熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初春の上海・江南紀行(1)中国の今日

2017年01月15日 | 初春の上海・江南紀行
   久しぶりに、海外旅行に出た。
   前に上海を見てから随分経つので、今日の中国を見たくて、今度は、団体旅行で参加した。
   最初に中国に行ったのは、1980年の初夏で、ビジネス調査のために北京へ、その後、天安門事件前に、ビジネスで上海に、そして、10年ほど前に、イギリスの大学院を出た次女の卒業旅行を兼ねて上海・蘇州・杭州旅行をしたのだが、すべて個人旅行だったが、今度は、4度目の中国旅行で、団体旅行に乗った。

   とにかく、正直なところ、中国の進歩発展は、目を瞠るばかりで、行く度毎に、驚異的な発展を遂げており、日本では、中国に対してかなり評価が低いのだが、私自身は、既に、色々な意味で、日本を凌駕していると思っている。
   私が、今回上海へ行くと言ったら、知人で中国ビジネスでも積極的にアプローチしていた元政府高官が、あの廃油油での食品を懸念して止めるように示唆したのだが、毎日廃油食品を食べるわけではなく、偶のことだし、日本でも結構ひどいので、大差ないと思っている。

   今回も、前と同じように、車で、上海から、蘇州と無錫を訪問するために、高速道路で走ったのだが、殆どの区間は片方4車線でで繋がっており、インターチェンジが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
   そして、蘇州など地方の都市に入れば、幹線道路は3車線で、その外に、電動2輪車や自転車道が敷設されていて、その外に街路樹が植えられていて歩道が走っている。
   昔からの習慣であろう、道路と歩道の間には、必ず、並木が植えられていて、これが風格があって美しく、蘇州の幹線道路の真ん中の分離帯の並木には、日本の綺麗に剪定された盆栽様の植木が植えれていて素晴らしい。
   とにかく、住居地帯の都市景観にしても、今回、羽田から京急で、そして、横浜から大船まで横須賀線で帰ったが、日本の方が、はるかに、殺風景である。
   
   尤も、中国は、先進国と発展途上国の同居する二重経済大国であって、貧しい中国が、あっちこっちにに残っていて、必ずしも、前述の指摘が通用しない点もあるのだが、しかし、この4回の間をおいての中国訪問の印象を考えれば、時間の問題だと思っている。

   今回は、初めて、蘇州などの中国の古い町並みと言うか、綺麗にはなっているのだが、伝統的な中国の雰囲気を味わうことができた。
   日本の京都など、あっちこっちで、歴史的な町並み保存が行われているが、これは、非常に素晴らしいことで、中国でも積極的に行われていて、沢山の観光客を集めている。
   あっちこっちで、沢山の中国人の観光客が観光を楽しんでおり、そのバイタリティの凄さに感激した。
   もう、40年近くなるが、天安門を潜って、紫禁城を観光した時には、殆ど中国人の観光客など居らずに、私と同僚二人だけで、殆ど無人の紫禁城を見て回ったのを思うと、今昔の感である。
   
   
   

   上海は、何と言っても、外灘と、そこから仰ぐ浦東の近代的な市街風景の威容で、新中国の躍進が如何に凄いかが分かって感動的である。
   私は、ニューヨークを訪れる度毎に、上海のこの威容を思ってその1世紀を経た人類の歴史の差を感じて、感慨に耽る。
   外灘の揚子江支流岸を見れば、戦前全盛期の上海の国際都市の威容を感じるし、浦東を仰げば、21世紀の新興国の発展進歩の凄さが分かる。
   上海は、正に世界に冠たる大都市だと思う。
   
   
   
   
   
   
   
   
      
   もう一つの誤解は、中国のPM2.5問題。
   北京など、北部中国は、冬季には、雨が降らず風もないので、深刻な模様だが、上海の空は、東京と殆ど変わらず、晴天でクリア。
   中国人は誰もマスクを着けていないし、実際の空気の汚染度は分からないが、マスクなしで通した。
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トランプの自動車業界への介入

2017年01月11日 | 政治・経済・社会
   トランプのツイッターでの自動車業界のメキシコ投資に対する糾弾などで、アメリカの自動車会社が、パニック状態で、対応が迫れている。
   結論から言えば、トランプの姿勢は、邪道と言うべきか、違法とも言うべき色彩の強い介入だが、結果的には、天に唾する行為で、ICT革命とグローバライゼーションの今日において、決して、アメリカの国民にも経済にも、プラスにはなり得ない。

   トランプは、既に、大統領選でも、NAFTA解消を唱えていたので、アメリカの製造業の雇用を奪っているのは、アメリカ企業のメキシコ進出であり、メキシコの製造業の台頭だと考えており、同列の議論で、中国へも不満の矛先を向けている。
   しかし、この現象は、要素価格平準化定理が、グローバライゼーション経済において作用している厳然たる事実で、同じ作業をしている労働者の賃金は、世界的に平準化して、
   アメリカの自動車会社の賃金が高いので、メキシコの労働者と同じ賃金に下がらざるを得ず、下がらなければ、自動車会社は、工場をメキシコに移すので、アメリカの労働者は失業する。

   このNAFTAの自由貿易によって、プロダクション・シェアリングによる安い自動車と言うアメリカの消費者が享受する利点を反故にすることであって、結果的にも、アメリカ経済の力を削ぐことになる。
   GMがメキシコで製造する車の90%は、アメリカへ輸出されていると言うし、自動車部品の多くがメキシコ産だと言うことで、トランプ政策の進展で、これまで、NAFTAで培われてきた自動車産業のサプライチェーンが齟齬をきたし後ろ向きの再構築が迫られる。

   アメリカの雇用を奪っているのは、何も、自動車など製造業だけではなく、ICTエンジニアや弁護士や会計士と言ったサービス産業や高度な専門職などにおいても、要素価格平準化定理のグローバル展開で、どんどん、窮地に立ち始めていると言う。
   自動車産業並みに、すべてに、トランプ主義を適用して対処して行けば、大変なことになり、アメリカ経済の屋台骨さえ揺さぶりかねなくなる。

   根本的には、今懸念されているアメリカ資本主義の衰退によるアメリカ経済の弱体化によって引き起こされたアメリカ産業の退潮であって、アメリカ経済が強く健全であれば、これほど、ラストベルトにおける製造業の衰退や白人労働者の大量失業なども起らなかったであろうし、トランプ現象も起らなかったはずである。
   すなわち、アメリカ経済を再構築して、健全で活力ある国際競争力を強化した経済体制に脱皮させたい限り、トランプの内向きの保護主義敵的な貿易経済政策の推進では、アメリカの経済を、どんどん、弱体化させるだけである。

   これを査証するのは、EU,特に、ユーロ圏において、健全経済を維持して唯一快進撃するドイツの一人勝ち経済の強さである。
   シチュエーションは多少異なるが、アメリカとメキシコの関係は、ドイツと南欧諸国と近似しており、アメリカ経済が強ければ、事情が変わっていた筈である。

   再説するが、ICT革命とグローバライゼーションによって、フラット化して瞬時にすべてが平準化作用で連結された国際経済においては、最早、保護主義的な貿易経済政策では、国内経済は守り切れず、その政策を強化すれば擦るほど、国内経済の国際競争力を削ぎ、弱体化させるだけだと言うことである。

   もう一つ、詳細は省略するが、リカードの説いた貿易の大原則である比較優位論を無視した保護貿易政策の追求は、根本的に、アメリカ経済を弱体化させて、アメリカ国民の生活をないがしろにすることになると言うことを、付記しておきたい。
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壽初春大歌舞伎・・・「将軍江戸を去る」「井伊大老」

2017年01月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初春大歌舞伎で、二つの幕末と明治維新の激動期を舞台にした演目が上演されたので、興味深く観た。
   何回も観ている舞台なので、それ程、感慨はないのだが、演じる役者によって、大きく印象が異なる演目である。

   まず、「将軍江戸を去る」は、真山青果の作。
   徳川慶喜 染五郎、山岡鉄太郎 愛之助、高橋伊勢守 又五郎

   この歌舞伎は、二幕四場で、第一幕 江戸薩摩屋敷 第二幕 第一場 上野の彰義隊 第二場 同 大慈院 第三場 千住の大橋 なのだが、第一幕の勝海舟と西郷隆盛との江戸城明け渡しの決定的なシーンが省略されていて、第二幕だけなので、大分、この戯曲の良さがそがれている。
   この勝西郷会談で、西郷は、多くの民が平穏無事に生活している江戸市中を火の海にしようとした自分たちの愚かさ、そして無辜の民を殺さなければならない戦争の悲惨さ無意味さを慨嘆し、江戸城の無血開城と慶喜の助命は、朝廷のみならず官軍を救うことになると、大粒の涙を流して心情を吐露する。

   この第二場は、既に、将軍慶喜が、大政を奉還し、江戸城を無血開城して、上野寛永寺で謹慎中、翌朝に、江戸を発つ予定だったのだが、急に出発を取りやめると言いだしたので、警護中の彰義隊を突破して、山岡鉄太郎が、決死の覚悟で乗り込み、将軍を説得する劇的な舞台である。
   鉄太郎は、水戸は幽霊勤皇だと叫んだので、堪忍袋の緒が切れて刀に手をかけた慶喜に、見かけだけの「尊王」ではなく、天皇に経済力と兵力を納めて皇室を敬う「勤王」の精神に立ち返るべしと諌める。将軍が、最後に江戸を離れる「先住の大橋」の場が、江戸幕府の終焉を告げて感動的である。

  この山岡鉄太郎の行動には、西郷隆盛との事前に重要な談判が存在する。
  西郷との談判あっての山岡であって、一切を承知して慶喜を守り、江戸を守ろうと必死に奔走した山岡であったから、慶喜を説得して江戸からの出立を死守しなければ、死んでも死にきれなかったのである。 

  官軍の江戸総攻撃の15日の前、3月9日に、山岡鉄太郎は、慶喜の意を体して、勝海舟の紹介を得て、駿府まで進撃していた東征軍の大総督府に赴き、西郷と面会する。
  東征軍から、徳川家へ開戦回避に向けた条件提示がなされ、江戸城総攻撃の回避条件として西郷から山岡へ一方的な7箇条が示される。
  そのうち、第1条の「徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。」だけはどうしても受け入れることができず談判して保留として、江戸に持ち帰り勝に伝える。
   結局、この7箇条は、勝・西郷会談で、やや、骨抜きにされて、第1条は、「徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する。」と言う条項に代わって、この舞台のように、将軍は江戸を去ることになるのだが、謀反を試みる輩が多数存在し不穏な状態の中で、慶喜が水戸隠居の意志を翻して江戸退去が遅れると、すべてが反故となるので、山岡鉄太郎と高橋伊勢守は、官軍の仕打ちに断腸の思いで憤懣やるかたない将軍慶喜の心情を知りすぎるほど知っているので、正に、決死の覚悟で説得にあたった。
   
   私の場合、これまで、観た記憶にある「将軍江戸を去る」は、少なくとも次の2回。
   猿之助襲名披露公演では、この「将軍江戸を去る」は、徳川慶喜 團十郎、山岡鉄太郎 中車、高橋伊勢守 海老蔵。
   国立劇場では、徳川慶喜 吉右衛門、山岡鉄太郎 染五郎、高橋伊勢守 東蔵。

   山場は、丁々発止の将軍と山岡との対話だが、わきに控える伊勢守の存在も大きい。
   自分には踏み込めない、しかし、死を賭してでも慶喜を諫めたい、その思いを必死に胸に収めて山岡をサポートする。
   実に素晴らしい舞台ばかりで、感動的であった。

   今回の舞台は、先に山岡を演じた染五郎が、将軍に代わったのだが、流石に、高麗屋で、中々風格のある将軍であった。
   愛之助は、正に、直球勝負の熱血漢を演じて好感。
   伊勢守の又五郎は、このように控えめながら心情にぶれのない忠臣を演じるといぶし銀のような芸を見せてくれて、素晴らしい。

   もう一つは、北條秀司 作・演出の「井伊大老」。  
   今回の配役は、井伊直弼 幸四郎、仙英禅師 歌六、長野主膳 染五郎、昌子の方 雀右衛門、お静の方 玉三郎。
   先に記したように、これまで観た3回ともすべて吉右衛門が井伊直弼を演じていた。
   正室の昌子の方よりは、側室のお静の方の方が、この舞台では、重要なキャラクターで、夫々、歌右衛門、魁春、雀右衛門であった。

   直弼との間の子鶴姫の四度目の月命日に、直弼がまだ若かった彦根時代から側室として仕えていたお静の方のところへ、仙英禅師が訪れて、お経をあげ、傍らにある直弼がしたためた屏風に目をとめて、その墨痕には逃れられない険難の相があると言って、正室昌子の方に対する嫉妬が解けず出家したいと言うお静の方に、その悩みは長くないと直弼の死の予感を伝る。
   そこへやってきた直弼が、禅師が「一期一会」と書き記した笠を残して立ち去ったので、禅師が自分に別れを告げたと知って、華やかに飾られた雛人形を見ながら、お静と二人で、しっとりと酒を飲み始める。
   二人がひな祭りの夜に契った彦根時代の埋木舎での貧しくても楽しかった昔を思い出しながら、あの頃に帰りたいと述懐して、直弼は、藩主になった結果、お静に悲しい思いをさせたことを詫び、自分の信じて正しいと思って決然と実行したことを誰にもそして後世の人にも理解してもらえないであろう苦衷を打ち明ける。
   お静の方は「正しいことをしながら、世に埋もれたままの人もある」と慰めると、それを聞いて晴れやかになった直弼は、「次の世も又次の世も決して離れまい」とお静の方の肩を抱きしめる。
   その翌朝、雪が降りしきる桜田門外で、直弼は果てる。

   この実に初々しくて涙が零れるほど健気で優しいお静の方を、人間国宝の玉三郎が、実に、乙女のように可愛くそして品よく演じ切って感動的である。
   幸四郎の直弼も、貫禄と風格があって絶品。
   歌六の禅師は、これまでにも観ているが、枯れて淡々とした味が何とも言えない。

   私は、これまでにも書いたが、安政の大獄には、多少違和感があるが、あの開国があってこそ、無血革命の明治維新があって、今日の日本があるのだと思っている。
   直弼の死後、遺品として大部の洋書や地図などが残されていたと言うから、アヘン戦争で西洋列強の餌食になった中国の苦衷を知り過ぎるほど知っていた筈であり、英明な直弼ゆえ、日本の進むべき道は、はっきり見えていた筈で、太平天国に酔いしれていた大衆とは、一歩も二歩も前に進みすぎていた悲劇の最期であろう。
   
   
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わが庭・・・鹿児島紅梅と日本水仙

2017年01月08日 | わが庭の歳時記
   わが庭で咲いているのは、鹿児島紅梅と日本水仙。
   紅梅は、このピンクの可愛い花弁が気に入って、よく出かけていた千葉の園芸店で買い求めて、移転と同時に、鎌倉のわが庭に移植したのである。
   最初の年は、よく咲かなかったのだが、今年は、背丈も2メートルを越えてしっかりしてきたので、綺麗に花を咲かせて、門扉ごしに顔を覗かせている。
   咲き始めは、美しい鮮やかな濃紅色で、雄蕊の先の黄色い花粉が鮮やかだが、開き切ると、花粉が落ちて、紅色が、やや薄くなって、ピンクに輝く。
   小さな、実を結ぶが、観賞用の梅の花である。
   大きくなって、沢山実をつける白梅の方は、まだ、蕾が固く、開花は、来月であろう。
   
   

   日本水仙は、鎌倉には、沢山植えられていて、路傍にも、結構咲いている。
   正月飾りにも珍重される白い小花が房状に咲き、凛とした清楚な美しさが好ましい。
   日本水仙は、日本原産ではないから、地中海あたりから中国経由で渡来したのであろうが、言いえて妙である。
   どんどん、咲き続けるので、切り花にして、バカラなどに挿している。
   
   

   新しい椿が、一輪咲いた。
   菊冬至である。
   紅地白斑入り千重咲中輪と言う花だが、苗木を買って、庭植えして間もないので、土に馴染んだのであろうと喜んでいる。
   
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新春国立名人会・・・小三治の「小言念仏」

2017年01月07日 | 落語・講談等演芸
   国立演芸場の新春国立名人会の千穐楽の公演を聴いた。
   とにかく、7日まで全8回、江戸落語のスターが総登場と言う豪華版で、近くに住んで居れば毎日でも通いたいと思う程の名人会である。
   7日のプログラムは、次の通り。
《落語》柳家花緑  親子酒
《音楽パフォーマンス》のだゆき
《落語》金原亭馬生  ざる屋
《漫才》すず風にゃん子・金魚
《落語》桂文楽  掛け取り
 仲入り
《奇術》ダーク広和
《落語》柳家小さん  幇間腹
《紙切り》林家正楽
《落語》柳家小三治  小言念仏

   開口一番、今日のお客さんの中には、酔っぱらっている人がおられる。と言って、
   まず、小三治の謂れから話し始めた。
   真打に昇進した時に、新宿の末広亭で、小さん師匠から、お前は、小三治だと言われた。 
   それまで、三治だったので、小さくなるのかと思って不満だったがクレームなどつけられない。
   大事な名前だといわれたのだが、その後、どうしても確かめたくて、小さくなったのですかと聞いたら、大きくなったら大変だと言われた。
   もう、大三治(大惨事)にはなりませんと答えたと言う。

   昨年同様、舞台に飾られている立派な正月飾りの鏡餅を観て、褒めながら、国の予算からで税金が・・・と語って笑わせていた。
   新宿の末廣亭の、11日から始まる二の席で、夜のトリを取るので、毎年、27日に立派な二段の鏡餅を貰うのだが、餅だけなので、近所の店から、エビ飾りを買ってきて、玄関のげた箱の上に、自分で飾り付ける。
   説明書きはあるのだが、昆布を忘れたり、途中で順序を間違えて、また、一からやり直すなど、大変で、やめて欲しいくらいだと語る。

   立派な本物のエビ飾りを見ながら、縁起物だと言うことで、某演芸場でも本物を飾るのだが、21日まで飾りっぱなしなので、臭いが大変。
   この演芸場は、日頃は人通りが少ないのだが、正月には大変な賑わいで、立錐の余地がないほど客が入り、高座の席近くまで、はっさん熊さんが詰めかける盛況なのだが、外では益々景気よく客を呼び込んで入れる。そうすると、暖房をどんどん上げて、暑さと湿気に耐えられなくなった客が出て行くので、入れ替えられる。
   今は、ましになったが、一年を7日で取り戻そうと言う商魂、と言って笑わせていた。

   興味深ったのは、昔では普通であった、春の七草、七草粥が、今では、忘れられようとしているのを懐かしみながら、
   子供の頃、どこの家でも、7日の朝には、母がまな板を叩く音が聞こえて、今日は七草の日だと気づいたと、しんみりと語っていた。
   昔は、七草を野辺で一つづつ摘んだのだが、今では、スーパーで、七草セットが売られていると言う。
   せり、なずな、と語り始めたら、時々度忘れするので、客席から、ゴギョウ、ハコベラ・・・と声が返ってきたので、憮然として、秋の七草の時は、難しいと言いながら、聞いてないから言わなくてもよい。と釘を刺していた。

   今回の人間国宝小三治の出し物は、昨年と同様の「小言念仏」。
   この世には、陰と陽があり、宗教でもそうで、南無阿弥陀仏が陰、南無妙法蓮華経が陽だと題目を唱えながら語り始めて、
   前回は、ドジョウを料理して、「腹出して皆浮いちゃたぁ、ざまあ見ろ」と言うところまで語ったが、今回は、妻の呼び声では聞こえないと思って、念仏途中大声でドジョウ売りを呼び止めて、念仏と呼び込みがごっちゃになったところで、話を終えた。
   木魚代わりに、右手に持った扇子で、リズミカルに床を叩きつつ、ナムアミダー、ナムアミダーと念仏を唱えながら、女房の一挙手一投足や這い寄ってくる赤ちゃんの仕草を見て小言を言ったり、ドジョウ売りの呼び込みに気を取られ、真面目腐った表情で語り続ける。
   妻に話しかけられると、信心に身が入らないと言って怒るのだが、とにかく、小三治の語り口が秀逸で、実に面白いのである。

   予定の持ち時間は、20分だったのだが、まくらが長かったので、終焉時間を25分も過ぎていた。
   
   
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カーテンコールのこちら側―高円宮憲仁親王対談集

2017年01月06日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   四半世紀前に出版された本だが、非常に興味深く、読んでいて面白い。
   文化芸術に造詣が深く、洗練された知性と教養に裏打ちされた殿下の、超一流の芸術家との蘊蓄を傾けた対談集なので、芸術の世界の奥深い深淵の一端などが迸り出ていて興味が尽きない。

   殿下は、バレエに最も関心が深くて、前半の第一幕「バレエの世界」が、紙幅の半分を占めていて、森下洋子からヌレエフなど、バレエ関係者の対談が綴られている。
   私は、若いころには、来日公演や欧米で、ボリショイやロイヤル、ニューヨークシティなどのバレエ、そして、最近では、ザンクトペテルブルグで、マリインスキーバレエの「ジゼル」など、結構、観ているのだが、綺麗で素晴らしい舞台ながら、バレリーナたちが踊るだけで、何も歌わないし喋らないのに物足りなさを感じて、オペラ一辺倒になってしまった。
   
   さて、それぞれ、珠玉のような対談が綴られているのが、私の関心は、第二幕の「プロセニアムへの誘い」の方で、芝居の世界と言うか、クラシックの世界と言うか、バレエ以外の舞台芸術の世界である。

   まず、興味深いのは、殿下の歌舞伎に対する思い入れである。
   蜷川幸雄との対談で、舞台と言うとバレエが多いのだが、バレエのことを本当に楽しくなってきたのは、歌舞伎を観てからだと言う。
   歌舞伎ほど、開き直った芝居はない。筋書から何からそうで、黒衣みたいに得体のしれないものもでてくれば、衣装はめちゃくちゃ派手だし、装置はだれが見ても本物だとは思わないし、嘘で固めた上でやっている芝居で、皆、結構泣いたりするわけで、そこが、やっぱり魔法である。
   歌舞伎を観るようになって、他の芝居に対しても、一皮剥けてわかるようになった気がする。ベジャールとかヌレエフが日本に来ると、とにもかくにも歌舞伎座へ直行すると言う。西洋リアリズムで行き詰まったのが、能や歌舞伎にはまだ抜け道があるようで、それを西洋の演劇家は見ているように思う。とも語っている。
   これに対しても、蜷川も同意して、何か手詰まりを起こすと、一寸、歌舞伎座へ行こうと思うと言っている。

   殿下は、同じようなことを、先代猿之助との対談でも語っている。
   オペラもバレエの演劇も皆同じで、根本的にはそれほど違いがあるはずがないのだが、本当の意味で舞台の面白さがわかるようになってきたのは、実は歌舞伎を観るようになってからである。歌舞伎は、古今東西、あれほどウソの多い芸術はないのだが、観ているうちに、そうではなくなってくる。普通の演劇だと、いかに本物に見せるかで苦労しているのに、歌舞伎は非常に荒唐無稽で、そこが最大の強みである。と言う。
   これに対して、猿之助は、確かに歌舞伎ほどウソがはなはだしい芝居は少ない。ウソが大きいだけに、意外に逆の真実がすごく出る場合がある。そこが歌舞伎の歌舞伎たる由縁だと思う。と応えている。

   私自身、パーフォーマンスアーツに対して、それ程、知識があるわけではないが、歌舞伎と言っても、荒事の舞台など、江戸歌舞伎の世界では、確かに、殿下の見解のような世界かも知れないが、和事の舞台、少なくとも、近松門左衛門の心中ものなどの歌舞伎には、リアリズムが厳然と存在しているし、演出次第では、ほかの芝居や舞台芸術の世界とほとんど違っているようには思えない。と思っている。

   蜷川幸雄が語っていることで、非常に興味深かったことは、原則として、台本には手を加えない。いじるということはしない。その代わり、、俳優や照明や音楽や、色々なものが関わって演劇にしていく、そこのところは、作者は口を出すな。戯曲は書かない。文字には手出ししない。と語っていることである。
   蜷川幸雄の舞台は、ロンドンで、「マクベス」と「テンペスト」を観てファンとなって、その後、日本に帰ってから、随分蜷川の舞台に通った。
   私は、丁度、この本に出てくる「マクベス」「女王メディア」や「近松心中物語」などから入って行ったのだが、やはり、演出家として、芝居の出来に対して観客がどんな反応を示すのか、非常に神経を使っていたようで、バービカン・シアターの客席裏の扉で蜷川幸雄の姿を見たことがる。

   キリ・テ・カナワのオペラは、ロンドンのロイヤル・オペラが主だが、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンアや、「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「オテロ」のデスデモーナ、「トスカ」など、いくらか舞台を観ていて、ファンだったソプラノだが、この対談で、娘の誕生日のために、メトロポリタンの舞台を蹴ったと語っているのが面白い。
   ストラタスの代役で一気にスターダムに伸し上がった大恩あるMETをである。

   中村紘子が、ショパンコンクールで4位入賞後、帰国した後、日本でのしがらみで、世の中が嫌になって、ピアノをやめてしまったと語っている。
   再起のチャンスとなったのは、来日したワルシャワ・フィルの指揮者ロヴィッキーが、ショパンコンクールのことを覚えていて、ソリストに起用して日本ツアーをした時だと言う。
   私自身、この演奏会を、大阪だったか京都だったか記憶はないのだが、出かけて行って、中村紘子の情感たっぷりの素晴らしいショパンのピアノ協奏曲を聴いた。
   若くて可愛いい中村紘子の必死になってロヴィッキーのタクトを見つめる健気な眼差しが記憶に残っているのだが、そのような逸話があることを知って、印象的であった。
   
   この本は、1991年5月出版であるから、私が、クラシック音楽やオペラ、バレエ、そして、シェイクスピアの戯曲に入れ込み始めて劇場に通って居た頃の話が話題になっていて、実に懐かしく読ませてもらった。
   全部で18名の偉大な芸術家たちの対談で、興味が尽きないが、蛇足を重ねるだけなので、これで置きたい。
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壽初春大歌舞伎・・・歌舞伎座

2017年01月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   一日、通して歌舞伎座で、初春大歌舞伎を鑑賞した。
   かなり充実した演目が並んでいたので、楽しませてもらったが、年末からの風邪が残っていて、結構、エネルギーが必要であった。
   私は、昼の部の「沼津」と、夜の部の「井伊大老」を観たくて出かけたのだが、期待に違わず、素晴らしい舞台であった。

   「沼津」は、吉右衛門の呉服屋十兵衛、歌六の雲助平作、雀右衛門のお米の舞台は、2010年の秀山祭九月大歌舞伎で観ており、その再現であり、決定版ともいうべき素晴らしい舞台であった。
   雀右衛門の水も滴るような女らしい魅力的なお米は、勿論のこと、吉右衛門と歌六の何とも言えない芸を超えた人間味の滲み出た命の交感とも言うべき至芸の凄さは格別であった。
   先回、国立劇場で、坂田藤十郎の十兵衛に、翫雀の老父・平作、扇雀のお米と言う成駒屋兄弟との親子の舞台で、親子逆転で、父が息子に恋をすると言う考えられないような舞台ながら、それが、殆ど違和感なく見せるた凄い舞台も見ている。
   伊賀越道中双六の中でも、この「沼津」は、「岡崎」と並んで、屈指の素晴らしい舞台であり、いつ観ても感動し、役者に人を得れば、何重にも楽しめる。

   「井伊大老」を最初に観たのは、ずっと以前で、井伊大老が吉右衛門で、お静の方が最晩年の歌右衛門であったので、強烈に印象に残っている。
   それに、これまで、吉右衛門の井伊大老で、お静の方が魁春と雀右衛門で2回観ており、私の井伊大老のイメージは、吉右衛門であった。
   今回、この井伊大老を演じたのは幸四郎で、お静の方は玉三郎と言う豪華キャストで、またまた、実に素晴らしい「井伊大老」の舞台が演出された。
   それに、仙英禅師を演じた歌六が、「沼津」の平作に劣らぬ渋い素晴らしい芸を魅せて感動的であった。
   
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国立能楽堂・・・能「老松」狂言「大黒連歌」

2017年01月04日 | 能・狂言
   今年初めての観劇は、国立能楽堂の定例公演。
   プログラムは、次の通りで、初春を祝う目出度い曲である。
   能  老松 紅梅天女イロエノ働キ 金春 安明(金春流)
   狂言 大黒連歌  大藏 吉次郎(大蔵流)
   
   「老松」は、北野天満宮を信仰する都の梅津某(ワキ/高井松男)が、天神の霊夢を受けて筑紫の安楽寺にやってきて、紅梅殿(飛梅)と老松の神が、松と梅の目出度い故事を語り、もてなしの舞を舞い、君に長寿を授けるとの神託を告げて御代を祝す。
   普通は、後場では、老松伸(後シテ)だけが登場するようだが、今回は、金春流で、紅梅天女イロエノ働キと言う小書きが付いているので、後ツレ紅梅殿(本田光洋)が登場する。
   天女姿の後ツレが、先に出て常座に立ち、後シテは、一の松で、「如何に紅梅殿」と声をかける。
   「真ノ序ノ舞」は、天女姿の後ツレが、荘重で優雅な舞を舞う。
   その後、後シテが、イロエで舞台を厳かに回る。

   詞章を見るまで知らなかったのだが、この能の最後に、日本の国歌君が代の一節「千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」が登場する。
   実際は、「古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず」の、
   ”我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで”が元の文章のようだが、何となく親しみを感じて聞いていた。
   後シテは、「千代に八千代に、さざれ石の」と謡いながら、扇をかざして目付柱に向かって舞い、地謡が後を繋ぐのだが、老松神は、正に、神のいでたちであるから、実に荘重で厳かである。

   面白いのは、この能で、北野天神、菅原道真が、登場するのは、アイ狂言で、アイが故事来歴を説明するところで登場するだけで、梅と松の故事来歴と目出度さを称える能となっており、道真にまつわる松と梅を正面から題材にせずに目出度さを寿ぐとした世阿弥の思い入れであろうか。
 
   シテの金春安明宗家の神々しいまでに神聖を帯びた舞い姿、後ツレの本田光洋師優雅な序ノ舞。
   私にとっては、素晴らしい観劇はじめの日であった。

   狂言・大蔵流「大黒連歌」は、シテ/大黒天の大蔵吉次郎が、派手な衣装で登場し、大黒天の由来を一くさり、
   お囃子と地謡を伴った祝祭仕立ての楽しい狂言であった。
   
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人間到る処青山ありと言うのだが

2017年01月03日 | 生活随想・趣味
   元旦早々、奈良に住む友人から、年賀の電話を貰った。
   東大寺の転害門近くに住んでいて、二月堂までは、歩けばすぐであり、よく、散歩に出かけて行くと言う。
   私は、奈良を訪れると、入江泰吉旧宅前の小道を戒壇堂に向かって歩いて右に折れて、大仏殿裏の公園を抜けて、小川沿いの裏参道を上って二月堂に歩くのが好きなので、その話を聞いて、羨ましいと思った。
   坂の下から二月堂の舞台を仰いだ写真を随分撮ったのだが、手元にないので入江泰吉の写真を借りると、アングルは違うが、この道である。
   季節の変わりにつれて、両側の塔頭から覗く花々が情趣を添えて絵になる。
   

   現役を引退して自由な身になった時に、関西に帰って、京都か奈良に住もうと考えたことがあった。
   しかし、まだ、多少色気もあって、それに、勉強や観劇のチャンスなどを考えれば、東京から離れがたくなった。
   長く住んでいた千葉を終の棲家と思っていたのだが、ひょんなことで、鎌倉に移り住んで、今では、鎌倉生活に落ち着いている。

   さて、「人間到る処青山あり」と言う言葉がある。
   「故事ことわざ辞典」によると、
   ”人間到る処青山ありとは、世の中は広く、死んで骨を埋める場所ぐらいどこにでもあるのだから、大望を成し遂げるためにならどこにでも行って、大いに活躍するべきであるということ”らしい。
   私の場合、別に、待望を抱いて大いに活躍したわけでもなく、何となく成り行きとして人生を送ってきてしまったと言うことで、むしろ、忸怩たる思いの方が強いのだが、振り返ると、ずいぶんいろいろなことがあった。
   青山とは、骨を埋めるところと言う意味のようだが、この言葉の雰囲気を取って、素晴らしい所とか美しい所とかと言う意味に解すると、随分、色々な幸運にも恵まれて、想像を超えた素晴らしい貴重な青山を見てきたように思っている。

   終戦後の混乱期に幼少年期を送り、神武景気以降の経済成長や安保闘争の時代から、Japan as No.1の時代に、企業戦士として多忙な日々に明け暮れ、バブル崩壊で、日本の失速と言う暗澹たる逆転劇の中で生きてきたことを考えると、もう、想像を超えた人生だと言えよう。
   その間に、私の場合には、14年と言う、アメリカ、ブラジル、オランダ、イギリスでの海外生活があったので、日本中全体が、貧困に明け暮れて、夢さえ見ることの出来なかった苦しい子供時代を思うと、信じられないような展開であった。

   学生時代に、”向こう通るは女学生、3人揃ったその中で、一番ビューティが気に入った、マイネフラウにするならば、俺もこれから勉強して、ロンドン、パリを股にかけ、フィラデルフィアの大学を・・・卒業した時にゃ、・・・”と言う学生歌を蛮声をはりあげて、「アホナこと言うなあ」と思いながら歌っていた。
   しかし、これを、地で行くことになったのだから、「人間到る処”青山”あり」と言わざるを得ないと思っている。

   ベルリンの壁の崩壊前後の激動のヨーロッパを歩いてきたし、ダイアナ妃と握手し、チャールズ皇太子と日本経営について立ち話もした。

   住まいだが、日本だけでも、子供時代を西宮宝塚伊丹の阪神間で送り、一年、宇治に住み、大阪、埼玉、千葉、鎌倉に住んでいて、海外でも、フィラデルフィアの学生寮から、サンパウロ、アムステルフェーン、ロンドンと、それも、何度も移転を繰り返しているのであるから、私の場合、随分、あっちこっちに、故郷がある。
   長い人生、苦楽綯い交ぜ。
   苦しくて死ぬ思いをしたことも何度もあったし、逆に、素晴らしい経験もして、知盛ではないが、「見るべきものは見つ」と言う思いもした。
   しかし、カバン一つを持って、仕事上とは言え、殆ど無防備で、先進国も治安の悪い発展途上国も紛争地帯も、若気の至りで、よく無事に歩き続けてきたものだと、思うと冷や汗が出ることがある。

   今年は、どんな年になるのか。
   昔のように起承転結の激しい人生とは縁遠くなった晴耕雨読の日々。
   世の中は、正に激動。
   20世紀から21世紀の今日にかけての世界の歴史を考えると、目を見張るような展開だが、益々、政治経済社会の激動は激しく予断を許さなくなってきている。
   今年は、スケールの大きな文化文明史を勉強してみたいと思っている。
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