久しぶりに、海外旅行に出た。
前に上海を見てから随分経つので、今日の中国を見たくて、今度は、団体旅行で参加した。
最初に中国に行ったのは、1980年の初夏で、ビジネス調査のために北京へ、その後、天安門事件前に、ビジネスで上海に、そして、10年ほど前に、イギリスの大学院を出た次女の卒業旅行を兼ねて上海・蘇州・杭州旅行をしたのだが、すべて個人旅行だったが、今度は、4度目の中国旅行で、団体旅行に乗った。
とにかく、正直なところ、中国の進歩発展は、目を瞠るばかりで、行く度毎に、驚異的な発展を遂げており、日本では、中国に対してかなり評価が低いのだが、私自身は、既に、色々な意味で、日本を凌駕していると思っている。
私が、今回上海へ行くと言ったら、知人で中国ビジネスでも積極的にアプローチしていた元政府高官が、あの廃油油での食品を懸念して止めるように示唆したのだが、毎日廃油食品を食べるわけではなく、偶のことだし、日本でも結構ひどいので、大差ないと思っている。
今回も、前と同じように、車で、上海から、蘇州と無錫を訪問するために、高速道路で走ったのだが、殆どの区間は片方4車線でで繋がっており、インターチェンジが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
そして、蘇州など地方の都市に入れば、幹線道路は3車線で、その外に、電動2輪車や自転車道が敷設されていて、その外に街路樹が植えられていて歩道が走っている。
昔からの習慣であろう、道路と歩道の間には、必ず、並木が植えられていて、これが風格があって美しく、蘇州の幹線道路の真ん中の分離帯の並木には、日本の綺麗に剪定された盆栽様の植木が植えれていて素晴らしい。
とにかく、住居地帯の都市景観にしても、今回、羽田から京急で、そして、横浜から大船まで横須賀線で帰ったが、日本の方が、はるかに、殺風景である。
尤も、中国は、先進国と発展途上国の同居する二重経済大国であって、貧しい中国が、あっちこっちにに残っていて、必ずしも、前述の指摘が通用しない点もあるのだが、しかし、この4回の間をおいての中国訪問の印象を考えれば、時間の問題だと思っている。
今回は、初めて、蘇州などの中国の古い町並みと言うか、綺麗にはなっているのだが、伝統的な中国の雰囲気を味わうことができた。
日本の京都など、あっちこっちで、歴史的な町並み保存が行われているが、これは、非常に素晴らしいことで、中国でも積極的に行われていて、沢山の観光客を集めている。
あっちこっちで、沢山の中国人の観光客が観光を楽しんでおり、そのバイタリティの凄さに感激した。
もう、40年近くなるが、天安門を潜って、紫禁城を観光した時には、殆ど中国人の観光客など居らずに、私と同僚二人だけで、殆ど無人の紫禁城を見て回ったのを思うと、今昔の感である。



上海は、何と言っても、外灘と、そこから仰ぐ浦東の近代的な市街風景の威容で、新中国の躍進が如何に凄いかが分かって感動的である。
私は、ニューヨークを訪れる度毎に、上海のこの威容を思ってその1世紀を経た人類の歴史の差を感じて、感慨に耽る。
外灘の揚子江支流岸を見れば、戦前全盛期の上海の国際都市の威容を感じるし、浦東を仰げば、21世紀の新興国の発展進歩の凄さが分かる。
上海は、正に世界に冠たる大都市だと思う。








もう一つの誤解は、中国のPM2.5問題。
北京など、北部中国は、冬季には、雨が降らず風もないので、深刻な模様だが、上海の空は、東京と殆ど変わらず、晴天でクリア。
中国人は誰もマスクを着けていないし、実際の空気の汚染度は分からないが、マスクなしで通した。
前に上海を見てから随分経つので、今日の中国を見たくて、今度は、団体旅行で参加した。
最初に中国に行ったのは、1980年の初夏で、ビジネス調査のために北京へ、その後、天安門事件前に、ビジネスで上海に、そして、10年ほど前に、イギリスの大学院を出た次女の卒業旅行を兼ねて上海・蘇州・杭州旅行をしたのだが、すべて個人旅行だったが、今度は、4度目の中国旅行で、団体旅行に乗った。
とにかく、正直なところ、中国の進歩発展は、目を瞠るばかりで、行く度毎に、驚異的な発展を遂げており、日本では、中国に対してかなり評価が低いのだが、私自身は、既に、色々な意味で、日本を凌駕していると思っている。
私が、今回上海へ行くと言ったら、知人で中国ビジネスでも積極的にアプローチしていた元政府高官が、あの廃油油での食品を懸念して止めるように示唆したのだが、毎日廃油食品を食べるわけではなく、偶のことだし、日本でも結構ひどいので、大差ないと思っている。
今回も、前と同じように、車で、上海から、蘇州と無錫を訪問するために、高速道路で走ったのだが、殆どの区間は片方4車線でで繋がっており、インターチェンジが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
そして、蘇州など地方の都市に入れば、幹線道路は3車線で、その外に、電動2輪車や自転車道が敷設されていて、その外に街路樹が植えられていて歩道が走っている。
昔からの習慣であろう、道路と歩道の間には、必ず、並木が植えられていて、これが風格があって美しく、蘇州の幹線道路の真ん中の分離帯の並木には、日本の綺麗に剪定された盆栽様の植木が植えれていて素晴らしい。
とにかく、住居地帯の都市景観にしても、今回、羽田から京急で、そして、横浜から大船まで横須賀線で帰ったが、日本の方が、はるかに、殺風景である。
尤も、中国は、先進国と発展途上国の同居する二重経済大国であって、貧しい中国が、あっちこっちにに残っていて、必ずしも、前述の指摘が通用しない点もあるのだが、しかし、この4回の間をおいての中国訪問の印象を考えれば、時間の問題だと思っている。
今回は、初めて、蘇州などの中国の古い町並みと言うか、綺麗にはなっているのだが、伝統的な中国の雰囲気を味わうことができた。
日本の京都など、あっちこっちで、歴史的な町並み保存が行われているが、これは、非常に素晴らしいことで、中国でも積極的に行われていて、沢山の観光客を集めている。
あっちこっちで、沢山の中国人の観光客が観光を楽しんでおり、そのバイタリティの凄さに感激した。
もう、40年近くなるが、天安門を潜って、紫禁城を観光した時には、殆ど中国人の観光客など居らずに、私と同僚二人だけで、殆ど無人の紫禁城を見て回ったのを思うと、今昔の感である。



上海は、何と言っても、外灘と、そこから仰ぐ浦東の近代的な市街風景の威容で、新中国の躍進が如何に凄いかが分かって感動的である。
私は、ニューヨークを訪れる度毎に、上海のこの威容を思ってその1世紀を経た人類の歴史の差を感じて、感慨に耽る。
外灘の揚子江支流岸を見れば、戦前全盛期の上海の国際都市の威容を感じるし、浦東を仰げば、21世紀の新興国の発展進歩の凄さが分かる。
上海は、正に世界に冠たる大都市だと思う。








もう一つの誤解は、中国のPM2.5問題。
北京など、北部中国は、冬季には、雨が降らず風もないので、深刻な模様だが、上海の空は、東京と殆ど変わらず、晴天でクリア。
中国人は誰もマスクを着けていないし、実際の空気の汚染度は分からないが、マスクなしで通した。