楊貴妃を知ったのは、勿論、高校時代の漢文の時間で、白居易の「長恨歌」を勉強した時で、その後、中国史で、唐時代の政治で、玄宗皇帝と楊貴妃の話を、多少詳しく知るようになった。
今回の歌舞伎「楊貴妃」は、大仏次郎の創作歌舞伎で、物語になっているので、荒唐無稽で話の辻褄や中身などには殆ど無頓着で芸で魅せる古典ものとは違って、私などの好みの舞台なので、楽しませて貰った。
絶世の美女「楊貴妃」を主人公にした芝居だが、大仏次郎の創作は、楊貴妃と玄宗皇帝の高官・高力士との恋物語に仕立て上げていることで、力士が、去勢された宦官であることが、微妙に物語に味付けをした感じで、面白くなっている。
史実では、高力士(海老蔵)が、楊貴妃(福助)を玄宗(梅玉)に引き合わせて後宮に入れたと言う話があるが、楊貴妃は、元々、玄宗と武恵妃の間の息子・寿王李瑁の妃であったのを、玄宗が見初めて、その命で宮中の太真宮に移り住み皇后に位する貴妃となった。
息子から妻を奪ったとする誹りを避けるために、その間、長安の東にある温泉宮にて、一時的に女冠(太真)として仕えさせていたのだが、舞台は、この蟄居生活をしている太真を3人の姉と従兄楊国忠(権十郎)が訪ねて来て、皇帝の命により来訪した高力士に伴われて後宮に向かうところから、始まる。
この舞台では、太真(楊貴妃)が、皇帝への仲立ちのために、しばしは、寺を訪れていた高力士に、密かに思いをよせていたと言う設定だが、現実には、この時点で既に皇帝と楊貴妃は内縁関係にあり、高力士との恋は有り得ないし、兄姉たちが明かす、高力士が、男の影の宦官だと言うことは、周知の事実の筈なのだが、大仏次郎は、楊貴妃の激しい恋心と男を絶たれた高力士の成さぬ恋を脚色して話を面白くしている。
玄宗皇帝は、非常に平凡でオーソドックスな描かれ方だが、唐代を代表する名君でありながら、楊貴妃に溺れたばかりに晩節を汚したとも言われている。一寸線が細い感じだが、梅玉が風格と品のある皇帝を演じていて爽やかである。
もう一つ面白いのは、中国最高峰の詩人李白を登場させていて、玄宗が李白を召した時、酔った李白が、高力士に靴を脱がせたと言う故事を引いて、「卿(そなた)は、手足がままにならぬほどに酔った時、無理に高力士に手伝わせて、靴を脱がせて貰った、と申すではないか、無礼なことです。」と言って、更に、李白の詞で「可憐の飛燕、新粧による、……そなたに似たものをさがせば、漢代に美人とうたわれた飛燕よりほかにないと申しておる」と玄宗に言われても、似ていると言われたのが頭にきて、李白の官職を免ずるなど、このあたりになると楊貴妃も高慢ちきの極に達している。
李白を演じるのは、東蔵で、楊貴妃を褒めちぎるくだりなどの語り口など面白いが、大詩人としてのスケール感に欠けていて、一寸イメージが違う。
さて、10年以上も経てばれっきとした楊貴妃。
玄宗が信頼する最高位の高官である筈の高力士を庭で呼び止めて、激しく迫る。
「さあ、高力士、そなたあたしを美しいと思わないかい? 手を触れて見たいとは思わなかった? もっと近くへ寄って、私の息や肌の匂いを吸って見たくはないの?……じっと私の顔を御覧。この目を……それから、唇を。」「今宵は、私がそなたを男にして上げる。天下にひとりのこの私が、そなたを男にして上げよう・・・ 今宵だけは、貴妃が許してあげるから、大胆に、思うとおりに振舞ってごらん、さあ、どうなりと……。(身を投げかける)」
無言……高力士は、段々我を忘れてくる。受身だったものが、忽然と男らしくなり、強い腕を廻して、貴妃を抱き寄せる。
貴妃は、それを見極めて置いてから、……静かに突放す。「無礼ではないか、高力士。」
邪恋に一途に狂っていた楊貴妃が、去勢して男を失った高力士を誘惑して殴りものにする激しさ、残忍さ。
(勝ち誇って静かに声を立てて笑う)……気におしでないよ、(皮肉に)現(うつつ)ではない、たかが影のしたことじゃ。
そなたが、私を――このように作り上げて置きながら、……そうではなかったか?と吐き捨てるようにつぶやく楊貴妃。
む、むごいことを……。と地に臥して呻く高力士に「どこに、大唐の楊貴妃を咎める者がある。」と貴妃は、冷然と高力士を見捨て、石段を昇って行く。
ところが、直後に、安禄山が謀反を起こして挙兵。
玄宗は首都・長安を抜け出し、蜀地方へ出奔することに決め、楊貴妃とともに逃げるが、馬嵬(陝西省興平市)に至ると、乱の原因となった楊国忠を強く憎んでいた陳玄礼と兵士達は、楊国忠を殺害し、更に、玄宗に対して、「賊の本」として楊貴妃を殺害することを要求した。玄宗は、「楊貴妃は深宮にいて、楊国忠の謀反とは関係がない」と言ってかばったが、高力士の進言によりやむなく、楊貴妃に自殺を命ずることを決意した。
楊貴妃は、高力士によって、縊死(首吊り)させられた。
これが、史実のようだが、この歌舞伎では、高力士が、玄宗に、楊貴妃に死を賜って敵方に渡すことを提案し、自ら、楊貴妃の首を絞めて簪で止めを刺す。
死に追い詰められた楊貴妃に、高力士は迫る。「貴妃さま、申上げます、私の、まことの心を申上げます……私は、貴妃さまをあの畜生どもの手に渡したくはありませぬ。いえ、畜生どもに限らず、誰の手にも渡したくはございませぬ。お上にも渡したくありませぬ。貴妃さまは誰のものでもなく……。」しかし、「(冷笑)それほど、私を渡すのが、惜しいのか、愚か者! 楊貴妃は誰のものでもない。お前の手に掛れば、この私が喜ぶとでも思うか? 身のほど知らぬその自惚を、皆の前で笑って、笑いとばしてから死んでやる、さ、おどき!」
争い、揉み合う。はずみで、高力士の手に羅布の先が握られる。駆け出ようとして、頸にからみ付いた布に、おのずと扼(しめ)られて苦しむ楊貴妃。高力士は、半殺しの鼠を弄ぶ猫のように悦び狂いながら気を失った躰を固く抱いて、廟内に入る。
泣き悲しむ侍女たち登場。これに従う高力士のみは悲しみの片鱗だになく、冷たい表情の底に、復讐を遂げた悦びを秘めている。
陳元礼(猿弥)に支えられて、力なく佇(たたず)んでいる玄宗に、「お上、切ないことで御座いましたが、錦でつつんだ御生前のお姿のまま兵士どもに引渡すことに致しましょう。おひと目、お別れを……。」高力士は告げる。
この最後の修羅場は、高力士の楊貴妃への復讐劇。
海老蔵は、徹頭徹尾、最初から最後まで、あの事件後の記者会見のような無表情で、人が変わったような表情を押し殺した優しい物言いで押し通していて、不気味なほどの冷静さ。
大仏次郎が、水谷八重子と滝沢修のために書いたと言う戯曲だと言うことで、どのような意図で書いたのか分からないが、極めて激しい愛と憎悪のミックスした心理劇で、白居易の長恨歌の世界と随分かけ離れた舞台であったので、一寸、面食らったのが正直なところである。
尤も、舞台セットは、一寸、貧弱ながら中国風に拘っていたようだが、昔読んだ本では、ウソか本当か分からないのだが、中国には、恋愛小説と言うジャンルはないと言うことだったし、芝居が、あまりにも日本的な物語なので、中国劇と言う見方をする必要がないと思って鑑賞させて貰った。
さて、主人公の楊貴妃だが、ウイキペディアによると、「容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。『長恨歌伝』によれば、髪はつややか、肌はきめ細やかで、体型はほどよく、物腰が柔らかであったと伝えられる。」と言う。
この舞台でも、玄宗に、「お前は近頃、少し肥ったから、風ぐらいに吹かれても、飛燕のように飛ばされる心配はまああるまい、はははははは。」と言わせているので、丁度、薬師寺や浄瑠璃寺の吉祥天女像をイメージすれば良いのであろうか。
宝塚の中国公演で、壇れいが、「楊貴妃の再来」だと言われたと言う話を聞いたので、吉祥天女像の福よかな高貴さと壇れいの美しさと品格、それに、学生時代に良く訪れた泉涌寺の楊貴妃観音のイメージをミックスした理想的なレィディ像を勝手に描いてみた。
この口絵写真は、インターネットで楊貴妃像を探していて、丁度、玄宗と楊貴妃が比翼の鳥と連理の枝を謳歌していた「華清池」に立つ楊貴妃の彫刻で、一番きれいで豊満なイメージのものを借用させて貰った。
福助の楊貴妃だが、少し、私のイメージとは違うが、大仏次郎作の愛と憎悪の心理劇、そして、権力を極めた貴妃ものの物語としての主人公としては、非常にキメ細かく心理描写に意を用いた体当たりの演技をしていたので、上出来だと思っている。
今回の歌舞伎「楊貴妃」は、大仏次郎の創作歌舞伎で、物語になっているので、荒唐無稽で話の辻褄や中身などには殆ど無頓着で芸で魅せる古典ものとは違って、私などの好みの舞台なので、楽しませて貰った。
絶世の美女「楊貴妃」を主人公にした芝居だが、大仏次郎の創作は、楊貴妃と玄宗皇帝の高官・高力士との恋物語に仕立て上げていることで、力士が、去勢された宦官であることが、微妙に物語に味付けをした感じで、面白くなっている。
史実では、高力士(海老蔵)が、楊貴妃(福助)を玄宗(梅玉)に引き合わせて後宮に入れたと言う話があるが、楊貴妃は、元々、玄宗と武恵妃の間の息子・寿王李瑁の妃であったのを、玄宗が見初めて、その命で宮中の太真宮に移り住み皇后に位する貴妃となった。
息子から妻を奪ったとする誹りを避けるために、その間、長安の東にある温泉宮にて、一時的に女冠(太真)として仕えさせていたのだが、舞台は、この蟄居生活をしている太真を3人の姉と従兄楊国忠(権十郎)が訪ねて来て、皇帝の命により来訪した高力士に伴われて後宮に向かうところから、始まる。
この舞台では、太真(楊貴妃)が、皇帝への仲立ちのために、しばしは、寺を訪れていた高力士に、密かに思いをよせていたと言う設定だが、現実には、この時点で既に皇帝と楊貴妃は内縁関係にあり、高力士との恋は有り得ないし、兄姉たちが明かす、高力士が、男の影の宦官だと言うことは、周知の事実の筈なのだが、大仏次郎は、楊貴妃の激しい恋心と男を絶たれた高力士の成さぬ恋を脚色して話を面白くしている。
玄宗皇帝は、非常に平凡でオーソドックスな描かれ方だが、唐代を代表する名君でありながら、楊貴妃に溺れたばかりに晩節を汚したとも言われている。一寸線が細い感じだが、梅玉が風格と品のある皇帝を演じていて爽やかである。
もう一つ面白いのは、中国最高峰の詩人李白を登場させていて、玄宗が李白を召した時、酔った李白が、高力士に靴を脱がせたと言う故事を引いて、「卿(そなた)は、手足がままにならぬほどに酔った時、無理に高力士に手伝わせて、靴を脱がせて貰った、と申すではないか、無礼なことです。」と言って、更に、李白の詞で「可憐の飛燕、新粧による、……そなたに似たものをさがせば、漢代に美人とうたわれた飛燕よりほかにないと申しておる」と玄宗に言われても、似ていると言われたのが頭にきて、李白の官職を免ずるなど、このあたりになると楊貴妃も高慢ちきの極に達している。
李白を演じるのは、東蔵で、楊貴妃を褒めちぎるくだりなどの語り口など面白いが、大詩人としてのスケール感に欠けていて、一寸イメージが違う。
さて、10年以上も経てばれっきとした楊貴妃。
玄宗が信頼する最高位の高官である筈の高力士を庭で呼び止めて、激しく迫る。
「さあ、高力士、そなたあたしを美しいと思わないかい? 手を触れて見たいとは思わなかった? もっと近くへ寄って、私の息や肌の匂いを吸って見たくはないの?……じっと私の顔を御覧。この目を……それから、唇を。」「今宵は、私がそなたを男にして上げる。天下にひとりのこの私が、そなたを男にして上げよう・・・ 今宵だけは、貴妃が許してあげるから、大胆に、思うとおりに振舞ってごらん、さあ、どうなりと……。(身を投げかける)」
無言……高力士は、段々我を忘れてくる。受身だったものが、忽然と男らしくなり、強い腕を廻して、貴妃を抱き寄せる。
貴妃は、それを見極めて置いてから、……静かに突放す。「無礼ではないか、高力士。」
邪恋に一途に狂っていた楊貴妃が、去勢して男を失った高力士を誘惑して殴りものにする激しさ、残忍さ。
(勝ち誇って静かに声を立てて笑う)……気におしでないよ、(皮肉に)現(うつつ)ではない、たかが影のしたことじゃ。
そなたが、私を――このように作り上げて置きながら、……そうではなかったか?と吐き捨てるようにつぶやく楊貴妃。
む、むごいことを……。と地に臥して呻く高力士に「どこに、大唐の楊貴妃を咎める者がある。」と貴妃は、冷然と高力士を見捨て、石段を昇って行く。
ところが、直後に、安禄山が謀反を起こして挙兵。
玄宗は首都・長安を抜け出し、蜀地方へ出奔することに決め、楊貴妃とともに逃げるが、馬嵬(陝西省興平市)に至ると、乱の原因となった楊国忠を強く憎んでいた陳玄礼と兵士達は、楊国忠を殺害し、更に、玄宗に対して、「賊の本」として楊貴妃を殺害することを要求した。玄宗は、「楊貴妃は深宮にいて、楊国忠の謀反とは関係がない」と言ってかばったが、高力士の進言によりやむなく、楊貴妃に自殺を命ずることを決意した。
楊貴妃は、高力士によって、縊死(首吊り)させられた。
これが、史実のようだが、この歌舞伎では、高力士が、玄宗に、楊貴妃に死を賜って敵方に渡すことを提案し、自ら、楊貴妃の首を絞めて簪で止めを刺す。
死に追い詰められた楊貴妃に、高力士は迫る。「貴妃さま、申上げます、私の、まことの心を申上げます……私は、貴妃さまをあの畜生どもの手に渡したくはありませぬ。いえ、畜生どもに限らず、誰の手にも渡したくはございませぬ。お上にも渡したくありませぬ。貴妃さまは誰のものでもなく……。」しかし、「(冷笑)それほど、私を渡すのが、惜しいのか、愚か者! 楊貴妃は誰のものでもない。お前の手に掛れば、この私が喜ぶとでも思うか? 身のほど知らぬその自惚を、皆の前で笑って、笑いとばしてから死んでやる、さ、おどき!」
争い、揉み合う。はずみで、高力士の手に羅布の先が握られる。駆け出ようとして、頸にからみ付いた布に、おのずと扼(しめ)られて苦しむ楊貴妃。高力士は、半殺しの鼠を弄ぶ猫のように悦び狂いながら気を失った躰を固く抱いて、廟内に入る。
泣き悲しむ侍女たち登場。これに従う高力士のみは悲しみの片鱗だになく、冷たい表情の底に、復讐を遂げた悦びを秘めている。
陳元礼(猿弥)に支えられて、力なく佇(たたず)んでいる玄宗に、「お上、切ないことで御座いましたが、錦でつつんだ御生前のお姿のまま兵士どもに引渡すことに致しましょう。おひと目、お別れを……。」高力士は告げる。
この最後の修羅場は、高力士の楊貴妃への復讐劇。
海老蔵は、徹頭徹尾、最初から最後まで、あの事件後の記者会見のような無表情で、人が変わったような表情を押し殺した優しい物言いで押し通していて、不気味なほどの冷静さ。
大仏次郎が、水谷八重子と滝沢修のために書いたと言う戯曲だと言うことで、どのような意図で書いたのか分からないが、極めて激しい愛と憎悪のミックスした心理劇で、白居易の長恨歌の世界と随分かけ離れた舞台であったので、一寸、面食らったのが正直なところである。
尤も、舞台セットは、一寸、貧弱ながら中国風に拘っていたようだが、昔読んだ本では、ウソか本当か分からないのだが、中国には、恋愛小説と言うジャンルはないと言うことだったし、芝居が、あまりにも日本的な物語なので、中国劇と言う見方をする必要がないと思って鑑賞させて貰った。
さて、主人公の楊貴妃だが、ウイキペディアによると、「容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。『長恨歌伝』によれば、髪はつややか、肌はきめ細やかで、体型はほどよく、物腰が柔らかであったと伝えられる。」と言う。
この舞台でも、玄宗に、「お前は近頃、少し肥ったから、風ぐらいに吹かれても、飛燕のように飛ばされる心配はまああるまい、はははははは。」と言わせているので、丁度、薬師寺や浄瑠璃寺の吉祥天女像をイメージすれば良いのであろうか。
宝塚の中国公演で、壇れいが、「楊貴妃の再来」だと言われたと言う話を聞いたので、吉祥天女像の福よかな高貴さと壇れいの美しさと品格、それに、学生時代に良く訪れた泉涌寺の楊貴妃観音のイメージをミックスした理想的なレィディ像を勝手に描いてみた。
この口絵写真は、インターネットで楊貴妃像を探していて、丁度、玄宗と楊貴妃が比翼の鳥と連理の枝を謳歌していた「華清池」に立つ楊貴妃の彫刻で、一番きれいで豊満なイメージのものを借用させて貰った。
福助の楊貴妃だが、少し、私のイメージとは違うが、大仏次郎作の愛と憎悪の心理劇、そして、権力を極めた貴妃ものの物語としての主人公としては、非常にキメ細かく心理描写に意を用いた体当たりの演技をしていたので、上出来だと思っている。