明るい良く晴れたニューヨークだが、マイナス5度とかで、入国早々の身には寒さが肌をさすが、アベリー・フィッシャー・ホールのロビーは、マチネーのニューヨーク・フィル・コンサート客でごった返している。
リッカルド・ムーティの指揮は、このシーズン3回予定されていて、今回はその第二回目の4コンサートの最終日である。
チケットは最高でも1万円程度だから、東京のオーケストラと殆ど同じ水準であり、色々な種類の定期会員用のシーズン券が売り出されていて、パンフレットもこの方が遥かに豪華である。
定期会員でチケットは相当数売れているようだが、SOLD OUTのコンサートは少なく、私が持っていたフィラデルフィアやコンセルトヘボウのように取得の難しいオーケストラと違って、ロンドンなどと同じで、大体、当日券が買えるようである。
ニューヨーク・フィルを最初に聴いたのは、レナード・バーンスティンが万博で来日したのが最初で、その後、このニューヨークでズービン・メータやロリン・マゼールなどの指揮で何度か、それに、ロンドンでクルト・マズアの指揮で一度と実演はあまり多くはないが、やはり、ダイナミックで華麗なバーンスティンのレコードで聴いた印象の方が強い。
このアベリー・フィッシャー・ホールは音響が悪いと言うので一度改装されてはいるが、何故か、今でもあまり良いとは思えないし、今回も、ルプーのメリハリの利いた華麗なピアノの音色も美しさに欠けて何となく冴えなかった。
ウィーンのムジーク・フェラインザールは知らないが、同じく最高だと言われているアムステルダムのコンセルトヘボウは確かに素晴らしいコンサート・ホールで、平べったい矩形の平土間の非常にシンプルなホールの方が凝ったホールよりも音響的に良いのかも知れない。
私はラド・ルプーのピアノに期待していた。アムステルダムのコンセルトヘボウでも、ロンドン交響楽団でも素晴らしいピアノ協奏曲の演奏会を聴いて感激していた。
30年以上も前に、ザルツブルグ音楽祭で、カラヤン指揮ウィーン・フィルでデビューを果たし、10年後に、ムーティ指揮ベルリン・フィルでオープニングを飾るなど、非常に人気の高いルーマニア生まれのピアニストだが、年をとった所為か豊かな髭にも風格が出てきて、哲学者のような雰囲気で、ピアノ協奏曲の女王と言われるこのシューマンのピアノ協奏曲を実に華麗に、そして、精緻でありながらダイナミックに美しく奏でていた。
ブラームスが密かに愛していた愛妻クララ・シューマンのために書き、初演して感激したと言うこの協奏曲は、ロマンティックで実に美しい。
残念ながら、前回のランランのチャイコフスキーの時と同じで、無粋な観客が居て楽章の終わりで盛大な拍手をやり、ムーティは苦笑していたが、雰囲気を壊してしまった。
おのぼりさんの多いニューヨークでは、観光目当てなので良くあることらしい。
ブルックナーの交響曲第6番は、作曲に時間を要したようであるが、ブルックナーにしては比較的短くて美しい曲で、私自身、聴いたのは初めてかも知れない。
最近、少しづつブルックナーを聴く機会が出てきたが、何番がどのような曲だったのか、正直な所良く分からないのだが、昔のように耳慣れない曲でもぶっつけ本番で12分に楽しめるようになってきたのは成長かも知れない。
イタリア人のムーティが、アメリカの典型的なオーケストラからどのようなブルックナー・サウンドを引き出すのか興味があったが、やはり、ニューヨーク・フィルの金管は素晴らしい演奏をする。
ムーティは、ブルックナーの第4番の録音を出しているようだが、あの端正な指揮姿で、どこかくすんだ重厚なサウンドを聴かせてくれて満足であった。
しかし、偏見かも知れないが、モーツアルトの素晴らしさには感じ入っているが、もう少し重厚で暗いトーンのドイツ音楽はどうであろうかと思って聴いていた。
ゲーテが、ブレンナー峠を越えて見た、陽光燦然と輝く南の国イタリアの風土に感激したように、その逆の思いもあるような気がするのである。
私が聴いたムーティの実演は、若い頃のフィラデルフィア管弦楽団、ロンドンでのウィーン・フィルのコンサートと、日本でのスカラ座公演の「オテロ」だけだが、世界各地からあれほど沢山の勲章や名誉を受けている指揮者だから、イタリアオリジンを超越しているのかも知れない。
ところで、今、ニューヨーク・フィルの話題は、来月からの台湾と中国ツアーで、特に巨大都市上海でのデビューと、北京の新しい卵形の未来を象徴するような芸術劇場でのコンサートが注目されているらしい。
それに、26日に北朝鮮のピョンヤンでのコンサートは、国際放送されるとニューヨークタイムズが報じていた。
両国国歌の吹奏の後、ワーグナー「ローエングリン」第3幕序曲、ドボルザーク交響曲第8番「新世界より」、ガーシュイン「パリのアメリカ人」を、音楽監督ロリン・マゼールが指揮すると言う。
もう30年以上も前に、フィラデルフィア・オーケストラの楽屋で、ユージン・オーマンディに、中国から持ち帰ったピアノ協奏曲「黄河」を聴いた後に、フィラデルフィア管の中国ツアーの話を聞いたのを思い出した。
世界は、どんどん動いているのである。
リッカルド・ムーティの指揮は、このシーズン3回予定されていて、今回はその第二回目の4コンサートの最終日である。
チケットは最高でも1万円程度だから、東京のオーケストラと殆ど同じ水準であり、色々な種類の定期会員用のシーズン券が売り出されていて、パンフレットもこの方が遥かに豪華である。
定期会員でチケットは相当数売れているようだが、SOLD OUTのコンサートは少なく、私が持っていたフィラデルフィアやコンセルトヘボウのように取得の難しいオーケストラと違って、ロンドンなどと同じで、大体、当日券が買えるようである。
ニューヨーク・フィルを最初に聴いたのは、レナード・バーンスティンが万博で来日したのが最初で、その後、このニューヨークでズービン・メータやロリン・マゼールなどの指揮で何度か、それに、ロンドンでクルト・マズアの指揮で一度と実演はあまり多くはないが、やはり、ダイナミックで華麗なバーンスティンのレコードで聴いた印象の方が強い。
このアベリー・フィッシャー・ホールは音響が悪いと言うので一度改装されてはいるが、何故か、今でもあまり良いとは思えないし、今回も、ルプーのメリハリの利いた華麗なピアノの音色も美しさに欠けて何となく冴えなかった。
ウィーンのムジーク・フェラインザールは知らないが、同じく最高だと言われているアムステルダムのコンセルトヘボウは確かに素晴らしいコンサート・ホールで、平べったい矩形の平土間の非常にシンプルなホールの方が凝ったホールよりも音響的に良いのかも知れない。
私はラド・ルプーのピアノに期待していた。アムステルダムのコンセルトヘボウでも、ロンドン交響楽団でも素晴らしいピアノ協奏曲の演奏会を聴いて感激していた。
30年以上も前に、ザルツブルグ音楽祭で、カラヤン指揮ウィーン・フィルでデビューを果たし、10年後に、ムーティ指揮ベルリン・フィルでオープニングを飾るなど、非常に人気の高いルーマニア生まれのピアニストだが、年をとった所為か豊かな髭にも風格が出てきて、哲学者のような雰囲気で、ピアノ協奏曲の女王と言われるこのシューマンのピアノ協奏曲を実に華麗に、そして、精緻でありながらダイナミックに美しく奏でていた。
ブラームスが密かに愛していた愛妻クララ・シューマンのために書き、初演して感激したと言うこの協奏曲は、ロマンティックで実に美しい。
残念ながら、前回のランランのチャイコフスキーの時と同じで、無粋な観客が居て楽章の終わりで盛大な拍手をやり、ムーティは苦笑していたが、雰囲気を壊してしまった。
おのぼりさんの多いニューヨークでは、観光目当てなので良くあることらしい。
ブルックナーの交響曲第6番は、作曲に時間を要したようであるが、ブルックナーにしては比較的短くて美しい曲で、私自身、聴いたのは初めてかも知れない。
最近、少しづつブルックナーを聴く機会が出てきたが、何番がどのような曲だったのか、正直な所良く分からないのだが、昔のように耳慣れない曲でもぶっつけ本番で12分に楽しめるようになってきたのは成長かも知れない。
イタリア人のムーティが、アメリカの典型的なオーケストラからどのようなブルックナー・サウンドを引き出すのか興味があったが、やはり、ニューヨーク・フィルの金管は素晴らしい演奏をする。
ムーティは、ブルックナーの第4番の録音を出しているようだが、あの端正な指揮姿で、どこかくすんだ重厚なサウンドを聴かせてくれて満足であった。
しかし、偏見かも知れないが、モーツアルトの素晴らしさには感じ入っているが、もう少し重厚で暗いトーンのドイツ音楽はどうであろうかと思って聴いていた。
ゲーテが、ブレンナー峠を越えて見た、陽光燦然と輝く南の国イタリアの風土に感激したように、その逆の思いもあるような気がするのである。
私が聴いたムーティの実演は、若い頃のフィラデルフィア管弦楽団、ロンドンでのウィーン・フィルのコンサートと、日本でのスカラ座公演の「オテロ」だけだが、世界各地からあれほど沢山の勲章や名誉を受けている指揮者だから、イタリアオリジンを超越しているのかも知れない。
ところで、今、ニューヨーク・フィルの話題は、来月からの台湾と中国ツアーで、特に巨大都市上海でのデビューと、北京の新しい卵形の未来を象徴するような芸術劇場でのコンサートが注目されているらしい。
それに、26日に北朝鮮のピョンヤンでのコンサートは、国際放送されるとニューヨークタイムズが報じていた。
両国国歌の吹奏の後、ワーグナー「ローエングリン」第3幕序曲、ドボルザーク交響曲第8番「新世界より」、ガーシュイン「パリのアメリカ人」を、音楽監督ロリン・マゼールが指揮すると言う。
もう30年以上も前に、フィラデルフィア・オーケストラの楽屋で、ユージン・オーマンディに、中国から持ち帰ったピアノ協奏曲「黄河」を聴いた後に、フィラデルフィア管の中国ツアーの話を聞いたのを思い出した。
世界は、どんどん動いているのである。