メトロポリタン美術館の少し南側のセントラル・パークに面して、個人的な美術館だが、素晴らしい作品を擁したフリック・コレクションがある。
これまで何時も、メトロポリタンで時間を取りすぎて行く機会がなく、今回、どうしても3点あるフェルメールを見たくて、初めて出かけた。
この口絵の「士官と笑う娘」、「音楽の手を休める少女」「女主人とメイド」である。
最後の絵は、大きなギャラリーで他の画家達の絵と展示されているが、前2点の絵は、玄関を入って直ぐの2階へ上がる階段のある南ホールの壁面に無造作に架けてあるので、最初は見過ごしてしまったほど小さな作品である。
私が、始めて見てフェルメールに惚れ込んだのは、1973年にアムステルダムの国立美術館で、「牛乳を注ぐ女」を見た時である。最近、日本で展示された絵だ。
それから、直ぐに、デン・ハーグに出かけて、マウリッツハイス美術館に行って、映画にもなった「ターバンを巻いた少女(真珠の耳飾りの少女)」や「デルフトの眺望」を鑑賞した。本国オランダにも、フェルメールの絵は殆ど残っていない。
しかし、その頃は、オランダの画家と言えば、レンブラントとゴッホ、それに、モンドリアンと言ったところが人気者で、まだ、それほどフェルメールは知られておらず、日本からの客人に、素晴らしい画家だと言ってこの絵に注目するように言っても怪訝な顔をしていた。
もっとも、フェルメールの絵は非常に小さくて、35点くらいしか残っていないので、世界的な美術館か、個人所蔵に接しなきい限り、見る機会が少ないことにもよる。
後で出かけた、メトロポリタン博物館にも、フェルメールの素晴らしい絵が5点ある。
これに、ワシントン美術館の作品を加えれば、フェルメールの残っている作品の3分の1を見たことになる。
さて、フリックの3点のフェルメールだが、この「士官と笑う娘」が一番印象に残っている。
フェルメールは、カメラ・オブスクーラを使って絵を描いていたので、ピンホールカメラの雰囲気で、どちらかと言えば、多少ぼやけた感じの平面的な色彩の絵が多いのだが、この絵に限って、笑う娘の表情を細密画のように非常に克明に描いている。
ワイングラスを握りながら、明るく笑っている少女の表情が実に幸せそうで、生活の息吹がそのまま伝わってくるような感じで清々しい。
フェルメールの住んでいたデルフトには、今でもこのような古い家が沢山残っていて、窓も土間も窓際の机も、そのままの雰囲気である。
フェルメールの絵は、殆ど、左側に窓があって、そこから自然光を取り入れて手紙を読んだり、語らったり、オランダ人の日常の生活を描いている絵が多いが、ある意味では、レンブラントとは違った意味で光の魔術師であったのかも知れない。
太陽の照る明るい光の少ない、どちらかと言えば、どんよりとしたリア王の世界のようなオランダでこそ、レンブラントやフェルメールが生まれたのかも知れないと思っている。
もう一つの、「婦人とメイド」は、机に向かって右手に座った女主人に正面からメイドが手紙を差し出している絵で、これには、左手には窓もなくバックは真っ黒に塗り潰されている。
この婦人の着ている黄色の上着は、ワシントンの「手紙を書く女」やベルリンの「真珠の首飾りの女」やメトロポリタンの「リュートを調弦する女」にも使われており、モデルだったのかフェルメールが黄色を好んだのか面白い。
何れにしろ、この窓辺は、恐らく街路に面した2階の居間なのであろうが、色々なプライベートな生活が展開されていて、オランダ人の息遣いがむんむんしていたのであろうと思うと非常に興味深い。
オランダ人は、治安に問題のない少し前までは、夜でもカーテンなどなくて、外から中が丸見えの生活を送っていたのだから、国が違えば生活の違いも様々で面白い。
フラゴナールの「恋の成り行き」を描いた連作11枚の大きな絵を壁面全体に貼り付けたフラゴナールの部屋は実に素晴らしくて壮観である。
ルイ15世の頃に、王宮の庭などで恋に戯れる若い恋人達や男女の群像を華麗に描いたフラゴナールの絵は装飾画として好まれたようで、フリックも好きであったのであろうか、同じ系統のブーシェの間にもブーシェの華麗な絵が壁一面に飾られている。
良く歴史書で見るのは、「ユートピア」で有名なイギリスの偉大な人文学者ハンス・ホルバインの「トマス・モア卿」で、素晴らしく風格のある絵で克明だが写真より遥かに美しい。
ミッシュランのグリーン・ガイドには、レンブラントの「自画像」、アングルの「ドーソンヴィル夫人」、フラゴナールの「恋の成り行き」、ジョバンニ・ベリーニの「砂漠の聖フランチェスコ」を見過ごすなと書いてある。
何れも画集や美術書で御馴染みだが、この美術館は本当にこじんまりとした資産家の館を転用しているので、身近にじっくりと鑑賞出来るのが良い。
彫刻にも立派な作品が多くて、あっちこっちに飾られている。
難は、他の美術館のようには写真を撮らせないところである。
これまで何時も、メトロポリタンで時間を取りすぎて行く機会がなく、今回、どうしても3点あるフェルメールを見たくて、初めて出かけた。
この口絵の「士官と笑う娘」、「音楽の手を休める少女」「女主人とメイド」である。
最後の絵は、大きなギャラリーで他の画家達の絵と展示されているが、前2点の絵は、玄関を入って直ぐの2階へ上がる階段のある南ホールの壁面に無造作に架けてあるので、最初は見過ごしてしまったほど小さな作品である。
私が、始めて見てフェルメールに惚れ込んだのは、1973年にアムステルダムの国立美術館で、「牛乳を注ぐ女」を見た時である。最近、日本で展示された絵だ。
それから、直ぐに、デン・ハーグに出かけて、マウリッツハイス美術館に行って、映画にもなった「ターバンを巻いた少女(真珠の耳飾りの少女)」や「デルフトの眺望」を鑑賞した。本国オランダにも、フェルメールの絵は殆ど残っていない。
しかし、その頃は、オランダの画家と言えば、レンブラントとゴッホ、それに、モンドリアンと言ったところが人気者で、まだ、それほどフェルメールは知られておらず、日本からの客人に、素晴らしい画家だと言ってこの絵に注目するように言っても怪訝な顔をしていた。
もっとも、フェルメールの絵は非常に小さくて、35点くらいしか残っていないので、世界的な美術館か、個人所蔵に接しなきい限り、見る機会が少ないことにもよる。
後で出かけた、メトロポリタン博物館にも、フェルメールの素晴らしい絵が5点ある。
これに、ワシントン美術館の作品を加えれば、フェルメールの残っている作品の3分の1を見たことになる。
さて、フリックの3点のフェルメールだが、この「士官と笑う娘」が一番印象に残っている。
フェルメールは、カメラ・オブスクーラを使って絵を描いていたので、ピンホールカメラの雰囲気で、どちらかと言えば、多少ぼやけた感じの平面的な色彩の絵が多いのだが、この絵に限って、笑う娘の表情を細密画のように非常に克明に描いている。
ワイングラスを握りながら、明るく笑っている少女の表情が実に幸せそうで、生活の息吹がそのまま伝わってくるような感じで清々しい。
フェルメールの住んでいたデルフトには、今でもこのような古い家が沢山残っていて、窓も土間も窓際の机も、そのままの雰囲気である。
フェルメールの絵は、殆ど、左側に窓があって、そこから自然光を取り入れて手紙を読んだり、語らったり、オランダ人の日常の生活を描いている絵が多いが、ある意味では、レンブラントとは違った意味で光の魔術師であったのかも知れない。
太陽の照る明るい光の少ない、どちらかと言えば、どんよりとしたリア王の世界のようなオランダでこそ、レンブラントやフェルメールが生まれたのかも知れないと思っている。
もう一つの、「婦人とメイド」は、机に向かって右手に座った女主人に正面からメイドが手紙を差し出している絵で、これには、左手には窓もなくバックは真っ黒に塗り潰されている。
この婦人の着ている黄色の上着は、ワシントンの「手紙を書く女」やベルリンの「真珠の首飾りの女」やメトロポリタンの「リュートを調弦する女」にも使われており、モデルだったのかフェルメールが黄色を好んだのか面白い。
何れにしろ、この窓辺は、恐らく街路に面した2階の居間なのであろうが、色々なプライベートな生活が展開されていて、オランダ人の息遣いがむんむんしていたのであろうと思うと非常に興味深い。
オランダ人は、治安に問題のない少し前までは、夜でもカーテンなどなくて、外から中が丸見えの生活を送っていたのだから、国が違えば生活の違いも様々で面白い。
フラゴナールの「恋の成り行き」を描いた連作11枚の大きな絵を壁面全体に貼り付けたフラゴナールの部屋は実に素晴らしくて壮観である。
ルイ15世の頃に、王宮の庭などで恋に戯れる若い恋人達や男女の群像を華麗に描いたフラゴナールの絵は装飾画として好まれたようで、フリックも好きであったのであろうか、同じ系統のブーシェの間にもブーシェの華麗な絵が壁一面に飾られている。
良く歴史書で見るのは、「ユートピア」で有名なイギリスの偉大な人文学者ハンス・ホルバインの「トマス・モア卿」で、素晴らしく風格のある絵で克明だが写真より遥かに美しい。
ミッシュランのグリーン・ガイドには、レンブラントの「自画像」、アングルの「ドーソンヴィル夫人」、フラゴナールの「恋の成り行き」、ジョバンニ・ベリーニの「砂漠の聖フランチェスコ」を見過ごすなと書いてある。
何れも画集や美術書で御馴染みだが、この美術館は本当にこじんまりとした資産家の館を転用しているので、身近にじっくりと鑑賞出来るのが良い。
彫刻にも立派な作品が多くて、あっちこっちに飾られている。
難は、他の美術館のようには写真を撮らせないところである。