METのこのオットー・シェンク演出の「ワルキューレ」は、最近、3回観ている。
ジークリンデのデボラ・ヴォイトとウォータンのジェイムス・モリスは最近の2回、ジークムントは、前の2回はドミンゴで、今回はクリフトン・フォービスだが、指揮者も、ワレリー・ギルギエフ、サー・アンドリュー・デイヴィス(東京)、今回は話題のロリン・マゼールと変わっていて、勿論、ブリュンヒルデもフリッカも全部入れ替わっているが、とにかく、圧倒的なワーグナー楽劇の魅力全開の素晴らしい舞台であり、その度毎に感激して観ている。
それまでに観ていたロイヤル・オペラも含めてワルキューレの舞台が、非常に抽象的で時にはモダン過ぎて違和感を感じていたのだが、このMETのギュンター・シュナイダー=シームセンのセットとデザインは、多少クラシックだが、非常にリアルかつ幻想的で、あのノイシュバインシュタイン城のルートウィッヒの世界と相通ずる空間を現出していて、それに、指揮者や歌手が超一流と来ているから文句なしのオペラなのである。それでも、満席になることは殆どなかったようである。
今回のワルキューレの最大の話題は、隣のニューヨーク・フィルの音楽監督で超ど級の指揮者であるロリン・マゼールが、45年ぶりにMETのピットに入ることで、初日の1月7日の公演では熱狂的な歓迎を受けたと言い、私の観たのは28日の公演であった。
マゼールは、自身でもオーケストラ指揮者だと言っておりこの方面で卓越した名声を博しているが、かって、ベルリン・ドイツ・オペラとウィーン国立歌劇場の総監督であったし、スカラ座を筆頭に世界のヒノキ舞台で多くのオペラを振っており、私も、何十年も前に「ローエングリン」を観ているが、オペラでのキャリアも大変なものである。
余談だが、METとNYFとの相性が悪いのか、ニューヨーク・フィルの音楽監督でMETで振ったのは「ファルスタッフ」のバーンスティンだけで、ピエール・ブーレーズもクルト・マズアもMETで指揮をしたことがない。
ニューヨーク・タイムズのアンソニー・トマシーニが、マゼールとレヴァインを比較して、特に、最後のブリュンヒルデの眠りとウォータンの告別のモチーフのところで、レヴァインは途切れることなく流れるように演奏するが、マゼールはフレーズ毎にドラマチックなポーズを取ってメリハリをつけながら弦セクションに物語を語らせており、解説的ではあるが観客を熱狂させる説得力のある解釈だと言っている。
何れにしろ、マゼールが一人でカーテンコールで舞台に立った時、オーケストラの楽員たちが熱狂的な賞賛の拍手を送っていたと報じている。
オーケストラ席前方だったので、マゼールの指揮振りが良く見えたが、何十年も前と同じできびきびしたタクト捌きが小気味良かったが、もう77歳。
8歳でニューヨーク・フィルを指揮し、9歳でストコフスキーに呼ばれてフィラデルフィア管を指揮し、11歳でトスカニーニに認められてNBC交響楽団を指揮したと言う途轍もなき神童が、まだ、第一線で驚異的な指揮振りを披露しているなど信じ難いほどだが、マゼールのワーグナーに再び遭遇出来て正に幸運であった。
ジークムントのフォービスは、一昨年小澤征爾が振る予定だった東京のオペラの森公演ヴェルディの「オテロ」でタイトルロールを歌った歌手で、是非彼のワーグナーを聴きたいとブログに書いたが、期せずして実現し、素晴らしくパンチの利いた張りのある美しいヘルデンテノールのジークムントを聴いて、ドミンゴに劣らぬ感激を味わうことが出来て幸せであった。
ジークリンデのヴォイトは、ドミンゴとの絶妙な舞台で夙に名声を博しており、今やワーグナー・ソプラノの第一人者であり、後半のプログラムである「トリスタンとイゾルデ」でイゾルデを歌うことになっている。
これについては実際の舞台を見たいが叶わないのでMETライブビューイングで辛抱せざるを得ないが、鑑賞出来るだけでも有難いと思っている。
とにかく、ヴォイトのジークリンデはドミンゴとの共演が圧倒的な印象で、今でも素晴らしい歌声が耳に残っている。
ジークリンデの歌う「冬の嵐は過ぎ去り」、ジークムントの「君こそは春」に続く第一幕の終わりの愛の二重唱の何と素晴らしいこと、そして、第二幕の別れを直前にした二人の二重唱の何と崇高なこと。
リストの娘コジマを友人のハンス・フォン・ビューローから奪って妻にしたワーグナーだから書けた愛のニ重唱かも知れないと思いながら、トリスタンとイゾルデの音楽を思い出す。
何と言っても、今回のワルキューレの素晴らしさは、ジェイムス・モリスのウォータンであろう。19年もウォータンを歌い続けて今や61歳、とにかく、風格のある威風堂々とした圧倒的なウォータンで、観客が熱狂するのも無理はない。
大地を揺るがすような朗々とした歌声で、燃え盛る大地を的にブリュンヒルデに最後の別れを告げる「さようなら、勇ましい娘よ」を歌い、周りに火をつけて、「魔の炎の音楽」をバックに舞台から消えて行く、この最後のシーンを観るだけでも値打ちのある素晴らしいウォータンである。
第三幕の「ワルキューレの騎行」の音楽の後、鎧姿で登場するブリュンヒルデのライザ・ガスティーンもキャリアを積んだワーグナー・ソプラノで、これまで、ジークリンデも歌っており、イゾルデも演じている。
父親ウォータンのモリスと堂々と対峙する素晴らしいブリュンヒルデで、ヴォイトとは一寸違った張りのある力強いソプラノのきらめきが印象的であった。
ウォータンの妻フリッカを歌ったメゾ・ソプラノのミカエラ・デヤング、フンディングを歌った若いロシアのバス・ミカエル・ペトレンコの存在感も大変なもので、8人のワルキューレ達も達者で、休憩を入れて5時間の舞台を終えても興奮冷めやらず、底冷えのするニューヨークの深夜も気にならないほどであった。
ジークリンデのデボラ・ヴォイトとウォータンのジェイムス・モリスは最近の2回、ジークムントは、前の2回はドミンゴで、今回はクリフトン・フォービスだが、指揮者も、ワレリー・ギルギエフ、サー・アンドリュー・デイヴィス(東京)、今回は話題のロリン・マゼールと変わっていて、勿論、ブリュンヒルデもフリッカも全部入れ替わっているが、とにかく、圧倒的なワーグナー楽劇の魅力全開の素晴らしい舞台であり、その度毎に感激して観ている。
それまでに観ていたロイヤル・オペラも含めてワルキューレの舞台が、非常に抽象的で時にはモダン過ぎて違和感を感じていたのだが、このMETのギュンター・シュナイダー=シームセンのセットとデザインは、多少クラシックだが、非常にリアルかつ幻想的で、あのノイシュバインシュタイン城のルートウィッヒの世界と相通ずる空間を現出していて、それに、指揮者や歌手が超一流と来ているから文句なしのオペラなのである。それでも、満席になることは殆どなかったようである。
今回のワルキューレの最大の話題は、隣のニューヨーク・フィルの音楽監督で超ど級の指揮者であるロリン・マゼールが、45年ぶりにMETのピットに入ることで、初日の1月7日の公演では熱狂的な歓迎を受けたと言い、私の観たのは28日の公演であった。
マゼールは、自身でもオーケストラ指揮者だと言っておりこの方面で卓越した名声を博しているが、かって、ベルリン・ドイツ・オペラとウィーン国立歌劇場の総監督であったし、スカラ座を筆頭に世界のヒノキ舞台で多くのオペラを振っており、私も、何十年も前に「ローエングリン」を観ているが、オペラでのキャリアも大変なものである。
余談だが、METとNYFとの相性が悪いのか、ニューヨーク・フィルの音楽監督でMETで振ったのは「ファルスタッフ」のバーンスティンだけで、ピエール・ブーレーズもクルト・マズアもMETで指揮をしたことがない。
ニューヨーク・タイムズのアンソニー・トマシーニが、マゼールとレヴァインを比較して、特に、最後のブリュンヒルデの眠りとウォータンの告別のモチーフのところで、レヴァインは途切れることなく流れるように演奏するが、マゼールはフレーズ毎にドラマチックなポーズを取ってメリハリをつけながら弦セクションに物語を語らせており、解説的ではあるが観客を熱狂させる説得力のある解釈だと言っている。
何れにしろ、マゼールが一人でカーテンコールで舞台に立った時、オーケストラの楽員たちが熱狂的な賞賛の拍手を送っていたと報じている。
オーケストラ席前方だったので、マゼールの指揮振りが良く見えたが、何十年も前と同じできびきびしたタクト捌きが小気味良かったが、もう77歳。
8歳でニューヨーク・フィルを指揮し、9歳でストコフスキーに呼ばれてフィラデルフィア管を指揮し、11歳でトスカニーニに認められてNBC交響楽団を指揮したと言う途轍もなき神童が、まだ、第一線で驚異的な指揮振りを披露しているなど信じ難いほどだが、マゼールのワーグナーに再び遭遇出来て正に幸運であった。
ジークムントのフォービスは、一昨年小澤征爾が振る予定だった東京のオペラの森公演ヴェルディの「オテロ」でタイトルロールを歌った歌手で、是非彼のワーグナーを聴きたいとブログに書いたが、期せずして実現し、素晴らしくパンチの利いた張りのある美しいヘルデンテノールのジークムントを聴いて、ドミンゴに劣らぬ感激を味わうことが出来て幸せであった。
ジークリンデのヴォイトは、ドミンゴとの絶妙な舞台で夙に名声を博しており、今やワーグナー・ソプラノの第一人者であり、後半のプログラムである「トリスタンとイゾルデ」でイゾルデを歌うことになっている。
これについては実際の舞台を見たいが叶わないのでMETライブビューイングで辛抱せざるを得ないが、鑑賞出来るだけでも有難いと思っている。
とにかく、ヴォイトのジークリンデはドミンゴとの共演が圧倒的な印象で、今でも素晴らしい歌声が耳に残っている。
ジークリンデの歌う「冬の嵐は過ぎ去り」、ジークムントの「君こそは春」に続く第一幕の終わりの愛の二重唱の何と素晴らしいこと、そして、第二幕の別れを直前にした二人の二重唱の何と崇高なこと。
リストの娘コジマを友人のハンス・フォン・ビューローから奪って妻にしたワーグナーだから書けた愛のニ重唱かも知れないと思いながら、トリスタンとイゾルデの音楽を思い出す。
何と言っても、今回のワルキューレの素晴らしさは、ジェイムス・モリスのウォータンであろう。19年もウォータンを歌い続けて今や61歳、とにかく、風格のある威風堂々とした圧倒的なウォータンで、観客が熱狂するのも無理はない。
大地を揺るがすような朗々とした歌声で、燃え盛る大地を的にブリュンヒルデに最後の別れを告げる「さようなら、勇ましい娘よ」を歌い、周りに火をつけて、「魔の炎の音楽」をバックに舞台から消えて行く、この最後のシーンを観るだけでも値打ちのある素晴らしいウォータンである。
第三幕の「ワルキューレの騎行」の音楽の後、鎧姿で登場するブリュンヒルデのライザ・ガスティーンもキャリアを積んだワーグナー・ソプラノで、これまで、ジークリンデも歌っており、イゾルデも演じている。
父親ウォータンのモリスと堂々と対峙する素晴らしいブリュンヒルデで、ヴォイトとは一寸違った張りのある力強いソプラノのきらめきが印象的であった。
ウォータンの妻フリッカを歌ったメゾ・ソプラノのミカエラ・デヤング、フンディングを歌った若いロシアのバス・ミカエル・ペトレンコの存在感も大変なもので、8人のワルキューレ達も達者で、休憩を入れて5時間の舞台を終えても興奮冷めやらず、底冷えのするニューヨークの深夜も気にならないほどであった。