熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

六月大歌舞伎・・・素襖落

2014年06月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の「素襖落」は、これまでにも見ているのだが、殆ど覚えていない。
   このブログを見ると、
   太郎冠者が吉右衛門、大名某が富十郎、姫御寮が魁春、そして、もう一度は、
   太郎冠者が幸四郎、姫御寮は魁春、大名某が左團次、次郎冠者が高麗蔵、三郎吾が錦吾、鈍太郎が彌十郎 の舞台を観ていることが分かる。。
   今回は、昨年、狂言の「素襖落」を見たので、非常に興味を持って、鑑賞した。
   その時の狂言は、和泉流の「素襖落」で、太郎冠者が三宅右近、主が石田幸雄、伯父が野村万作であった。
   

   同じ舞台芸術でありながら、そして、殆ど同じストーリーを踏襲していながら、簡潔を旨とする狂言と、出来るだけ見せ場を作って派手に演じようとする歌舞伎とでは、見る観客の立場から云っても、全く違った世界となっていて、非常に面白い。
 
   狂言の話の筋は、
   伊勢参宮を思い立った主人が、参詣を希望していた伯父を誘うため、太郎冠者を遣いに出す。明日と言う誘いに伯父は同行できないので、太郎冠者に門出の祝いとして酒を振舞い、自分の代参を頼んで引出物の素袍を託す。素襖を隠し持って帰るのだが、主人たちと、舞を舞っている間に、落として主人に拾われて、大慌て。
   歌舞伎は、松羽目ものながら、この狂言の「素襖落」を舞踊化した歌舞伎舞踊で、長唄・義太夫をバックに繰り広げられる派手な舞台に変換されて、上演時間も倍になっている。 

   狂言では、登場人物は、シテ/太郎冠者、アド/主人、小アド/伯父の3人だが、歌舞伎では、伯父の代りに姫御寮を出すのだが、これは、靭猿で、シテの大名を女大名三芳野に代えているのと同じで、やはり、女性に代えて観客を楽しませようとするサービス精神の発露であろうか。
   ほかにも、大名某(左團次)に太刀持ち鈍太郎(彌十郎)を従わせ、姫御寮(高麗蔵)に次郎冠者(亀寿)と三郎吾(錦吾)の家来をつけて登場人物を増やして派手にしている。

   特に興味深いのは、狂言には全くないシーンで、女御寮の屋敷で酒に酔っ払ってからの舞台に、本来は能「八島、屋島」の、狂言方の小書に所作が入る仕形語りによる「那須与一語」がここに挿入されていて,酔っ払った太郎冠者に演じさせていることである。
   更に家来の二人も踊ると言う、正に、舞踊劇である。
   何となく、このほろ酔い気分で演じる那須与一のシーンが太郎冠者の見せ場と言う感じで,初演の外題は「襖落那須語」であったと言うのが、これを物語っていて面白い。

   この狂言の面白さが、何処にあるかと言うことだが、「狂言 茂山千作の巻」に、
   シテの太郎冠者がだんだんと酒に酔っていく様子や、素襖をもらって上機嫌だったのが素襖を落とした途端に不機嫌になる様子など、喜怒哀楽が素直に出る人間心理を巧みに表現した名作である。と記されている。
   Toutubeを検索すると、茂山千作の太郎冠者、茂山千五郎の主、茂山千之丞の伯父による素晴らしい舞台録画が鑑賞できるが、和泉流の野村万作も萬斎も、素襖落は茂山家が得意な曲だと言っているように、千作の太郎冠者の素晴らしさは秀逸で、観客の笑いが絶えない。
   これだけでも、狂言の素晴らしさと、この素襖落が名曲であることが良く分かる。

   さて、歌舞伎の舞台だが、大名某に呼ばれて登場する幸四郎の太郎冠者の姿が、絶えず傾斜傾向で下向きに出る狂言と違って、何故か、下腹を突き出し気味に登場してくるところから、何となく、雇い人に過ぎないと言う卑屈感が漂っていて、太郎冠者らしからぬ違和感を覚えた。
   何も、違う芝居だから、狂言の太郎冠者に拘る必要はないのだが、太郎冠者とは一体何なのか。
   茂山千三郎は、
   ”太郎冠者のキャラクターは何と言っても、「おバカ」でしょうね。彼はとにかくカン違いやヘマが多いんです。でもその「おバカ」さが愛敬につながり、単なる間抜け者にはとどまらない、たぐいまれな大らかさと滑稽さを作り出しています。”と言っている。

   この伯父・女御寮の前でも、太郎冠者は、自分がお供について行くと言うと餞別をくれるので、それを受け取るとお土産を買って来なければならないので、ついて行くと言うなと主に釘を刺されていることを暴露するし、酒好き故に、飲むほどに調子に乗って、相手を褒め上げて、主の悪口を言って愚痴をこぼして説教してくれと言うし、最後には、土産物にしようとしている品物を取り違えて言ったりしてしまう。
   何回も酒のお替りをしていると、3回目くらいからは、呂律も怪しくなるのだが、このあたりのテンションの高揚は、千作が実に上手い。

   一方、幸四郎の酒の飲みっぷり、どんどん酔って行く酩酊気味の表情など、勧進帳や魚屋宗五郎などの舞台でも素晴らしい芝居を見せているので、実に上手いのだが、どうしても、頭の中で計算しているような演技に見えて、太郎冠者の大らかで底抜けの明るさ面白さが見えてこないのである。
   この後、例の那須与一の舞が展開されているのだが、私など、どんどん、テンションが高じて行く庶民代表の太郎冠者の酔って行く醜態と人間らしさが、寸断されてしまって、幸四郎の芸だけが光って、芝居としては、何を表現したいのか、分からなくなってしまった。

   後場では、上機嫌で帰って来た太郎冠者は、主に悟られまいと素襖を必死に隠しながら陽気に舞うのだが、途中で落としてしまって、一気に意気消沈してしまって探し回る様子と、素襖を拾って太郎冠者の陽気だった訳を知った主が、一気に元気になって、これをネタにして太郎冠者を揶揄する攻守逆転劇の面白さなども、この曲の見どころであろう。
   狂言の方は、この逆転劇に徹している感じだが、歌舞伎は、筋は継承するものの、最後には、太郎冠者を真ん中にして、素襖を引っ張り合いながらの踊りにしており、ストーリー展開には拘らない舞踊劇になっている。
   どっちが良いのかは分からないが、私自身は、シャープで笑いとアイロニーに満ちたストレートな狂言の方が、面白いと思っている。
   新歌舞伎十八番には、かなり、能や狂言オリジンの演目が入っているのだが、当時の歌舞伎界の姿が分かるようで興味深い。
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わが庭:咲き続けるバラ

2014年06月09日 | わが庭の歳時記
   今、わが庭には、繰り返し咲きや遅咲きのばらが咲いている。
   深紅の大輪のベルサイユの薔薇は、かなり、花持ちの良いばらなので、大分長く楽しませて貰った。
   あおいもレディ・オブ・シャーロットも、何度も、返り咲いて咲き続けている。
   
   
   
      

   オベリスク仕立てのジャスミーナが、ピンクの可愛いばらをびっしり付けて、咲いている。
   途中で、液肥など肥糧をやり過ぎた所為か、ポールに巻きつけていた枝から伸びた側枝が長くなり過ぎて、膨らんでしまって、少し、恰好が悪くなった。
   
   
   

   スタンド仕立てのシャルル・ドゥ・ゴールは、紫がかった青色に近い花だと思っていたが、かなり、ピンクに近い。
   管理が悪くて、鉢を転がして花芽を沢山落としてしまったので、花付きが悪いのだが、新しい芽が伸びて咲き出したので、しばらくは、楽しめそうである。
   ノバーリスが、もう少しで咲き出しそうである。
   紫がかった優雅な花を開く。
   
   

   初春に買って、大鉢に植え替えていたドイツのコルデス社のウエディング ベルズも、一斉に咲き始めた。
   やはり、ドイツの花と言う感じで、カップ咲きのイングリッシュやフレンチのオールド・ローズ系の雰囲気はなく、丸弁高芯咲、外弁剣弁咲きというのであるからモダンローズである。
   
   
   
   
   他にわが庭で咲いている花は、ユリの仲間やあじさい、ハーブのコモンマロウ、クレマチス、フェイジョアと言ったところであろうか。
   
   
   
   
   
   

   下草でひっそりと咲いているのが、どくだみとツユクサ。
   ツユクサは、千葉から持ってきた椿の鉢から芽が出て咲いた花である。
   
   
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トマト・プランター栽培記録2014(8)イタリアン・トマト肥大、桃太郎ゴールド不作

2014年06月08日 | トマト・プランター栽培記録2014
   梅雨入りして、水分の補給が十分なのか、結実した実が、どんどん、肥大し始めた。
   あまり、梅雨がひどくて雨が多くなると、日照りが少なくなって、成長にも問題を来たし、病虫害の発生などで、困るのだが、今のところ、順調である。

   遅く植えて結実を始めたイタリアン・トマトの発育が良くて、実が肥大し始めて、口絵写真のロッソロッソなどは、一番大きいのは、ゴルフボールよりも大きくなってきた。
   ロッソロッソ、ボンリッシュ、ズッカ、ルンゴの実成り状態は、次の写真のとおり。
   今のところ、受粉アシストせずに、自然に任せての結実だが、実も間引いたりせずに、そのままの状態で育てて行こうと思っている。
   脇芽取りを忘れていて、少し伸びた芽を、プランターの隅に、挿し木していた芽が活着したので、試みに植え替えてみた。
   育つとは思うが、結実はどうか分からないが、育てて見ようと思う。
   
   
   
   
   
   

   タキイの大玉トマトだが、花付き実付きの差が出て、桃太郎ゴールドが、極端に悪い。
   桃太郎ファイトと並べて植えてあり、別の場所に植えてある桃太郎ゴールドが、ともに悪いのだから、苗の欠陥なのであろうか。
   花付きが悪いうえに、結実率が悪いので、一房に3個ないし4個の実を残すなどは、まず不可能で、良くて2個どまりの感じである。
   それに、肥大しても、実に傷がついて、このままでは、落果するか間引く以外になかろうと思う。
   
   
   

   一方、桃太郎ファイトは、実付きも順調で、ぼつぼつ、実が安定すれば、4個だけ実を残して、他の実を間引こうと思っている。
   昨年は失敗しているのだが、今年は、それなりに収穫できそうである。
   
   
   

   ミニトマトだが、タキイの小桃は、実付きが葉芽の5段以上から遅れて付いて、枝が間延びして背が高くなり、それに、花付き実付きも、多少悪いようである。
   日当たりに、少し問題があるのかも知れない。
   

   レッドとイエローともアイコは、花付き実付きも順調で、2本仕立てにしているので、かなりの収穫が、期待出来そうである。
   中玉トマトのフルーツボールもミニトマト並に、実付き花付きも、まずまずで、今のところ、一番早く、色付き始めそうである。
   ここまでのところ、今年のトマトのプランター栽培は、幸いなことに、異常はなく順調である。
   
   
   
   
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札幌そして小樽への旅(4)

2014年06月07日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   1日余裕が出来たので、本来なら、美瑛か富良野あたりまで、足を伸ばしたかったのだが、シーズンでもないのでバスツアーも思ったものがなく、レンタカーを借りて走るのも、何となく億劫になって、札幌からJRで30分で行ける小樽に行くことにした。
   何度か行っているので、それ程、期待もしていなかったのだが、前日の大嵐とは打って変わって晴天の、むしろ、暑いくらいの陽気であった。

   以前には、にしん御殿の小樽貴賓館など他の観光スポットにも足を運んでいるので、今回は、小樽駅から北上して、小樽運河やガラス製品などの店が並ぶ堺町通り、それに、北のウォール街と言われる色内大通などの旧市街を散策する程度であった。
   何となく、この小樽は港町でありエキゾチックな雰囲気があって、やや、西欧風の一寸レトロなムードの漂う街で、欧米生活が長かった私には、懐かしさを覚える街である。

   今回は、海岸淵を、左折れして田中酒造本店まで歩いて、折り返して運河沿いに堺町通り方向に歩いた。
   絵葉書にはならない西方の運河には、船が沢山係留されていて、息づいている現実の港の様相を呈している。
   遊歩道が続く対岸の倉庫群の西方一か所が工事か何かでグリーンの網が張られているので、写真にはならず、観光スポットとしての運河の魅力は半減である。
   
   
   
   

   一つ通りを奥に折れて東に歩くと、堺町通りの商店街が続き、観光客相手の店舗が続いている。
   やはり、小樽の街には、ガラス細工の店が多い。
   何回か訪れたベニスの街並みを思い出した。
   ムラノにも行って、ガラス細工の工場で、製品制作中のデモを見たこともあるのだが、これなどと比べると、ベニスの伝統とスケール、芸術的な質などと比べれば、小樽は、疑似的な印象だが、しかし、大正時代など欧米文化に憧れた日本人の思いと日本人の感性かミックスされて生まれたようなほのぼのとした雰囲気があって、懐かしさを覚える。
   
   

   面白かったのは、昆布の専門店があって、色々な昆布製品が売っていて、興味深く、良く分からないままに、いくらか衝動買いした。
   天井に、北海道各地で産出する昆布が張り付けて展示されていて、昆布にも随分違いがあるのだと分かって面白かった。
   何故か、分からないが、オルゴール尽くしのオルゴールばかりを展示販売している店があったが、当然、高級製品の大半は、スイスやドイツなどヨーロッパ製であった。
   まだ、小樽も、観光シーズンの始まりにしては、観光客が少なかったが、若い人が多く来ていて、中国人の団体の多いのにびっくりした。
   
   
   
   
   

   その後、引き返して、旧第一銀行や旧三井銀行などの立つ旧金融街を通り抜けて、旧日本銀行小樽支店の金融資料館に立ち寄った。
   一億円札の束を持ち上げると言うコーナーがあって、持ち上げてみたが、非常に重かったのだが、ふっと、5000万円を借りたと言う前の都知事の話を思い出した。
   ほんの数時間の小樽の休日であったが、それなりに面白かったのだが、ヨーロッパ生活が長かった私には、一寸、中途半端な感じで、歴史の浅い北海道の古い文化遺産なり歴史的景観は、疑似欧米風な印象が強くて、それが、立派に息づいていると言う感じと、どこかしっくりと行かない不思議な印象がミックスになった旅であった。
   
   
   
   
  
   すすきのに来たのであるから、夜、好きではない筈のラーメンを食べるために、観光案内書で推薦数の多い店を訪れた。
   あっさりした懐かしい味に満足して、北海道の旅を終えることが出来た。
   
   
   
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鎌倉のあじさい寺:長谷寺・明月院

2014年06月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅雨に入ったと言う週日の今日、まだ、少し早いと思ったのだが、観客でごった返すのが分かっているので、先を越して、鎌倉のあじさいを見に出かけることにした。
   尤も、鎌倉のあじさいは、有名なので、路傍は勿論、どの古寺にも、アジサイが植わっていて、風情があるのだが、この日訪れたのは、長谷寺と明月院の2寺であった。

   鎌倉に住んでいるので、それ程、苦労はないのだが、午後になってから出かけたので、大変な豪雨の中での古寺散策なので、いくら、あじさいが雨に似合う花だと言っても、ゆっくりと、花を楽しむと言った感じには行かなかった。
   花にとっては、正に、恵の雨と言うことで、水分を吸ったあじさいは、一気に大きく開花するのだと言う。

   あじさいの咲き具合は、昨年よりは少し遅いらしく、長谷寺が、4~5分咲き、明月院は、3分咲き程度で、やはり、鑑賞には1~2週間早いようで、明月院のノーブルなやや濃い目のコバルト・ブルーの姫あじさいの、あの深いブルーの素晴らしさを味わうことが出来なかった。
   1週間後くらいの休日には、長谷寺も明月院も、観光客の長蛇の列で、大変な賑わいになりそうである。
   その頃には、近くの公園や比較的見物客の来ない古寺などのあじさいを楽しみたいと思っている。

   
   長谷寺のあじさいは、背後の山に登る散策路の急斜面一面に植えられていて、明月院のようにブルー一色ではなく、青や赤、ピンクや白、それに、色々な種類のあじさいが植わっていて、カラフルである。
   驚いたのは、散策路入口に、入場整理券番号案内と言う立て看板が立っていて、待ち時間が、15分以上から順刻みに90分以上まで書かれていることで、最盛期の休日には、狭い境内に息が詰まるような犇めき合いまでして、あじさいを見なければならない難行苦行である。
   散策路頂上からは、確かに、眼下一面のあじさいと、遠く由比ヶ浜から鎌倉の街を見下ろせる眺望を楽しめるのだが、普段は、全く静かである。
   
   
   
   
   
   

   玄関口から、写経場門前、散策路入口などに、鉢植えのあじさいの名花が植えられていて、これらは、丁度見頃であり、それに、珍しい花が多いので楽しませてくれる。
   原産地は日本だが、西洋あじさいとして里帰りしている品種もあって、カタカナ文字のあじさいもかなりある。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   江ノ電で鎌倉に出て、JRで北鎌倉へ。
   明月院までの道は、まだ、雨足も穏やかだったが、明月院では、正に、梅雨時としては珍しい豪雨で、参道が雨しぶきにけぶっている。
   残念ながら、最盛期のアクアマリン・カラーの優雅なブルーに咲く花は、まだ、みつからないような状態で、一寸、寂しい感じであった。
   
   
   
   
   
   

   本堂前の枯山水の庭園は、丁度、ツツジが萌えていて実に美しい。
   本堂の部屋の丸窓ごしに仰ぐ庭園も、中々、絵になってよい。
   咲き乱れる菖蒲池を臨めるのだが、3時半閉園で、残念ながら、バックヤードの庭園に入ることが出来なかった。
   
   
   
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国立能楽堂・・・能「班女」

2014年06月05日 | 能・狂言
   世阿弥作の能「班女」は、狂言「花子」や歌舞伎「身替座禅」の登場人物である美濃の野上の遊女花子と吉田少将を主題にした曲で、舞台は異なるのだが、その二人の恋物語を、どのように展開しているのか、元は能だとしても、ジャンルの違いも含めて、非常に興味を感じて、期待して国立能楽堂に出かけた。

   都の貴公子吉田少将(ワキ/高井松男)が、春、東へ下る旅の途中、美濃の野上の宿で、遊女花子(シテ/今井清隆)と深い仲になり、帰途の再会を約して下向するのだが、花子は、取り交わした扇ばかりを眺め続けて仕事をしないので、宿の長(アイ/小笠原匡)から追い出される。
   その後、少将が東国からの帰途、野上に立ち寄るが、花子の不在を知らされる。
   帰洛した少将が、男女の仲を守ると言う下鴨の糺の森に行くと、激しい少将への思いのあまりに狂女となった花子に出会うのだが、二人とも当事者であることには気付かない。
   花子は、一人寝の寂しさを謡い、少将との幸せであった日々を懐かしみ、激しい思いを吐露しながら、形見の月を描いた扇を手にして舞い続ける。
   やがて、少将がその扇に気付いて、大切に所持していた夕顔を描いた扇を見せ、二人で交わした扇であることが分かって、目出度く二人は再会を喜ぶ。
   能「班女」のストーリーである。
   遊女花子の吉田少将を一途に思いつめたひたむきな恋を、「会う」に通じる「扇 あふぎ」と言う景物を配して描かれた「恋慕」の物狂能である。
   世阿弥の典型的な夢幻能とは違った現在能で、単純なハッピーエンドの終わり方が面白い。

   わたしが思っている程には愛されていない我が身の程を思い続けて、独り眠る班女の閨のわびしさ、あなたと取り交わした形見の扇を手にとり、物思いにふけるのです。
   シテの披露する舞や歌は、物狂としての芸でもありますが、花子の深い思いが重ね合されているものです。班婕の故事に基づく漢詩や、『源氏物語』等に見える恋の形見である扇を謡った早歌(鎌倉時代に成立した長編の歌謡)などが詞章に取り入れられ、シテの舞歌と恋慕の情が見事に融合しています。
   と、銕仙会の能楽事典に書かれている。
   前場はストーリーがあって分かり易い舞台展開なのだが、後場の糺の森のシーンからは、前述の世阿弥の薀蓄を傾けた流麗ながらやや高度な謡が抒情み豊かに謡われ、素晴らしい中ノ舞が舞われて、扇の交換となって終幕に向かう。
   

   ところで、タイトルの何故「班女」なのかだが、ウィキペディアが簡潔なので、引用すると、
   「班女」は「班氏の女」の謂で、具体的には班婕を指す。班婕は前漢の成帝の愛人であったが、趙飛燕にその座を奪われ、捨てられた我が身を秋の扇になぞらえて詩『怨歌行』を作った。この故事に因んでシテが「班女」と渾名されている。
   夏に使われた扇は、涼しくなった秋には見捨てられてしまうと言う謂いであろう。

   ところで、興味深いのは、「班女」が、狂言、そして、後に歌舞伎に影響を与えて、狂言「花子」、歌舞伎「身替御前」を生み出したことで、その話の展開が面白い。

   狂言も歌舞伎も、ストーリーは殆ど同じで、
   野上の遊女花子が上洛して、吉田少将(狂言では、夫)に、「逢いたい逢いたい」と手紙を寄越したので、居ても立っても居られない少尉が、行きたくてしょうがないのだが、女房の許しを得るのが至難の業で、持仏堂に一夜籠るだけと言う条件でOKを取る。
   太郎冠者に身代わりを押し付けて、花子との逢瀬に向かう。夜、様子を見に来た妻は、太郎冠者が身代わりとなって座禅衾を被っているのを見つけて激怒し、太郎冠者と入れ替わって座禅衾に籠って待っていると、逢瀬を楽しんでほろ酔い機嫌で帰って来た少将が、妻だとも知らずに、太郎冠者に聞かせるつもりで、幸せだった逢瀬のことどもを自慢話にして披露し、こともあろうに、女房のおかめ面について語ったことまで吐露してしまう。
   もうよかろうと、座禅衾を取られて姿を現した女房が、形相を変えて怒り狂って、びっくり仰天した少将を追い回す。

   狂言「花子」は、正に、一世一代の素晴らしい野村萬の舞台を観た。
   この「花子」は、「釣狐」が済んでから披くと言う名曲中の名曲だと言う極めて重い習物で、千作が、”色気づかんことには「花子」はできまへんからなあ”と言っている。
   また、万作も、”若いと、たとえば後シテの女との別れの後の色気が出ません。”と言う。
   花子のもとから帰って来て惚気話をするところからすっかり小歌節になり、花子は小歌に吟の変化が非常に多いところが難しいのだと言う。
   とにかく、微妙なストーリーで、ストレートに表現するのではなく、小歌に寄せて、濃艶にしかも品位を持って演じなければならないのだから、大変な狂言である。  

   歌舞伎の方は、とにかく、物語として、直球勝負の舞台劇であるから、上質なウィットとアイロニーを綯い交ぜにしたほろりとさせて心肝に響く喜劇でなければならない。
   私が観たのは、吉田某(山蔭右京)と奥方が、夫々、菊五郎と仁左衛門、團十郎と左團次、仁左衛門と段四郎と言った名優の素晴らしい舞台で、とにかく、人生功なり名を遂げた芸達者の役者が演じるしみじみとした喜劇の味の滋味深さを味わえる幸せは、観劇ファンの醍醐味である。

   ところで、この「班女」の後日譚が、能「隅田川」だと言うから興味深い。
   梅若丸の父が吉田の何某だと言うのだが、わが子を物狂いになって探し続け、隅田川河畔で、なくなった自分の子梅若の亡霊に会うと言う悲しくも切ない能である。

   野上の里は、世阿弥以前にも、歌枕としても知られていたのだが、この「花子」が、世阿弥の創作だと言うのが面白い。
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札幌そして小樽への旅(3)

2014年06月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   風の強い日であった。
   後で、TVを見て知ったのだが、札幌で最大風速が26.4メートルと言うので、円山公園のメトロの駅を出て地上に出た時には、歩けないほどの風圧であった。
   円山公園に入ったと思ったら、それは、北海道神宮の境内だったようで、梅林の下草のチューリップが今盛りで、咲き乱れていて美しい。
   口絵写真は、強風に煽られてなぎ倒されそうになっているチューリップである。
   鬱蒼と茂った境内なのだが、場違いに、このチューリップ畑は、カラフルで綺麗であった。
   ニコンのこのミラーレスは、合焦が素早いので、流石に、強風でもブレがない。
   
   
   
   

   真っ先に現われるのは、末社の開拓神社。
   北海道の開拓功労者を祀る神社で、厳粛な佇まいの中の実にシンプルな社殿で、若い女性が、ただ一人社殿に近づいて手を合わせていた。
   

   更に、丸山動物園の方に向かって林間の境内を歩いて行くと、北海道神宮の神門が見えてくる。
   神門前の左手に、綺麗な花が咲く庭園風の空間奥に、島判官銅像が立っている。
   顕彰碑には、島判官は、3神を背負って剣難の陸路を踏破して札幌に入り、この丸山を、3神奉斎の地と定め、昔の平安の都に習って雄大な札幌計画を打ち立てたのだと書かれている。
   北海道開拓の父(開拓の神)と呼ばれ顕彰されているのだが、厳冬酷寒の全く未開地雪国での都市建設ゆえに、多額の費用と労力と困難を要し、開拓長官・東久世通禧と衝突したため、志半ばで解任され、後に初代秋田県知事になるも、江藤新平と共に佐賀の乱を起こして敗れ、捕らえられて斬罪梟首となったと言うのだから、数奇な運命である。

   条里制を取って整然と都市づくりがなされた原点が、島判官の哲学にあったと言うことを知らなかったのだが、ここで、改めて、北海道開発が占める、日本の歴史における位置づけを感じて、感慨を新たにした。
   無謀な戦争のために、まかり間違えば、朝鮮半島やドイツのように、日本国が東西に分断されて、北海道が、ソ連に編入されていた可能性もあった事実を、この北海道で知って、慄然としたのである。
   境内で、外人が書いた絵馬などを見ながら、小一時間過ごして、神宮を離れた。
   
   
   

   梅園に引き返して、道を渡って円山公園に入り、暫く歩いて、丸山原始林入口まで行ったのだが、雨がぽつぽつ降り始めて、嵐模様になってきたので、引き返した。
   僅かな時間の丸山散策だったが、北海道を身近に感じた半日でもあった。
   
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六月大歌舞伎・・・「昼の部」「夜の部」非常に意欲的な舞台

2014年06月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初期に集中して、歌舞伎座の歌舞伎を昼夜鑑賞した。
   非常に意欲的な舞台展開で楽しませて貰ったのだが、私としては、好き嫌いがはっきりした公演であった。

   もう、歌舞伎を観続けて20数年になるのだが、どうしても、歌舞伎の舞台を劇として見る傾向が抜けきれなくて、物語性、ストーリーとしての舞台展開の面白さがなければ楽しめないところがある。
   これは、私自身のパーフォーマンス・アーツと言うか、音楽鑑賞や観劇のスタートが、クラシック音楽やオペラから始まって、30年ほど前にロンドンでシェイクスピア劇鑑賞に入れ込み始めて、その後から、歌舞伎・文楽鑑賞に入ったと言うことが原因しているのかも知れないと思っている。

   したがって、歌舞伎でも、近松門左衛門の世界が好きなので、和事の方に興味があり、どちらかと言えば、荒唐無稽で物語性の希薄な見せて魅せる荒事の方には、あまり興味がないし、型を重視する古典歌舞伎の方にも、少しずつ違和感を感じ始めている。
   
   そんなところから、今回の歌舞伎では、ストーリー性の豊かな現代歌舞伎と言うべき真山青果の「大石最後の一日」と「名月八幡祭」は、面白く鑑賞させて貰った。
   「大石・・・」は、真山の「元禄忠臣蔵」の一部なので、以前に、国立劇場で、ほぼ、完全に近い通し狂言として3か月に亘って上演されており、非常に密度の高い劇的な舞台に感動したのを覚えている。
   この舞台と「御浜御殿綱豊卿」とは、比較的良く舞台にかかり、歌舞伎座でも見る機会がある。
   これは、浪士お預け先の若殿細川内記(隼人)と浪士たちとの面会、磯貝十郎左衛門(錦之助)とおみの(孝太郎)の純愛を絡ませた大石最後の一日で、非常に、密度の高い感動的な舞台である。
   大石の幸四郎は、決定版とも言うべき素晴らしい内蔵助で、また、磯貝の金之助は3回目であり、二人ともはまり役と言うところであろう。
   孝太郎は、実に上手く、感動的なおみのを演じていて涙を誘う。

   「名月八幡祭」は、越後の実直な商人縮屋新助(吉右衛門 )が、深川きっての芸者美代吉(芝雀 )に恋をして、深川大祭に必要な衣装代に苦しむ美代吉の甘言にのって、故郷の田地田畑を捨て値で売って工面したのだが、旦那の旗本藤岡慶十郎(又五郎)からの手切れ金100両が入ったのでお払い箱。
   狂った新助が、お祭りの日に、通り合わせた美代吉を殺害する。
   この話は、黙阿弥の「八幡祭小望月賑」をもとにして池田大伍が書き換えたと言うことだが、「籠釣瓶花街酔醒」の別バージョンと言った感じで、吉右衛門の新助は、佐野次郎左衛門を観ている思いであった。
   籠釣瓶は、吉原の花魁八ッ橋を相手に下野の豪商次郎左衛門との対決であるから、言うならば、ワンランク上のクラスの舞台展開なので、この舞台は、一寸、庶民性を帯びた感じである。
   世間を知らずに一途に思いつめる田舎者の新助を、吉右衛門は実に感動的に演じており、今回は、威勢の良い芸者を演じるテンポとテンションが高じた芝雀との掛け合いが、中々、興味深く楽しませてくれる。
   この舞台で、どうしようもないヤクザなひもを演じる船頭三次の錦之助が良い味を出していて、先の忠臣蔵の磯貝との芸の落差と、その面白さが秀逸である。

   新歌舞伎十八番の内 「素襖落」だが、狂言の「素襖落」を脚色した舞踊劇だが、内容も印象も、大分違っていて、前回の「靭猿」と同様に、見せる舞台になっていて、狂言の持つピリッとした緊張感とエスプリの利いた切れの良さがなくなってしまっている。
   勿論、幸四郎の太郎冠者も、歌舞伎役者の太郎冠者と言うか、役者になり切ってしまって、狂言の鋭角的な面白さ滑稽さとは異質な世界を演じていた。
   印象記は、後日に譲りたい。

   お国山三 「春霞歌舞伎草紙」は、時蔵のお国と菊之助の山三が、非常にムードのある夢幻舞踊を演じており、バックで踊る今を時めく若手の役者の若衆と女歌舞伎が華麗で美しい。
   「お祭り」は、鳶頭松吉の仁左衛門と若い者の孫・千之助 の素晴らしい清元の舞踊劇。
    いなせで粋な仁左衛門が帰って来た舞台で、客席は大喜び。

   さて、「蘭平物狂」は、松緑の独壇場の舞台で、子息が尾上左近としてお目見えする襲名披露初舞台。
   松緑の豪快華麗な立ち回りと、若年ながら、実に堂に入った格好良い左近の芸にやんやの喝采。
   「実盛物語」は、斎藤実盛の菊五郎と、瀬尾十郎の左團次の舞台。
   
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都響プロムナード・コンサート(6・1)

2014年06月01日 | クラシック音楽・オペラ
   前回は大嵐で行けなかったので、久しぶりの都響のサントリー・ホールでのプロムナード・コンサートに出かけた。
   昼のコンサート・シリーズに切り替えて、一気に、楽になったのだが、休日なので、大体いつも満席である。

   前回は、1階中央の左翼通路側の席だったのだが、今期は、1階後列中央の通路側に席を取ったので、音のバランスが良く、それに、出入りがもっと便利になったので、助かっている。
   尤も、1階の中央席だと、前の客次第で視野が遮られることがあるので、問題だが、優先予約の権利があっても、思うような席は、中々取り難い。

   この日は、オランダの指揮者マルク・アルブレヒト。
   演目は、フィガロの結婚序曲、シューマン:4本のホルンと管弦楽のためのコンユェルトシュテュック ヘ長調、ブラームス(シェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番 ト短調(管弦楽版)

   ホルンは、ベルリン・フィルハーモニック・ホルン・カルテットで、4人の素晴らしい奏者の華麗な演奏で、2曲のアンコールが、興味深かった。
   1曲目は、私には、何となく、ニュー・オーリンズのプリザベーション・ホールで聞いた軽快なジャズののりの雰囲気で懐かしさを感じた。
   2曲目は、とんでもないアンコールだと言いながら、西高島平から地下鉄路線の駅名を一人が日本語の早口言葉で捲し立てて、3人の奏者がホルンで合わせると言う興味深い演奏であった。
   

   最後のシェーンベルク編曲のブラームスだが、これまでに、聴きたくないようなシェーンベルクばかりを経験しているので、途轍もない曲ではないかと思ったのだが、不思議にもロマン派のブラームス節の素晴らしいオーケストレーションで、感激して聴いていた。
   昔、オランダに住んでいた頃、コンセルトヘボーの現代音楽シリーズもメンバーチケットを持っていたので、随分、シェーンベルクを聴かされたので、余計に、そう感じている。

   日本のオーケストラ・コンサートの場合には、アンコールがあってもなかっても、最後の曲が終わると、2回くらいのカーテンコールに付き合ってすぐに席を立つことにしている。
   私の若い頃には、どんなコンサートでも、2時間以上は演奏が続いたように思うし、アンコールも必ずあったのだが、最近は、演奏時間が、随分短くなり、正味、1時間半を切るコンサートなど、ざらにある。
   勿論、長ければ良いと言うものでもないので、時間が問題と言うことでもないのだが、選曲によっては、魅力に乏しいものが多くなって来たような気がしている。

   余談だが、2時開演で、4時15分前に終わったので、4時半開演の歌舞伎座の夜の公演に十分間に合ったのだが、この頃、鎌倉からの出入りも大変なので、多少、ダブっても、夜昼公演鑑賞のはしごをすることが多くなった。
   
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