今回のMET鑑賞で最も期待していたのは、プッチーニの「マノン・レスコー」であった。
昔、サンパウロで一度見ただけで、長い間機会がなかったのだが、今度は、今を時めく名ソプラノ・カリタ・マッティラがマノンを歌う。
マッティラは、もっと若かった頃の舞台を何度かロイヤル・オペラで観ており、「魔笛」のパミーナの初々しい姿など、今でも覚えているが、その後、ロンドンに行った時には、ワーグナー「ローエングリン」のエルザの素晴らしい舞台に接して、大ソプラノとしてのスターダムを登りつつあるのに感激した。
長い間前のMETの総支配人であったジョセフ・ヴォルピーが、「史上最強のオペラ」で、最も魅惑的な舞台人間だったソプラノ歌手が二人居るのだがと言って、テラサ・ストラタスとともに、マッティラの名前をあげて、「サロメ」どの逸話などを語っている。
決して美人ではないので損をしているが、演技力としても抜群で、モーツアルトも歌いワーグナーも歌え、これほど天性としてのオペラ歌手としての素質を備えた歌手は稀有だと思っている。
マッティラは、シベリウス音楽院で、歌のみならず演技やダンス、バレーなども学んだと言っているが、オペラは紛れも無く総合芸術で、観客を魅せなければならない。容姿もそうだろうが、演技の重要性を熟知している。
マノンはどう言う性格の女性かと聞かれて、演ずる前に詳しくは語りたくないがと言って、あの当時(18世紀のフランス)の貧しい若い女性の生活と悲運を題材にした話だと言っている。
マッティラは、悪女マノンのイメージではなく、貧しい乙女が思いのままに生きようとして運命に翻弄される姿を演じようとしたのである。
初々しい乙女、成り上がりの淑女、恋に目覚めた女、生きようと必死になる女、運命を悟った女。カリタ・マッティラは、変わり行く女性の変容を実に豊かに抑揚をつけながら演じ切り、ソプラノがこれほどもまでに語る音楽なのかを教えてくれて感動であった。
この話は、プレボーの小説(1731年刊)が元になっており、マスネーのオペラ「マノン」やバレーにも展開されているが、マノンは不実な悪女の典型のように言われ、その魅力に取り付かれた青年デ・グリューの激しい情熱と社会的破壊を描いた話だとされている。
若い女性マノンが、デ・グリューの情熱にほだされて恋におち駆け落ちするが、貧しさに耐え切れず分かれて大蔵大臣ジェロンテの妾になる。
しかし、その生活にも飽き足らず憂鬱を囲っている所に、デ・グリューが来て口説き落とすので、宝石や身の回り品を掻き集めて逃げようとする所にジェロンテが帰って来て逮捕される。
マノンは、船に乗せられてアメリカ送りとなるが、堪りかねたデ・グリューが一緒に乗船を願い出て、最後には新世界の荒野に果てると言う悲劇である。
オペラの方だが、期待に違わず、デズモンド・ヒーリーの華麗なセットと衣装による素晴らしい舞台をバックに、ジェイムス・レヴァインの紡ぎだすプッチーニ節は正に絶好調で、強烈な黄金のトランペットのような張りのある美しいテノール・マルチェロ・ジョルダーニのデ・グリューとの激しい恋の交歓に、カリタ・マッティラの魅力全開の夢のようなオペラが展開された。
デ・グリューのジョルダーニは、私は始めて聴いたが、シシリーの牢看守の息子として生まれ、スポレットでリゴレットのマントヴァ公爵でデビューしてミラノを経てニューヨークに移った。
ジェイムス・レヴァインのお気に入りの歌手でアンソニー・ミンゲラから芸を仕込まれた、非常にレパートリーの広い多芸なテノールで、METではビリャゾンやリチャトリと双璧のイタリア・オペラ歌いでもあり、アメリカの最高裁でリサイタルをした逸話もある。
フランスモノは勿論チャイコフスキーも歌うが、ワーグナーの「ローエングリン」や「マイスタージンガー」、マーラーの「大地の歌」にも挑戦すると言うが、ドミンゴを凌駕する勢いである。
今は、スピントのレパートリーを備えたリリック・テノールだが、ベル・カントも大切にしたいと言う。晩年に20代の若さの声を保ったパバロッティに教えられたと言って、ヘビーなレパートリーを歌った後には、愛の妙薬やルチアのような軽い歌を歌いたいと言う。
METへは、「ラ・ボエーム」でデビューを果たしたが、マスネーの「マノン」で、デ・グリューを歌った後に、会ったこともなかったレヴァインが楽屋に来て「非常に舞台に感激した。近くお会いしよう。」と言ったと言うが、これが正に転機となってMETの押しも押されもしない常連となった。
一寸異質だが、若かりし頃の絶頂期のドミンゴを聴いているような張りと輝きのある素晴らしいテノールで、ディーヴァ・カリタ・マッティラのマノンと正に丁々発止の圧倒的な舞台を展開、最後に流れ着いた新世界の荒涼たる砂漠の場まで息もつかせぬ熱演であった。
レヴァインの指揮については、言うまでもなく熱演で、舞台を平行しながら時々タクト姿を傍観していた。
ジェロンテのディル・トラヴィスの好色な大臣の狡猾さ、どっちつかずのマノンの兄レスコーのドゥィン・クロフトなど脇役もしっかりしていたが、METデビューと言うエドモンド役のシーン・パニッカーが好演であった。
何れにしろ、このオペラは、カリタ・マッティラとマルチェロ・ジョルダーニの卓越したオペラ歌手あってのマノン・レスコーであった。
(追記)METから16日土曜日のライブ録画を世界に放映するとMETライブ・ビューイングの案内メールが入った。ニューヨーク・タイムズが、マッテラのロマンチック悲劇での聴衆の心を釘付けにするパーフォーマンスは圧倒的でこの20年くらいはMETで観たことがないほどだと報道したと言う。 (2月15日)
昔、サンパウロで一度見ただけで、長い間機会がなかったのだが、今度は、今を時めく名ソプラノ・カリタ・マッティラがマノンを歌う。
マッティラは、もっと若かった頃の舞台を何度かロイヤル・オペラで観ており、「魔笛」のパミーナの初々しい姿など、今でも覚えているが、その後、ロンドンに行った時には、ワーグナー「ローエングリン」のエルザの素晴らしい舞台に接して、大ソプラノとしてのスターダムを登りつつあるのに感激した。
長い間前のMETの総支配人であったジョセフ・ヴォルピーが、「史上最強のオペラ」で、最も魅惑的な舞台人間だったソプラノ歌手が二人居るのだがと言って、テラサ・ストラタスとともに、マッティラの名前をあげて、「サロメ」どの逸話などを語っている。
決して美人ではないので損をしているが、演技力としても抜群で、モーツアルトも歌いワーグナーも歌え、これほど天性としてのオペラ歌手としての素質を備えた歌手は稀有だと思っている。
マッティラは、シベリウス音楽院で、歌のみならず演技やダンス、バレーなども学んだと言っているが、オペラは紛れも無く総合芸術で、観客を魅せなければならない。容姿もそうだろうが、演技の重要性を熟知している。
マノンはどう言う性格の女性かと聞かれて、演ずる前に詳しくは語りたくないがと言って、あの当時(18世紀のフランス)の貧しい若い女性の生活と悲運を題材にした話だと言っている。
マッティラは、悪女マノンのイメージではなく、貧しい乙女が思いのままに生きようとして運命に翻弄される姿を演じようとしたのである。
初々しい乙女、成り上がりの淑女、恋に目覚めた女、生きようと必死になる女、運命を悟った女。カリタ・マッティラは、変わり行く女性の変容を実に豊かに抑揚をつけながら演じ切り、ソプラノがこれほどもまでに語る音楽なのかを教えてくれて感動であった。
この話は、プレボーの小説(1731年刊)が元になっており、マスネーのオペラ「マノン」やバレーにも展開されているが、マノンは不実な悪女の典型のように言われ、その魅力に取り付かれた青年デ・グリューの激しい情熱と社会的破壊を描いた話だとされている。
若い女性マノンが、デ・グリューの情熱にほだされて恋におち駆け落ちするが、貧しさに耐え切れず分かれて大蔵大臣ジェロンテの妾になる。
しかし、その生活にも飽き足らず憂鬱を囲っている所に、デ・グリューが来て口説き落とすので、宝石や身の回り品を掻き集めて逃げようとする所にジェロンテが帰って来て逮捕される。
マノンは、船に乗せられてアメリカ送りとなるが、堪りかねたデ・グリューが一緒に乗船を願い出て、最後には新世界の荒野に果てると言う悲劇である。
オペラの方だが、期待に違わず、デズモンド・ヒーリーの華麗なセットと衣装による素晴らしい舞台をバックに、ジェイムス・レヴァインの紡ぎだすプッチーニ節は正に絶好調で、強烈な黄金のトランペットのような張りのある美しいテノール・マルチェロ・ジョルダーニのデ・グリューとの激しい恋の交歓に、カリタ・マッティラの魅力全開の夢のようなオペラが展開された。
デ・グリューのジョルダーニは、私は始めて聴いたが、シシリーの牢看守の息子として生まれ、スポレットでリゴレットのマントヴァ公爵でデビューしてミラノを経てニューヨークに移った。
ジェイムス・レヴァインのお気に入りの歌手でアンソニー・ミンゲラから芸を仕込まれた、非常にレパートリーの広い多芸なテノールで、METではビリャゾンやリチャトリと双璧のイタリア・オペラ歌いでもあり、アメリカの最高裁でリサイタルをした逸話もある。
フランスモノは勿論チャイコフスキーも歌うが、ワーグナーの「ローエングリン」や「マイスタージンガー」、マーラーの「大地の歌」にも挑戦すると言うが、ドミンゴを凌駕する勢いである。
今は、スピントのレパートリーを備えたリリック・テノールだが、ベル・カントも大切にしたいと言う。晩年に20代の若さの声を保ったパバロッティに教えられたと言って、ヘビーなレパートリーを歌った後には、愛の妙薬やルチアのような軽い歌を歌いたいと言う。
METへは、「ラ・ボエーム」でデビューを果たしたが、マスネーの「マノン」で、デ・グリューを歌った後に、会ったこともなかったレヴァインが楽屋に来て「非常に舞台に感激した。近くお会いしよう。」と言ったと言うが、これが正に転機となってMETの押しも押されもしない常連となった。
一寸異質だが、若かりし頃の絶頂期のドミンゴを聴いているような張りと輝きのある素晴らしいテノールで、ディーヴァ・カリタ・マッティラのマノンと正に丁々発止の圧倒的な舞台を展開、最後に流れ着いた新世界の荒涼たる砂漠の場まで息もつかせぬ熱演であった。
レヴァインの指揮については、言うまでもなく熱演で、舞台を平行しながら時々タクト姿を傍観していた。
ジェロンテのディル・トラヴィスの好色な大臣の狡猾さ、どっちつかずのマノンの兄レスコーのドゥィン・クロフトなど脇役もしっかりしていたが、METデビューと言うエドモンド役のシーン・パニッカーが好演であった。
何れにしろ、このオペラは、カリタ・マッティラとマルチェロ・ジョルダーニの卓越したオペラ歌手あってのマノン・レスコーであった。
(追記)METから16日土曜日のライブ録画を世界に放映するとMETライブ・ビューイングの案内メールが入った。ニューヨーク・タイムズが、マッテラのロマンチック悲劇での聴衆の心を釘付けにするパーフォーマンスは圧倒的でこの20年くらいはMETで観たことがないほどだと報道したと言う。 (2月15日)