ブラジルは、ヨーロッパとは反対の南半球にあるので、カーニバルの季節は盛夏となり、ディオニソス的乱痴気騒ぎも、ムンムンする熱気の中で極に達する。
エイズを恐れて、政府がコンドームを配布すると言うのだが、聞くところによると、何千人と言うカーニバル・ベイビーが生まれると言うのだから、正に、ブラジル全土で、人生謳歌の祭典が繰り広げられるのであろう。
リオのカーニバルが、有名だが、ブラジルのブルジョアが、パリの仮面舞踏会にヒントを得て、1641年に導入したと言うことだが、1930年に、リオの市長が、偶々、伝統的なカーニバルに新趣向として、貧しい黒人たちグループを参加させたところ、彼らが育んでいた新しいスタイルの音楽「サンバ」が人気を博して、大ブレイクしたのだと言う。
この黒人たちのサンバ・スクールは、独特なリズムと、刺激的で抒情的な歌を交えて、手の込んだ衣装を身に着けて、街路に飛び出して踊り回るのであるから、巷の人々を魅了してしまい、その結果、色々なリズムや活動が加わって行き、サンバが、徐々に、カーニバルと同義語になってしまったのだと言う。
リオに都が移り、コーヒーブームで、東北地方から駆り出された黒人奴隷たちが、生みだしたアフロ・ブラジリアン文化の一つの精華が、世界最高のカーニバルを生み出したと言うことである。
毎年、初春に、テレビで、リオのカーニバル模様が放映されて、ビートの利いた陽気なサンバのリズムと美しくて肉感的なムラータ嬢たちの激しい踊りが魅力的だが、あの「黒いオルフェ」と言う映画も良かった。
このカーニバル時期には、完全にブラジルの機能は停止してしまってカーニバル一色になってしまうのだが、ローターは、「カーニバルは、激烈な競争が展開されて、今や、産業industryになってしまった。」と言うのである。
リオでは、これまで、カーニバルの資金源は、陰の地下経済の隠れた存在であったのだが、最近では、大企業が、これらを押しのけて、自分たちの宣伝と利益を追求し始めた。
コンペティションは、リオの街中にある「サンボドロモ」で実施され、70000人のグランドスタンド席の前を1時間に7サンバ・スクールがパレードし、4人の審判員が、衣装の美しさから打楽器部門の出来栄えまで10項目に亘って採点する。
ところで、これらパレードのダンサーやドラマーたちは、バスの運転手、主婦と言った普通の人々で、殆どは、色々な労働者階級の人々だが、勝利の栄冠を夢見て、何ヵ月も必死になって、リズムやステップをマスターするために寸暇を惜しんで練習しているのである。
結果は、カーニバルの終わる灰の水曜日の午後に発表されて、その様子は全伯に放映される。
ところで、興味深いのは、勝つためには、サンバ・スクールは、カルナバレスコと称するプロを招聘して、カーニバルのオーガナイズや、デザイン、プレゼンの監督などを依頼するのだと言う。
勝利を目指すのは当然だが、サンバ・スクールによっては、二軍に落とされて、パレードから外されないようにするのも大切である。Aグループ14チームの内、最後尾の2チームは、Bグループトップ2チームと入れ替えられるのである。
リーダー的なサンバ・スクールは、最近、益々、派手で大規模なプレゼンに流れる傾向が出て来たので、資金需要が益々旺盛になる。
観光の為もあって、市政府が資金を出してはいるが、それでは足りる訳がなく、他の資金源が必須となる。
昔から、違法なアニマル・ゲームを主催しているブックメーカー吞屋が大口献金者であった。カーニバル参加者である住民たちのお蔭で金を儲けさせて貰っているのであるから、吞屋のボスが資金提供者になるのは当然の義務でもあると言う。
もう一つの資金源は、スラムの住人麻薬ボスで、幾分かは献金しているのだが、やはり、最近の大口は、大企業で、交換条件に、楽器や衣装にロゴを付けさせる。石油公団ペトロブラスも、献金者である。
何でもかんでも、金はどこからでも受け取ると言うことなのであろうが、ヴェネズエラのチャベス大統領から、ヴィラ・イサベラ・スクールが、2007年に、100万ドルを貰って、テーマを、「I'm Crazy About You, America: In Praise of Latinity」とした。
審判員が買収されたのであろうか、予期せず有り得ないことに、イサベラが優勝してしまったのであるが、チャベスは、「ラテン・アメリカ統合の勝利」と宣言して、このスクールの国際ツアーのスポンサーになったと言う。
さて、サンバ・スクールのトップを行進する魅力的な女性ダンサーが、肉体美を強調するようになって、衣装が、年々、少しずつ消えて行った。
リオ・カーニバルを独占放映のグローボTVが、これを助長して、カーニバル・コンペにも油を注ぎ、ゴージャスなムラタ・ダンサー「ヴァレリア・ヴァレンサ」にスポットライトを当てた。この「グローボ美人」だが、クロッチに申し訳程度に絵を描いただけで、殆ど裸で、胸も露わな姿が放映され脚光を浴びると、負けじとばかりに、他のダンサーも追随して競争が過激化したと言う。
結局、揺り戻しが来て、ヴァレンサも舞台から降りてカーニバルの激しい批判者になったのだが、2008年に、「カーニバルは、肉体のフェスティバル、世俗的なフェスティバルで、そこにいる人間は、罪を犯しているのだ。」と言ったとか。
ショー化したリオに比べて、サルバドール、オリンダ、レシフェなど地方では、昔の皆のためのカーニバルに回帰しようと言う動きが起こり、サンバとは違って、マラカタやシランダと言ったその地のリズムが奏され、コンペではなく、巨大な人形を取り込んだパレードなどが行われている。
人形作者のシルビオ・ボテリョは、リオにも招聘されたが、リオのカーニバルは、商業的利益追求にハイジャックされて、旅行者への見世物スペクタクルに成り下がってしまっていると言って拒絶したと言う。
ローターは、リオのライバルであるサルバドールや、オリンダ、アマゾン地方のカーニバルについても語っているが、夫々、自分たちのフェスティバルには、夫々の地方の歴史と伝統を背負った独特の風習などがあって、カーニバルが、如何にあるべきか考えさせられる。
ところで、私は、サンパウロに4年間住んでいて、一度だけ、リオに一泊して、カーニバルがスタートする街の雰囲気を味わったことがあるが、この期間は、雑踏を避けて、家で、テレビでカーニバルを見ていた。
カーニバルの楽しみ方は色々で、街を踊り歩くのは貧民たちで、豊かな人々は、ホテルや巨大なイヴェント会場で、豪華なサンバ大パーティを催して踊り明かしていたし、もっと金持ちたちは、海外に出てバカンスを楽しむと言うことであった。
いずれにしろ、文化芸術と言うものは、静かに沈潜した民衆の生活からも生まれ出るけれど、度を過ごした無茶苦茶な人間のエネルギーの爆発の中からも生まれ出るものであり、どのカーニバルが良いのか悪いのかは、価値観の問題だと思っている。
エイズを恐れて、政府がコンドームを配布すると言うのだが、聞くところによると、何千人と言うカーニバル・ベイビーが生まれると言うのだから、正に、ブラジル全土で、人生謳歌の祭典が繰り広げられるのであろう。
リオのカーニバルが、有名だが、ブラジルのブルジョアが、パリの仮面舞踏会にヒントを得て、1641年に導入したと言うことだが、1930年に、リオの市長が、偶々、伝統的なカーニバルに新趣向として、貧しい黒人たちグループを参加させたところ、彼らが育んでいた新しいスタイルの音楽「サンバ」が人気を博して、大ブレイクしたのだと言う。
この黒人たちのサンバ・スクールは、独特なリズムと、刺激的で抒情的な歌を交えて、手の込んだ衣装を身に着けて、街路に飛び出して踊り回るのであるから、巷の人々を魅了してしまい、その結果、色々なリズムや活動が加わって行き、サンバが、徐々に、カーニバルと同義語になってしまったのだと言う。
リオに都が移り、コーヒーブームで、東北地方から駆り出された黒人奴隷たちが、生みだしたアフロ・ブラジリアン文化の一つの精華が、世界最高のカーニバルを生み出したと言うことである。
毎年、初春に、テレビで、リオのカーニバル模様が放映されて、ビートの利いた陽気なサンバのリズムと美しくて肉感的なムラータ嬢たちの激しい踊りが魅力的だが、あの「黒いオルフェ」と言う映画も良かった。
このカーニバル時期には、完全にブラジルの機能は停止してしまってカーニバル一色になってしまうのだが、ローターは、「カーニバルは、激烈な競争が展開されて、今や、産業industryになってしまった。」と言うのである。
リオでは、これまで、カーニバルの資金源は、陰の地下経済の隠れた存在であったのだが、最近では、大企業が、これらを押しのけて、自分たちの宣伝と利益を追求し始めた。
コンペティションは、リオの街中にある「サンボドロモ」で実施され、70000人のグランドスタンド席の前を1時間に7サンバ・スクールがパレードし、4人の審判員が、衣装の美しさから打楽器部門の出来栄えまで10項目に亘って採点する。
ところで、これらパレードのダンサーやドラマーたちは、バスの運転手、主婦と言った普通の人々で、殆どは、色々な労働者階級の人々だが、勝利の栄冠を夢見て、何ヵ月も必死になって、リズムやステップをマスターするために寸暇を惜しんで練習しているのである。
結果は、カーニバルの終わる灰の水曜日の午後に発表されて、その様子は全伯に放映される。
ところで、興味深いのは、勝つためには、サンバ・スクールは、カルナバレスコと称するプロを招聘して、カーニバルのオーガナイズや、デザイン、プレゼンの監督などを依頼するのだと言う。
勝利を目指すのは当然だが、サンバ・スクールによっては、二軍に落とされて、パレードから外されないようにするのも大切である。Aグループ14チームの内、最後尾の2チームは、Bグループトップ2チームと入れ替えられるのである。
リーダー的なサンバ・スクールは、最近、益々、派手で大規模なプレゼンに流れる傾向が出て来たので、資金需要が益々旺盛になる。
観光の為もあって、市政府が資金を出してはいるが、それでは足りる訳がなく、他の資金源が必須となる。
昔から、違法なアニマル・ゲームを主催しているブックメーカー吞屋が大口献金者であった。カーニバル参加者である住民たちのお蔭で金を儲けさせて貰っているのであるから、吞屋のボスが資金提供者になるのは当然の義務でもあると言う。
もう一つの資金源は、スラムの住人麻薬ボスで、幾分かは献金しているのだが、やはり、最近の大口は、大企業で、交換条件に、楽器や衣装にロゴを付けさせる。石油公団ペトロブラスも、献金者である。
何でもかんでも、金はどこからでも受け取ると言うことなのであろうが、ヴェネズエラのチャベス大統領から、ヴィラ・イサベラ・スクールが、2007年に、100万ドルを貰って、テーマを、「I'm Crazy About You, America: In Praise of Latinity」とした。
審判員が買収されたのであろうか、予期せず有り得ないことに、イサベラが優勝してしまったのであるが、チャベスは、「ラテン・アメリカ統合の勝利」と宣言して、このスクールの国際ツアーのスポンサーになったと言う。
さて、サンバ・スクールのトップを行進する魅力的な女性ダンサーが、肉体美を強調するようになって、衣装が、年々、少しずつ消えて行った。
リオ・カーニバルを独占放映のグローボTVが、これを助長して、カーニバル・コンペにも油を注ぎ、ゴージャスなムラタ・ダンサー「ヴァレリア・ヴァレンサ」にスポットライトを当てた。この「グローボ美人」だが、クロッチに申し訳程度に絵を描いただけで、殆ど裸で、胸も露わな姿が放映され脚光を浴びると、負けじとばかりに、他のダンサーも追随して競争が過激化したと言う。
結局、揺り戻しが来て、ヴァレンサも舞台から降りてカーニバルの激しい批判者になったのだが、2008年に、「カーニバルは、肉体のフェスティバル、世俗的なフェスティバルで、そこにいる人間は、罪を犯しているのだ。」と言ったとか。
ショー化したリオに比べて、サルバドール、オリンダ、レシフェなど地方では、昔の皆のためのカーニバルに回帰しようと言う動きが起こり、サンバとは違って、マラカタやシランダと言ったその地のリズムが奏され、コンペではなく、巨大な人形を取り込んだパレードなどが行われている。
人形作者のシルビオ・ボテリョは、リオにも招聘されたが、リオのカーニバルは、商業的利益追求にハイジャックされて、旅行者への見世物スペクタクルに成り下がってしまっていると言って拒絶したと言う。
ローターは、リオのライバルであるサルバドールや、オリンダ、アマゾン地方のカーニバルについても語っているが、夫々、自分たちのフェスティバルには、夫々の地方の歴史と伝統を背負った独特の風習などがあって、カーニバルが、如何にあるべきか考えさせられる。
ところで、私は、サンパウロに4年間住んでいて、一度だけ、リオに一泊して、カーニバルがスタートする街の雰囲気を味わったことがあるが、この期間は、雑踏を避けて、家で、テレビでカーニバルを見ていた。
カーニバルの楽しみ方は色々で、街を踊り歩くのは貧民たちで、豊かな人々は、ホテルや巨大なイヴェント会場で、豪華なサンバ大パーティを催して踊り明かしていたし、もっと金持ちたちは、海外に出てバカンスを楽しむと言うことであった。
いずれにしろ、文化芸術と言うものは、静かに沈潜した民衆の生活からも生まれ出るけれど、度を過ごした無茶苦茶な人間のエネルギーの爆発の中からも生まれ出るものであり、どのカーニバルが良いのか悪いのかは、価値観の問題だと思っている。