熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

真夏の奈良散策もまた楽し

2009年08月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   関西の盆地の夏は、無茶苦茶に蒸し暑い。
   学生時代に宇治で下宿していたので、冬の寒さと、この夏の暑さを身にしみて経験しており、その少し南に位置する奈良の自然の厳しさも、それに輪を掛けて格別である。
   それを承知で、朝日新聞が主催した「無形文化遺産の未来」と銘打ったシンポジウムと東大寺大仏殿でのシルクロード舞台イベントの魅力に抗し切れずに、久しぶりに奈良を訪れた。

   宿は、奈良に行くにも京都に行くにも、最近では、文楽鑑賞の思いもあって、両方にアクセスの便利な、宗右衛門町近くの難波や心斎橋あたりのホテルを取ることが多いのだが、今回は、残念ながら、数日の違いで、国立文楽劇場での夏公演は終わってしまっていた。

   日本橋から近鉄線で奈良に向かったのだが、その電車は尼崎からの電車であった。
   気付かなかったのだが、地下鉄線を新設して連結したので、隣の難波が終点であったのが、今では近鉄と阪神が乗り入れたために、奈良から神戸まで直結してしまったのである。

   途中、西大寺を出ると、平城京跡を電車が横切るのだが、大極殿の復元工事ももう終盤のようで、巨大な覆い屋が遠望出来る。
   ここで、降りて、昔はよく秋篠寺を訪れて、美しい技芸天に会いに行ったり、時間があれば、反対側の西ノ京まで足を伸ばして、唐招提寺と薬師寺まで行き、夕暮れ近くまで沈没していた。
   今でこそ、薬師寺などは素晴らしい寺院になってしまっているが、当時は、東塔だけしかなかったし、西塔の礎石の水溜りに陰を写す姿や、田んぼの中から破れた土塀越しに遠望するなどして東塔の姿を追っかけて、寂れた寺の風情を写真に収めるのを楽しみにしていた。

   若草山の麓にある新公会堂の能楽ホールでの「音と芸の継承」シンポジウム開演まで2時間ほどしかなかったが、大学時代の友人M君が案内するというので、近鉄奈良駅の行基像の前で10時に会うことにしていた。
   大体、時間にルーズな私が遅れることが多いのだが、この頃は、歳の所為か、時間厳守を心がけている。

   M君は、真っ先に、奈良女子大学の旧本館(現在の記念館)を見せたいので行こうと言う。
   彼の住居の近くでもあり、駅から歩いて10分足らずの、佐保川のほとりの住宅街にある清楚な学校で、赤屋根を被ったブルーのおとぎの国のような可愛い門の向こうに、鶯色の壁や腰板の木造2階建て洋風建物が立っている。
   木部を外に出したデザインのハーフティンバー壁構造の美しい建物で、玄関口の軒先の上部を切って三角壁をせり上げ、屋根の中央に頂塔を頂いており、更に空気抜き窓など、中々、意匠に凝った建物で面白い。
   この1000平米足らずの旧本館の建物だが、正門とその横にある本館に合わせた8角形の小さな守衛室越しに眺めると、中々素晴らしい風景で、明治42年竣工の重要文化財である。

   日曜日で、全く人影がなく静かなキャンパスだったが、一教室だけ明かりがついていて、特別クラスの授業であろうか、殆ど空席がないくらいびっしりと女子大生が座っていて、授業を受けているようであった。
   私たちは、正門前のバス停に大きなゆったりとしたベンチがあり、木陰で涼風が気持ち良かったので、どうせ、目的もなく急ぐ気もなく、取りとめもない文化論を戦わせていた。

   M君は、京大の時、サマリタンと言う英会話クラブで、外人客の世話をしていたし、その後習ったフランス語のブラッシュアップのために、最近、散歩を兼ねて、せっせと奈良公園に通って、外人客をつかまえて、会話を楽しんでいるのだと言う。
   最近は、アメリカ人よりヨーロッパ人の方が多いようで、フランス、スペイン、ドイツ、イギリスなどの外人客が目立つと言う。
   カレント・トピックスを彼らと語っているので、最近のヨーロッパの面白い世相や話題などを語ってくれた。
  
   その後、県庁裏を歩いて、氷室神社に出た。
   境内には、立派な枝垂桜の大木があって、見事な花を咲かせるのだという。
   小さな池があって、睡蓮の葉がびっしり池面を埋めていて、淡いピンクの睡蓮が清楚で美しい。
   氷の神様とかで、氷関係の団体の旗や幟がうるさいくらい境内に立っていて、何事も、商売だと言うことが良く分かる。

   東大寺に向かって大通りを歩き、その氷室神社のすぐ隣の路地を左に入ると、いつの間にか、広々とした空間の周りにレストランやみやげ物店で構成された「ふれあい回廊 夢しるべ風しるべ」と言うショップ&レストラン広場が出来ている。
   東大寺の南大門への参道と殆ど平行した至近距離に出来た観光客用の新しい施設であるから、至れり尽くせりの便利さで、元は、地元建設会社の資材置き場だったと言うのであるから、観光当局は、これまで何をしていたのかと言うことである。

   私自身は、開発そのものには、賛成ではないが、とにかく、観光客の一番集まる東大寺・奈良公園・国立博物館近辺に、便利な休息所がなかったと言うのが致命的な欠陥だったのである。
   その中の一軒、雰囲気の良い「志まづ」と言う日本料理店の2階に上がって、南大門や大仏殿の屋根と緑の美しい若草山を遠望しながら、文化論の続きに花を咲かせた。
    
   食後、東大寺参道前を通って奈良公園を突き抜けて、奈良県の新公会堂に向かった。
   前方には、広々としたオープンな芝生が広がっていて、なだらかな若草山とそれに連なる春日山原生林をバックに和風モダンの公会堂が羽を広げているのだが、正に、萌えるような緑のムンムンする真夏の公園からのアプローチである。
   赤、ピンク、紫、白、これほどヴァリエーションに富んだ百日紅を見たことがないが、豊な緑一色の中に鮮やかな絵を描いて輝いており、壮観である。

   この日、私にとって興味深い奈良散策は、期せずして、夜の東大寺と奈良公園を経験したことである。
   電光に浮かび上がる大仏殿の壮観、それに、昼には良く見えない南大門の仁王像がライトアップされていて素晴らしい造形美を見せてくれていたことは、古寺巡礼が趣味であった私には、堪らない魅力であった。

   本当は、裏に回って夜の東大寺境内を散策したいのだが、それは無理で、結局、奈良公園や古社寺のあっちこっちの庭に点灯蝋燭を並べた幻想的な燈火会プロムナードを、浴衣姿の若者たちに混じって近鉄奈良駅に向かった。
   興福寺の五重塔が、電飾されていて優雅な姿を淡く夜空に浮かび上がっていて印象的であった。
   つかの間の旅人として、奈良を訪れるから良いのかも知れない。
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シルクロード至芸の玉手箱・・・東大寺大仏殿野外劇場(2)

2009年08月10日 | 学問・文化・芸術
   中国には、恋愛小説がないのだと何かの本で読んだことがあるので、私の頭にはずっとその印象が強く残っていた。
   東大寺の大仏殿野外劇場での最後の素晴らしい昆劇「牡丹亭」は、悲しくも美しく激しい恋の物語で、夢に見た科挙を目指す青年に恋をした太守のお姫様が恋焦がれながら絵姿を残して亡くなるのだが、その絵姿を見た夢で逢った青年が、蘇った姫と、再び、現の世界で恋をするという夢と現実を往還する幻想的な恋の物語である。
   
   玉三郎が、中国に渡って全身全霊を傾けて学び演じて喝采を浴び、京都公演やシネマ歌舞伎でも話題を集めたこの同じ昆劇の「牡丹亭」だが、私自身、京劇に対する根強い偏見があった上に、昆劇と京劇の区別もつかず、残念ながら見過ごしてしまった。
   それに、あれほど、何度も訪日している本格的な京劇の舞台にも、敬遠し続けて、まだ、接していない。
   香港や北京などで、観光客として接した一寸見の京劇の舞台を織り交ぜたショーの印象があまりにも強烈で、激しいアクロバティックなパーフォーマンスや銅鑼ががなりたてる舞台に辟易していたことや、やはり、白髪三千丈の国の演劇であるから大仰で取っ付き難いと言う先入観が強かったのである。

   ところが、この東大寺の舞台で、電光に輝く静かな舞台から流麗に流れる昆劇楽団の素晴らしい序曲を聞いた瞬間、その美しさに感動してしまった。
   昔、オーマンディが、中国旅で持ち帰りフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで演奏した中国のピアノ協奏曲「黄河」の、あの情感豊かな美しいフィラデルフィア管弦楽団の定期公演で聴いて以来の中国の音楽に対する強烈な感動の再現であった。
   音楽は良く分からないのだが、民族楽器は、琴と胡弓、琵琶程度で、後は洋楽器のアンサンブルであったので、音楽は、中国的と言うよりは洋楽の印象であった。
   
   この戯曲「牡丹亭」は、シェイクスピアと同時代の明の劇作家「湯顕祖」の作で、実際に演じれば何日もかかると言う大作だが、今回は、主人公杜麗娘を3人の女優が演じると言う非常に凝縮された舞台である。
   杜麗娘の恋に目覚めて乱舞する青年柳夢梅との青春、一人でしみじみと歌う中年、晩年の3シーンだが、私の抱いていた中国古典劇の印象とは全く違った素晴らしい舞台であった。
   最初のシーンは、綺麗に着飾った美しい男女が、華麗な楽に乗って歌い舞うと言う素晴らしい舞台だが、その後の、ソリストのしみじみと歌う歌声など、正に、オペラのアリアを聴いているような感じで、私は、何故か、フィガロの結婚の伯爵夫人ロジーナを歌うキリ・テ・カナワや、ばらの騎士の公爵夫人のフェリシティ・ロットの舞台を思い出しながら聴いていた。

   最後の杜麗娘を演じたのは昆劇院の名誉院長の張継青で、後で知ったのだが、玉三郎を指導した偉大な俳優。
   青いシナ服に短いスカートと言う女校長と言った姿で登場したのだが、歌い始めると、その歌声と陰影を帯びた温かくて優しい素晴らしい歌唱に、度肝を抜かれるほど感動してしまった。
   やや、音程に不安定なところがあったが、あれ程情感豊かに女を歌い演じる俳優・ソリストを見たことも聴いたこともなかったと思えるほど、強烈な印象で、その感動は長く余韻を引いて消えなかった。

   最初の杜麗娘を演じた沈豊英は、実に美しい中国美人で、舞の優雅さ、頭の天辺から抜けるような甲高いが柔らかな歌声は絶品。
   その相手役の青年柳夢梅の兪玖林は、同じ役で玉三郎と共演した男優で、沈豊英との、正に、幸せの絶頂を、舞い歌いながら謳歌する素晴らしいシーンは、絵画を見ているように美しく感動的であった。
   中年の杜麗娘を歌った王芳は、多くの賞に輝く中国屈指の、海外でも活躍している女優だと言うことだが、あの歌声を聴いていると、限りなくセイブして切り詰めた演技にも拘わらず、ため息さえ聞こえてくるような繊細さを感じた。
   中国の役者は、シェイクスピア役者と同じように、歌って踊って演技して、総ての分野で秀でた万能選手でなければならないのであろうが、その芸術の深さを、しみじみ思い知った一夜であった。

   大仏殿は、ライトアップされているので、夜空に浮かび上がっている。
   それに、堂内のライトも点灯されていて明るいので、正面の欄間から、大仏の姿や光背が見えて幻想的である。
   日頃夜中に大仏殿の正面まで入ることが出来るのかどうかは知らないが、いつも見ているのとは違った大仏殿の雰囲気を感じた貴重な体験を味わいながら会場を離れた。

   最近では、日本でも、古社寺を舞台にして、ライトアップされた野外演奏会や演劇などが演じられるようになって来た。
   しかし、元々、神社仏閣そのものが、宗教の場であると同時に、宗教的なパーフォーマンスの場、すなわち、パーフォーマンス・アートの原点であった筈で、大いに好ましいことだと思う。

   私が、青天井の野外コンサートを最初に経験したのは、もう、40年近くも前になるが、フィラデルフィアのロビンフッドデルの野外劇場でのフィラデルフィア管弦楽団演奏会であった。
   その後、主にヨーロッパだが、あっちこっちの古城や宮殿、公園など色々なところで楽しむ機会を持つことが出来たが、欧米人は、短い夏の夜を楽しむためには、野外であろうと博物館であろうと、歴史的建造物であろうと、どこででも、アミューズメントと社交の場を設営して人生を謳歌するのである。

   思い出深いのは、やはり、ヴェローナのローマ時代の野外劇場アリーナでのオペラや、ロンドン郊外のケンウッドの野外劇場でのロイヤル・オペラ、ロンドン塔でのイングリッシュ・ナショナル・オペラと言ったオペラ公演が多い。
   他にも、ハンプトンコート宮殿でのホセ・カレーラスのコンサートや、セントポール寺院でのベートーヴェンの「合唱」など色々あったが、それなりの文化遺産として風格のある舞台設定でのパーフォーマンス・アートの鑑賞の楽しみは、本来の劇場やコンサート・ホールとは違った面白さがあって楽しい。

   
      
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シルクロード至芸の玉手箱・・・東大寺大仏殿野外劇場(1)

2009年08月09日 | 学問・文化・芸術
   真夏の夜の夢と言うべきか、奈良東大寺の大仏殿前の庭園で、東大寺の御僧侶方にによる声明に始まり、世界の無形文化遺産(世界遺産)の代表として、日本の能楽「三番叟」、アゼルバイジャンの「ムガーム」、そして、中国の昆劇「牡丹亭」が、国宝級の偉大な芸術家たちによって素晴らしい舞台が演じられた。
   遷都1300年を来年に控えた古都奈良の芸術のイベントとしては、最高の贈り物で、恐らく、当時の平城京奈良の都も、シルクロードの終点・異国情緒に満ちた国際都市として、中国や朝鮮からの芸人たちで賑わい、遥か西アジアから訪れた美しい胡姫たちが舞い、文化の華を咲かせていたのであろう。

   少し夜空が暗くなり電光が映え始めた舞台に、楽が奏され、人間国宝野村万作他の荘重な「三番叟」で舞台の幕が開いた。
   派手で多少コミカルタッチの文楽の三番叟の舞台に慣れているので、この能楽の荘重優雅で威儀を正した舞台は、私にとっては非常に新鮮かつ強烈で、野村万作の眼光鋭く魂を込めた真剣勝負の激しい表情を見ながら、感激しきりであった。
   前半の素面での厳粛な感じの「揉之段」から、千歳との問答の後の、鈴を持って翁の黒式尉面をつけて激しく舞う躍動感溢れる「鈴之段」などを見ていると、野村万作の芸の大きさに圧倒されるのか、舞台に引き込まれて、東大寺の大きな野外劇場が小さく見えてくるのが不思議である。

   この能楽「三番叟」は、狂言方の担当のようだが、難しい所為(?)もあって、これまで、私自身、能楽は敬遠気味で舞台鑑賞の機会も限られており、比較的好きな狂言の舞台でも、野村万作の舞台も、ほんの数回しか経験していない。
   しかし、もう20年ほども前に、ロンドンで、イギリス人と一緒に「法螺侍」を見た時には、その絶妙かつ素晴らしい演技に感嘆した。
   「法螺侍」は、言わずと知れたシェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」、オペラで言えばヴェルディの「ファルスタッフ」の狂言版であるが、この狂言の舞台での、女房たちに騙されて大きな洗濯籠に入れられて転げ回りながら運ばれて行く野村万作ファルスタッフの演技など、私には、人間業とは思えないほど素晴らしかった。

   次の舞台は、アゼルバイジャンの「ムガーム」と言う、高いレベルの即興によって奏される伝統的音楽である。
   ヨーヨーマとのシルクロード・アンサンブルで共演している世界的な名手アリム・カシモフとその愛娘ファルガナ・カシモバが、ダッフ(団扇太鼓のようなタンバリン状の楽器)を奏しながら歌い、右手に、弦楽器タール(柄の長い大小の碁盤入れを二つ並べて胴にしたような11弦のリュート)と、左手に、弦楽器カマンチャ(4弦のバイオリン状の楽器で胡弓のように弾く)が伴奏する。
   アラブのアカームと同根の音楽であり、中国のウイグル自治区から中近東、トルコにひろがり、更に、ハンガリーのデュオにも影響を与えていると言うからイスラムとともに伝播した民族音楽である。

   伝統的な結婚披露宴や、マジョレスと言う玄人集団の間や宗教関係で歌われていたりしたようだが、ギリシャ哲学あたりからも影響を受けたと言うから、庶民的と言うよりも高度な民俗音楽のようである。
   何を歌っているのか意味が分からないのだが、あのコーランのお祈りにも相通じる浪々と吟遊詩人が歌っているような音楽で、ファルガナさんが、真剣な眼差しで歌っている表情を見ていると、昔、ポルトガル・リスボンのクラブで聞いた愛の歌・ファドの悲しい旋律を思い出した。
   甲高いギターの音のようなビートとタンバリンの鈍いリズム、尾を引きながら咽ぶような憂いを帯びた弦の調べにのって、時には耳を押さえ、時には、天を仰ぎながら、二人の胡人(?)歌手が、人生の喜怒哀楽を魂の叫びのように切々と歌い続ける。

   綺麗に刈り込まれた高麗芝の気持ちの良い感触を全身で味わいながら、ふっと振り返っては、背後の薄明かりに照らされた壮麗な大仏殿の庇の巨大さに驚き、星の光が見え隠れする夜空を仰ぎながら、天山崑崙を遥かに超えたシルクロードの果てカスピ海のほとりからやって来た楽人の奏する実にエキゾティックな美しい調べに耳を傾ける。
   この日は、久しぶりに奈良は好天気で、日中は暑かったが、奈良公園の緑も光り輝いていて、若草山の緑の美しさは格別であり、華やかに咲き乱れる色とりどりの百日紅が、更に、美しさに華を添えて自然を荘厳していた。
   ところが、夜が深まるにつれて、その暑さが和らぎ、今や、爽やかな涼風が頬を撫で始めて至福の時間を演出してくれている。
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ジェフ・ジャービス著・・・「グーグル的思考」

2009年08月06日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ジェフ・ジャービスの新著「グーグル的思考」と言う本は、非常に示唆に富んだ面白い本で、インターネット社会になって、グーグルが、グーグル的志向を伝播することによって、如何に、経済社会も、ビジネスも、根底から変えてしまったかを説いていて興味深い。

   ”マスマーケットは死んだ。自殺を図ったのだ。グーグルはただ、銃を手渡したにすぎない。”と言う言葉に、ジャービスの論点の一つが如実に示されている。
   このことを、グーグルのビジネスモデルと、まだ、不特定多数に向けて宣伝広告ビジネスを続けている広告会社とを対比させながら、揶揄的に説いているのが面白い。
   勝負がついているのに、まだ、性懲りもなく、泥舟にしがみ付いている既製大広告会社のビジネス・モデルの愚かさであろうか。

   旧来の経済では、メディアや広告会社は、大規模な広告が出来る大企業のためだけに働いてきており、TVでのゴールデンタイムの争奪戦に明け暮れ、商品の売り場の確保に奔走するなど、希少な広告チャンスの獲得とマスマーケットをターゲットにして広告合戦に鎬を削ってきた。
   しかし、あらゆる規模の広告主のために機能するグーグルの市場が生まれて、小規模なものが新たな力を持つ経済システムが導入された。
   グーグルの広告は、インターネットによるオークション方式の市場で運営されており、より流動的に空洞を埋めて行くシステムで、従来のマスと希少性を基盤にした経済の力関係と隔絶され、独自の経済機構の中で機能しているので、正に、ブルーオーシャン、無競争の世界である。

   グーグルは、ニッチの宇宙の中を航海し、そこから利益を得る術を解明した。広告主がターゲットを絞った消費者にアプローチするために、新しい方法を作り出したのである。 
   従来の広告媒体と違って、広告を見ただけでは料金を徴収せず、視聴者がクリックした時だけ料金を取り、効果があるのかないのか分からなかった広告主が、自分たちの広告投資にどのくらい反応があったのかを測定できるようにしたのである。
   
   更に、グーグルは、旧来のメディアのように広告料金を設定せず、市場がキーワードに対する価格を設定するに任せている。
   より多くの広告がクリックされればそれだけ儲かる仕組みになっているので、グーグルにとっては、市場のターゲットを絞り効率を上げることが命題となり、結果的には広告主の要望に応えることにもなり、双方に恩恵が齎される。
   とにかく、グーグル検索によって、完全にマッチした視聴者に広告を提示してくれて、その上、クリック払いであり、そのコストが極めて安価であるから、どんなに小さな小資本の会社でも、グーグルで広告が張れるのである。
   マスマーケットが消滅し、ニッチが台頭してくる中で、そこから利益を得る方法を考えると言うグーグル的思考が、今後のビジネス成功の秘訣だと、ジャービスは説く。
   
   グーグルの更なる特質は、多くのプラットフォームを提供していると言うことである。
   ネットワークは、プラットフォームの上に築かれているのだが、グーグルマップなどはその典型で、マッシュアップなど多くのイノベーションによって、様々なアプリケーションのみならずビジネスも生まれており、そのことが、グーグルの事業拡大に貢献し続けている。
   従来のような主導権掌握型のビジネスなら、グーグルマップは商品であり、グーグルは、その利用者たちを広告主に売っていたであろうが、逆に、主導権をあらゆる人たちに渡して誰もが自由に使えるようにして、巨大な市場を生み出して来たのである。

   グーグルは、自ら頒布することに徹している。
   ヤフーなど多くのサイトは、自分たちのホームページを読者の目的地にしようと、読者を引き付けるためのコンテンツや広告を詰め込んでいる。
   しかし、グーグルは、自らを経路と考えていて、ユーザーが行きたい場所に当人を導くためのもので、それによって、辿り着いたサイトには、高い確率で、グーグルの広告かアプリケーションが待ち構えている。
   グーグル経由で、ユーザーの行く先々で姿を現すことこそ、グーグルの狙いなのである。

   私が非常に興味深いと思ったのは、ニューヨークタイムズなどの欧米メディアが、デジタルモデルを変更して、オンラインでのコンテンツ関連の料金徴収を止めたのだが、その原因はグーグルにあると言うことである。
   無料開放によってタイムズが得た最大の恩恵は、グーグル・ジュースにあると言うのである。
   グーグル・ジュースとは、グーグル、ひいては世間に高く評価されることで飲める魔法の液体で、より多くリンクされ、クリックされれば、記事の中で触れられれば、グーグルでの検索結果での順位が上がり、更なるクリックの増加が見込めると言う仕組みで、これによって、タイムズの権威のみならず収益が増大したと言うのである。
   私など、クルーグマンのコラムを自由に読めるようになったので、ニューヨークタイムズに感謝しているが、時々、このブログで、NYTの記事を引用しているので、その点では、グーグル的サービスに貢献していると言うことになろうか。

   ところで、日経ヴェリタスは、購読者限定サイトを設けて有料化したのだが、ジャービス論から行くと、グーグル的発想から逆行していることになり、先が見えていないと言うことになろう。
   蛇足ながら、インターネット全盛時代にも拘わらず、良く分からない雑誌ばかりを出版し続けている日経のビジネス戦略の時代錯誤ぶりに疑問を感じていることを付記する。

   ジャービス説によれば、とにかく、会社も個人も、オープンにこれ努めて、グーグルに露出して、少しでもグーグル検索ページでの順位を上げることこそが、すべからく勝者になるための秘訣であると言うことになり、自分のホームページや陣地に顧客を囲い込んで商売をしようとするなど愚の骨頂で、成功など覚束ないと言うのである。

   ところで、皆様に読んで頂いているので、私のブログでも、例えば、「イチローの愛国心」やトフラーの「生産消費者」などと言ったいくつかの項目では、グーグルのトップに掲載されていて、役立っているかなあと思って喜んでいる。
   
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空中に張られた蜘蛛の巣の脅威

2009年08月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   勢い良く庭木の茂みから飛び上がったアブラゼミが、蜘蛛の巣に掛かった。
   この蜘蛛の巣は、数日前から掛かっていて、同じようにアブラゼミが掛かっていたのだが、蜘蛛が食べたのか、いつの間にかなくなっている。

   見ていると、また、飛び出した二匹目のアブラゼミも網に掛かって、激しく翅をばたつかせてもがき始めた。
   簡単な網だと思っていたのだが、もがけばもがくほど、網に体を取られて身動きが取れなくなり、とうとう、二匹とも動きを止めてしまった。

   私が不思議に思ったのが、地上4メートル以上の高みに、どうして蜘蛛が巣を張ったのかと言うことである。
   蜘蛛の巣の枠糸の端は、5メートルをゆうに超える2階の庇から伸びていて、もう、一方は、1.5メートルほど落差はあるにしても、10メートル近くも離れた高さ5メートルを超えるアメリカン・ハナミズキに伸びている。
   庇は、どんなに高くても這い登れば良いのだが、どうして、10メートルも離れた高さ5メートルの木の天辺に糸を掛けることが出来たのか、それが疑問であった。
   
   何度か、蜘蛛が網を掛けているところを見たことがあるのだが、それは、螺旋を描きながら仕上げにかかっている姿ばかりなので、どう考えても、翅のない蜘蛛が糸を引いて空中を飛んだとは思えない。
   一度、木にぶら下がった蜘蛛が、体を振り子のように動かしながら揺すって、隣の木に移ったのを目撃しているが、そんな生易しい距離ではない。

   ところがである。
   ウイキペディアを見ると、蜘蛛は、出糸突起から糸を出して、それを風に乗せて飛ばして、向こう側に引っかかると、その糸を往復して糸を強化して枠を張るのだと書いてある。
   そう言えば、最近、強風が吹き荒れて、トマトの木が倒れて困ったことがあった。
   涼しい北風だったので、これに乗って糸が飛んだのであろう。
   しかし、正確に方角を狙わないと、そう簡単にハナミズキの木に到達しない筈で、下手な鉄砲数打ちゃ当たるなら別だが、余程、蜘蛛に知恵があったとしか思えないが、何故か、この時、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出していた。

   一度、ハナミズキに糸が引っ掛かれば、木を這い上がれば良いのであるから、天辺まで枠糸を引き上げることは簡単なのであろうし、他の枠糸や多くの縦糸は、この大梁となる枠糸からぶら下がって、下の木に固定すれば良い。

   庭の中空に蜘蛛の巣が掛かっていて、アブラゼミの死骸がぶら下がっているのも、あまりにも無粋なので、竹箒で蜘蛛の巣を掃って落とそうとしたが、天辺の枠糸が中々切れなくて苦労した。
   アブラゼミが、バタつき始めたので、蜘蛛の巣から開放して飛ばしてやろうとしたが、全く、とりもちと同じで、びっしりべったりと絡み付いて離れない。
   よく見ると、既に、硬いはずのアブラゼミの翅が柔らかくなって融け始めている。
   出来るだけ綺麗に網を外したつもりだが、アブラゼミは、飛び上がることが出来なかった。

   セメダインの粘膜のように手にこびりついた糸の塊を取ろうと、指で丸めようとしたら、急に、毛虫に指されたような痛みが走った。
   小さな棘が刺さったような強い痛みなので、急いで水で洗浄してムヒエスを擦り付けたのだが、このような蜘蛛の巣に、一度、引っ掛かれば、どんな昆虫もお陀仏間違いないと思った。

   ところで、このアブラゼミだが、地中に何年間も長い間幼虫で生活し続けて、やっと、地上に出ても僅かな儚い命で、ランデブーに成功して子孫を残せるのは、そのうちどのくらいであろうか。
   激しく鳴いてメスに近づいても逃げられるオスも多いのである。

   尤も、生きるために苦心惨憺(?)して張った巣を壊してしまったので、まだ正体を見たことのない蜘蛛だが、悪いことをしたと思っている。
   どこまで、エコシステムを大切にすれば良いのか、悩むところでもある。

   先日、庭仕事をしていて、毛虫に刺されて困った。
   牡丹の葉にしがみ付いていた毛虫に触れて、毛の先に刺されたのだが、この毛虫は、素晴らしく優雅な蝶の幼虫であることは分かっているのだが、育てる訳にも行かないので、駆除した。
   自然のままに、できれば、私の庭も、そう保ちたいのだが、ままならないのが現実である。
   
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時事雑感・・・民主党は財源なき虚言癖のばら撒き政党か

2009年08月02日 | 政治・経済・社会
   自民党も民主党も、マニフェストと称する公約集を提示したので、政策論争が本格化してきた。
   TV報道の印象だけの判断だが、一番気になる争点は、民主党の政策が、財源の裏づけが全く不確かな空手形のばら撒き政策で、信用ならないと言う自民党側の攻撃である。
   詳細を詰めずに発言するのだが、岡田幹事長が主張している「ゼロベース」から予算を見直すとする提言を、額面どおりに取ればであるが、要するに、いかなる手段をとろうとも、収入と支出をバランスさせるために、ゼロから予算を構築すると言うことであるから、民主党が実施しようとする政策に対する財源は、優先順位の低い他の予算を切れば良いのであるから、財源はいくらでも捻出可能である。
   
   私がウォートン・スクールで勉強していた時、ゼロ・ベース予算(ZERO BASE BADGET)の講義が脚光を浴び始めた頃で、私自身も、かすかに雰囲気は覚えている。
   要するに、各部門やプロジェクトの予算については、過年度の実績はゼロとなり、新たに提示された新年度の予算は、ゼロベースから検討され、企業の経営目的による優先順位によって決定され配分されると言う方式である。
   したがって、極端に表現すれば、過去の柵から切り離されて予算が決定されるので、過去の既得利権などは考慮外で、新規プロジェクトや新しい政策への予算配分が可能となり、構造改革など民主党の政策実現には、格好の方式となろう。
   尤も、問題は、これまでの事業の継続性など経済社会に与える重大なインパクトをどのように処理すのかと言った問題や、政権に縁のなかった民主党が、この複雑で実施が極めて難しいゼロ・ベース予算を如何に構築するかのと言った多くの問題を解決しなければならないので、大変な困難を伴う。
   しかし、日本の政治経済社会の仕組みを、根本的にリセットしようとするならば、絶対にやらなければ、日本の明日はないので、万難を排してでも挑戦に値する。

   民主党は、政官財トライアングルによって構築され維持されてきた55年体制をご破算にして、新しい日本の政治経済社会を作り上げようとしているのであるから、これまでの予算を完全に分解して、大所高所から検討を加えて、無駄を徹底的に排除することによって予算を捻出して、自分たちの実施しようとする政策に予算を振り向ければ良い。
   かっての小泉ばりの迫力で、過去から鬱積している政治の闇と経済社会の残滓を、出来るのならば、叩き切れば良いのである。
   要するに、自民党が勢い付いて叫んでいる民主党に対する財源なしのばら撒きだとする非難は、自民党自身が、これまでの予算を金科玉条の如く是として、小刻みにプラスマイナスするだけで、一歩でも変えようとする前向きの姿勢なり、未来を志向した斬新さがないことを暴露しているだけである。
   
   今回の選挙戦で、自民党が分かっていないのは、このような過去の柵に雁字搦めに縛られて一歩も前進のない、むしろ、益々悪化して行くこの政治経済社会体制に、多くの国民が飽き飽きしていると言うことを、そして、このまま自民党政権が続けば同じことの繰り返しで何の進歩もなく取り返しがつかなくなると思っていることを、全く、理解していないと言うことである。

   民主党のマニフェストには、バラ撒き的な要素があるかも知れないが、これまで、自民党政権が営々と無駄にばら撒いて来た膨大な金額に比べればかわいいくらいである。
   それよりも、あの誇り高き自民党が、何の定見も理想もなく、鬼の首を取ったように、民主党のマニフェストは財源の裏づけのないばら撒きだと馬鹿の一つ覚えのように連呼するしか能のない政党に成り下がってしまったのが実に悲しい。
   
   民主党のマニフェストについても、リベラルな分、景気や経済成長に対しては消極的にならざるを得ないであろうし、言いたいことが沢山あるが、一度やらせて見ようじゃないかと言うのが国民の正直な気持ちだと思う。
   日本にも、「Yes, we can.」と言うCHANGEを再現したいのである。
   早い話、たった4年間で、このために勝利したはずの経済政策の根本精神であった市場原理主義を臆面もなく放棄すると宣告し、筋書きも何もなく、これこそ全く実現不可能だと思えるような所得の100万円アップを唱える自民党よりは頼りになると言うのが正直なところかも知れないと感じている。
   尤も、排水の陣を敷く自民党のマニフェストには、多くの帆船効果が出ていて面白い。蒸気船の登場によって駆逐されそうになっていた帆船が、負けじとばかりに次々とイノベーションを生み出して良くなったと言う、あれである。こんなところにも、イノベーションの精神が発露されるのである。
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トマト栽培日記・・・(17)トマトの味は皆同じなのか

2009年08月01日 | トマト栽培日記
   今回、色々なトマトを栽培して食べてみると、今まで、トマトはみんな同じようなものだと思っていたのだが、大分、印象が変わった。
   この口絵写真のように、色にも形にも、かなりのバリエーションがあり、それに、食感も味も違う。
   しかし、食べてみれば、やはり、どれもトマトの味をしている。
   
   イタリア人は、沢山、トマトを食べるので病気が少ないと言うことだが、あのゲーテさえ、ブレンナー峠を越えてイタリアに入り、燦々と輝く太陽の美しさと明るさに感激したと言うほど、イタリアは、気候に恵まれており、トマトのみならず野菜や果物などの宝庫だと言われていて、料理が美味い。
   料理ついでに、蛇足。今では、フランス料理の方が有名だが、これは、元々、手掴みで肉をしゃぶっていたフランス王に、メディチ家のお姫様が嫁いだ時に、フォークや料理人を携えてアルプスを渡ったのが始まりで、フランスの食文化のオリジナルは殆どイタリア・オリジン。
   それに、大皿の料理を、温かくした皿に取り分けてサーブするのは、ロシア貴族の風習を真似たからで、フランス料理がソフイスティケイテッドに洗練されてきたのは、極最近のこと。

   さて、私のプランターのトマトだが、カネコ・トマトは、ほぼ、収穫が終了し、上部の花房と、脇芽の成長分、そして、挿し木による新株分の成長・成熟を待つだけである。
   サカタのアイコは、連日随時色づき収穫を続けている。
   他のイタリアン・トマトも、収穫の最盛期に入っている。
   問題となるのは、実の先端が黒ずんで腐って行くトマトが、散発的に出る程度で、特に、他に病虫害の被害はない。
   この頃では、多少葉が黒ずもうが斑点が出ようが、あまり気にせずに、少し木がおかしくなり異常が出れば切り落とす程度で、対処していても問題がなくなった。

   一本、桃太郎トマトだと思うが、地元千葉で生産された接ぎ木苗を植えてあるのだが、少し成長が遅いが、問題なく成長し、大きな実が色づき始めた。
   トマトのようなか細くて弱い野菜の苗でも、接ぎ木できるのかと思ったのだが、モザイクウイルスに強く耐病性があるようである。
   キュウリ、スイカ、メロン、ナス、トマト、ピーマン等の苗でも接ぎ木苗があるようだが、トマトの場合には、上下楔状に切り込んで2本のトマト苗を抱き合わせて接合する方法と、切り取った苗の先端を杭状に切り込んで穂をつくり、先を刎ねて逆杭状に切り込んだ台木に接ぎ木する方法があると言う。
   私の場合には、ものぐさで椿の接ぎ木さえしたことがないので、園芸店で接ぎ木苗を買う他はないが、問題なければ、この方が楽だし、次からは、接ぎ木苗で育てようかと思っている。

   いずれにしろ、トマトにとって一番良いのは、雨が降らずに、晴天で暑い日が続くことで、太陽が一番の恵みのようである。
   いまのところ、様子を見て、いい加減に化成肥料を株元に蒔きながら、こまめに水をやっているのだが、特に取り立ててトラブルもなく、自家消費分のトマトくらいは、このプランター栽培で調達出来ている。
   色々なトマトを勝手気ままに植えてきているので、毎日、色々なトマトを食べている勘定で、味が定まらないのが、問題だと言えば問題だが、別に気になるほどでもないので、満足していると言うところであろうか。
   
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