今月の歌舞伎は、松本白鸚二十七回忌追善興行で、高麗屋の世界が展開されている。
白鸚が名声を博した舞台を、幸四郎が「祗園一力茶屋の場」の大星由良之助と「熊谷陣屋」を、そして、吉右衛門が、積恋雪関扉」の関守関兵衛(実は大伴黒主)を演じ、未来の高麗屋を指向して染五郎の「春興鏡獅子」の小姓弥生が華を添えている。
興味深かったのは、夜の部の「口上」で、幸四郎の進行で進められた、吉右衛門と染五郎に、雀右衛門と松禄が加わった身内の舞台であったが、NHKでも放映していたが、幸四郎が父白鸚の思い出を語っていた。
優しい父として、病院で、婚約時代に母が巡業先にバレンタイン・チョコレートを送った話を懐かしそうに何処へだったかと話していたら「松江だ」と寝ていた白鸚が声を出したので、母が娘のように喜んで嬉しい顔をしたこと。女には、特に優しかったと幸四郎は付け加えた。
我慢強かった話は、当時麻酔のなかった病院で麻酔なしに手術した父に、「大変だったでしょう」と聞いたら、「分からない」と答えたので「何が分からないのですか」と聞き返したら、「人間が何処まで痛みに耐えられるのか分からない」と答えたと言うのである。NHKでは、慶応病院と言っていたが、麻酔なしとは信じられないが、そんな時代が、破竹の勢いで経済成長街道まっしぐらに進んでいた日本にもあったのである。
私の歌舞伎鑑賞歴は、ずっと若い頃にはあるが、実質は、ロンドンのジャパンフェステイバルの時からなので、残念ながら、白鸚の舞台は観ておらず、映画とテレビの世界しか知らない。
さて、「熊谷陣屋」であるが、仁左衛門や吉右衛門の熊谷を観ているが一番機会の多いのは、この幸四郎の熊谷である。
2年前にも観ていて、その時は、幸四郎の大仰なアクションに多少違和感を感じたのだが、TVで観ていると白鸚の方が遥かにオーバー・アクションで、結局、古典としての歌舞伎の世界を、どうしても芝居の鑑賞に近い形で観ようとしている自分の方に問題があるのだろうと気付いた。
去年の吉右衛門の熊谷から少し見方を変えて見てから、大分理解が違ってきているのだが、とにかく、敦盛の最後の悲痛な逸話を皇位継承権を持った後白河法皇のご落胤と言う設定で、天下の勇将熊谷をして自分の息子を身替りにして殺害させるのであるから正に慟哭の極みの物語なのである。
平家物語では、敦盛の父に遺品や手紙を届けるなど人間熊谷直実の無常人生を語っているが、戦記物語でありながら、人情の機微が随所にあってやはり語りの文学である。
幸四郎は、60も半ば、やや体重が増したのか身体に重みが出てきて重厚さが増してきた感じで、一つ一つ噛み締めながら感情移入をコントロールし、最後の無常を噛み締めて「送り三重」の憂いを帯びた三味線の音を背にして花道を去って行く姿に一挙に凝縮して昇華させる。
客席に向かって、「十六年はひと昔・・・夢だ、アァ」。右手を宙にかざしてうなだれた頭におろして慟哭し、顔を両手で覆う。波乱万丈の人生が一挙に総決算されて裸の人間に戻った人間熊谷の生き様を、幸四郎はこの最後の台詞に万感の思いを込めて演じ切る。
この熊谷陣屋で、実に悲運の限りを魅せるのが、熊谷の奥方相模だが、運命の悪戯とは言え、討たれたと思って慰めていた敦盛の母・藤の方(魁春)と一瞬にして運命が逆転して、熊谷が示した首がわが子と知って動転して仰け反り軒下に転げ落ちる。小次郎の首を抱きしめながら旧主の役に立ったのは何かの因縁と咽び泣きながらかき口説く姿は、正に断腸の悲痛。人間国宝芝翫の至芸は正に感動的で、過去2回とも幸四郎熊谷の相手を務めており、涙を誘う。
文楽では、動転してのたうつ相模を熊谷が髪を引っ掴んで軒下に蹴落とすが、芝翫は、身体全体で悲痛の限りを訴える。
幸四郎の前回の舞台で、変わった主なキャストは、義経が團十郎から梅玉に、堤軍次が高麗蔵から松禄へと交代したが、弥陀六も段四郎そのままで、雰囲気はそのままの感じの熊谷陣屋であった。
梅玉の義経には華があり、魁春の藤の方には品と格調があり、弥陀禄の段四郎には老いの一徹と忠義が光っており、脇役陣も実に素晴らしい。
ところで、最後の染五郎の「春興鏡獅子」の弥生と獅子の精だが、非常に美しい舞台であった。
幸四郎が、口上で、晩年の松禄から、「高麗屋にも、弥生を踊れる役者が生まれたのだなあ」と言われたとかで、将来の高麗屋を見て欲しいと言って特に披露していた。
私が始めて染五郎の赤姫姿を観たのは、もう、17~8年前のロンドンでの歌舞伎「ハムレット」のオフェリアだが、イギリス人も典型的な日本女性だと思っていた。
幸四郎も、ミュージカルに、芝居に、シェイクスピアに、・・・と歌舞伎以外にも極めて多芸だが、染五郎は、歌舞伎では素晴らしい女形も演じれるので、将来は、その上を行くであろう。
ところで、この「春興鏡獅子」を始めて観たのもロンドンで、勘三郎であった。胡蝶の精は可愛かった貫太郎と七之助が演じていた。
これまで、ずっと観続けてきたのは勘三郎の弥生であるが、実に素晴らしい勘三郎の世界で、その優雅で熟成した芳醇な赤ワインのような踊りと舞台の雰囲気がたまらないが、若くて両刀使いの染五郎がどのような成長を遂げて行くのか楽しみである。
白鸚が名声を博した舞台を、幸四郎が「祗園一力茶屋の場」の大星由良之助と「熊谷陣屋」を、そして、吉右衛門が、積恋雪関扉」の関守関兵衛(実は大伴黒主)を演じ、未来の高麗屋を指向して染五郎の「春興鏡獅子」の小姓弥生が華を添えている。
興味深かったのは、夜の部の「口上」で、幸四郎の進行で進められた、吉右衛門と染五郎に、雀右衛門と松禄が加わった身内の舞台であったが、NHKでも放映していたが、幸四郎が父白鸚の思い出を語っていた。
優しい父として、病院で、婚約時代に母が巡業先にバレンタイン・チョコレートを送った話を懐かしそうに何処へだったかと話していたら「松江だ」と寝ていた白鸚が声を出したので、母が娘のように喜んで嬉しい顔をしたこと。女には、特に優しかったと幸四郎は付け加えた。
我慢強かった話は、当時麻酔のなかった病院で麻酔なしに手術した父に、「大変だったでしょう」と聞いたら、「分からない」と答えたので「何が分からないのですか」と聞き返したら、「人間が何処まで痛みに耐えられるのか分からない」と答えたと言うのである。NHKでは、慶応病院と言っていたが、麻酔なしとは信じられないが、そんな時代が、破竹の勢いで経済成長街道まっしぐらに進んでいた日本にもあったのである。
私の歌舞伎鑑賞歴は、ずっと若い頃にはあるが、実質は、ロンドンのジャパンフェステイバルの時からなので、残念ながら、白鸚の舞台は観ておらず、映画とテレビの世界しか知らない。
さて、「熊谷陣屋」であるが、仁左衛門や吉右衛門の熊谷を観ているが一番機会の多いのは、この幸四郎の熊谷である。
2年前にも観ていて、その時は、幸四郎の大仰なアクションに多少違和感を感じたのだが、TVで観ていると白鸚の方が遥かにオーバー・アクションで、結局、古典としての歌舞伎の世界を、どうしても芝居の鑑賞に近い形で観ようとしている自分の方に問題があるのだろうと気付いた。
去年の吉右衛門の熊谷から少し見方を変えて見てから、大分理解が違ってきているのだが、とにかく、敦盛の最後の悲痛な逸話を皇位継承権を持った後白河法皇のご落胤と言う設定で、天下の勇将熊谷をして自分の息子を身替りにして殺害させるのであるから正に慟哭の極みの物語なのである。
平家物語では、敦盛の父に遺品や手紙を届けるなど人間熊谷直実の無常人生を語っているが、戦記物語でありながら、人情の機微が随所にあってやはり語りの文学である。
幸四郎は、60も半ば、やや体重が増したのか身体に重みが出てきて重厚さが増してきた感じで、一つ一つ噛み締めながら感情移入をコントロールし、最後の無常を噛み締めて「送り三重」の憂いを帯びた三味線の音を背にして花道を去って行く姿に一挙に凝縮して昇華させる。
客席に向かって、「十六年はひと昔・・・夢だ、アァ」。右手を宙にかざしてうなだれた頭におろして慟哭し、顔を両手で覆う。波乱万丈の人生が一挙に総決算されて裸の人間に戻った人間熊谷の生き様を、幸四郎はこの最後の台詞に万感の思いを込めて演じ切る。
この熊谷陣屋で、実に悲運の限りを魅せるのが、熊谷の奥方相模だが、運命の悪戯とは言え、討たれたと思って慰めていた敦盛の母・藤の方(魁春)と一瞬にして運命が逆転して、熊谷が示した首がわが子と知って動転して仰け反り軒下に転げ落ちる。小次郎の首を抱きしめながら旧主の役に立ったのは何かの因縁と咽び泣きながらかき口説く姿は、正に断腸の悲痛。人間国宝芝翫の至芸は正に感動的で、過去2回とも幸四郎熊谷の相手を務めており、涙を誘う。
文楽では、動転してのたうつ相模を熊谷が髪を引っ掴んで軒下に蹴落とすが、芝翫は、身体全体で悲痛の限りを訴える。
幸四郎の前回の舞台で、変わった主なキャストは、義経が團十郎から梅玉に、堤軍次が高麗蔵から松禄へと交代したが、弥陀六も段四郎そのままで、雰囲気はそのままの感じの熊谷陣屋であった。
梅玉の義経には華があり、魁春の藤の方には品と格調があり、弥陀禄の段四郎には老いの一徹と忠義が光っており、脇役陣も実に素晴らしい。
ところで、最後の染五郎の「春興鏡獅子」の弥生と獅子の精だが、非常に美しい舞台であった。
幸四郎が、口上で、晩年の松禄から、「高麗屋にも、弥生を踊れる役者が生まれたのだなあ」と言われたとかで、将来の高麗屋を見て欲しいと言って特に披露していた。
私が始めて染五郎の赤姫姿を観たのは、もう、17~8年前のロンドンでの歌舞伎「ハムレット」のオフェリアだが、イギリス人も典型的な日本女性だと思っていた。
幸四郎も、ミュージカルに、芝居に、シェイクスピアに、・・・と歌舞伎以外にも極めて多芸だが、染五郎は、歌舞伎では素晴らしい女形も演じれるので、将来は、その上を行くであろう。
ところで、この「春興鏡獅子」を始めて観たのもロンドンで、勘三郎であった。胡蝶の精は可愛かった貫太郎と七之助が演じていた。
これまで、ずっと観続けてきたのは勘三郎の弥生であるが、実に素晴らしい勘三郎の世界で、その優雅で熟成した芳醇な赤ワインのような踊りと舞台の雰囲気がたまらないが、若くて両刀使いの染五郎がどのような成長を遂げて行くのか楽しみである。