、また、カーネギーホールのデビューコンサートではニューヨーク・タイムズに年度最高の演奏の一つだと絶賛されたとある。
新日本フィルのプログラムにも引用されているが、師のブレンデルが、「知性、感受性、好奇心、美への飽くなき探求、ピアノをうらやましいほどに意のままに操り、リズムをコントロールする能力・・・これらの資質を総て備えたピアニスト」とべた褒めで、これまでの共演指揮者やオーケストラ、フェスティバルなどキャリアも凄い。
ところで、フェルナーの「皇帝」であるが、端正で、それに、ビロードのように流れるように美しく、実に温かい。豪快なタッチをセーブした柔らかさがなんとも言えず美しく、気の所為か、ウィーン・フィルの演奏会を聞いているような気がして、あのベートーヴェンがこんなに美しいピアノ協奏曲を創ったのかと、改めて感激しながら聴いていた。
ウイーンっ子のアルミンクと組んでの素晴らしいウィーンサウンドは、当然のことかも知れない。
しかし、このサウンドは、次のシューマンの「春」では消えしまっていた。
アンコールのリストの小品も美しかった。
ピアニストによっては、イスに座ってから、イスを引いたり手を合わせたり何かと威儀を正して一呼吸置くのだが、フェルナーはゆっくり座るとそのままアンコール曲を引き始めた。
この気取らないところが実に良いのだが、昔、ロンドンでネルソン・フレアがつかつかと登場して座ったかと思うと一気にピアノを弾き始めたのを思い出したが、大演奏家と云えどもスタートは難しいのかも知れない。
レンツの曲は始めてであったが、綺麗な曲だなあと言った感じで、あまり印象には残らなかった。
皇帝と春については、何度も聞いているので、今回は、謂わば週末の憩いのコンサートという気持ちで楽しんできた。
皇帝については、バックハウスのレコードを何度も聞いて親しんできたよううなものである。
しかし、その後、あっちこっちで何度もコンサートで聴いているのだが、誰の演奏だったのかさえ覚えていないからいい加減なものだと反省をしている。
リヒテル、ケンプ、ブレンデル、ミケランジェリ、フランソワ、ポリーニ、アルゲリッチ、内田光子、クラーイバーン、アラウ等々、とに角、ホロヴィッツとルビンシュタイン以外は殆どの著名なピアニストのコンサートに通った筈だが、である。
もっとも、よく考えてみると、夫々の演奏家の断片なり雰囲気などは、かすかに記憶があっても、この「皇帝」に限らず、また、ピアノに限らず、曲目やオーケストラや指揮者等さえもよく覚えていない。
しかし、コンサートに行く時には、一所懸命苦心して切符を手配して、本当に楽しみにしていそいそと出かけて行ったのは間違いないのだから、コンサートそのものは楽しんだのだと思っている。
ところで、今回の「皇帝」のピアニストは、ウイーン生まれでウイーン育ちの素晴らしいピアニスト・ティル・フェルナー(Till Fellner)で、1972年生まれで、1993年にクララ・ハスキル国際コンクール優勝して国際的に認められたのであるから、まだ、若くて前途洋洋である。
フィルハーモニア・オーケストラのホームページからフェルナーの横顔を読んでいるのだが、昨年は、ドホナーニと共演し、新設のボローニアの「オーケストラ・モーツアルト」でアバドと共演し、また、カーネギーホールのデビューコンサートではニューヨーク・タイムズに年度最高の演奏の一つだと絶賛されたとある。
新日本フィルのプログラムにも引用されているが、師のブレンデルが、「知性、感受性、好奇心、美への飽くなき探求、ピアノをうらやましいほどに意のままに操り、リズムをコントロールする能力・・・これらの資質を総て備えたピアニスト」とべた褒めで、これまでの共演指揮者やオーケストラ、フェスティバルなどキャリアも凄い。
ところで、フェルナーの「皇帝」であるが、端正で、それに、ビロードのように流れるように美しく、実に温かい。豪快なタッチをセーブした柔らかさがなんとも言えず美しく、気の所為か、ウィーン・フィルの演奏会を聞いているような気がして、あのベートーヴェンがこんなに美しいピアノ協奏曲を創ったのかと、改めて感激しながら聴いていた。
ウイーンっ子のアルミンクと組んでの素晴らしいウィーンサウンドは、当然のことかも知れない。
しかし、このサウンドは、次のシューマンの「春」では消えしまっていた。
アンコールのリストの小品も美しかった。
ピアニストによっては、イスに座ってから、イスを引いたり手を合わせたり何かと威儀を正して一呼吸置くのだが、フェルナーはゆっくり座るとそのままアンコール曲を引き始めた。
この気取らないところが実に良いのだが、昔、ロンドンでネルソン・フレアがつかつかと登場して座ったかと思うと一気にピアノを弾き始めたのを思い出したが、大演奏家と云えどもスタートは難しいのかも知れない。