熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・シャクヤク、シラン、昼咲月見草、イモカタバミ

2019年05月10日 | わが庭の歳時記
   シャクヤクが咲き始めた。
   同じような花の牡丹ほどではないが、かなり、大輪で華やかな花なので、庭の片隅に咲いていても良く目立つ。
   わが庭の場合には、花木が密集していて、シャクヤクを単独で植えておく花壇の余裕がないので、花木や庭木の間の空間を見計らって、下草のように、球根を埋め込んで、そのまま、何年も放置してあるので、毎年、適当に芽を出して花を咲かせると言う趣向である。
   まだ、8鉢程は、大きなプラ鉢に、1株ずつ植えたままだが、この方は、移動が可能なので、咲き始めると、見える所に移す。
   名前のタグがなくなってしまっているので、何の名前のシャクヤクか分からずに、鑑賞している。
   まだ、咲き始めたのは2種類だけだが、あっちこっち、蕾が膨らみ始めているので、華やかになるのは、もうすぐであろう。
   
   
   
   
   
   

   木陰で、ひっそりと咲き始めたのが、シラン。
   赤紫の変わった形の花が、何輪かすっくと伸びた花茎の先に連なっている。
   日本自生の美しい野生のランで、関東以南の各地で咲くと言うのだが、わが庭では、結構、あっちこっちに広がっていて沢山咲いているのだが、地域の開発や乱獲などにより激減し、現在では野生種が激減し、準絶滅危惧種となってしまったと言うのである。
   庭植えだと、わが庭もそうだが、何の手も加えることなく放任しておいても、毎年よく咲くし、株分けすれば、広がって行く。
   
   

   同じように、自然に放置しておいても、毎年、忘れずに咲いてくれて、どんどん、増えて行く感じの花が、昼咲月見草とイモカタバミ。
   昼咲月見草は、石で囲った花壇の下草として植えっぱなしなのだが、すっくと伸びた細い茎の先端に、萎れたような風情で垂れ下がった蕾が、朝、膨らんだと思うと、しっかりとした薄いピンクの花をお椀型に開いて奇麗に咲くのが面白い。
   
   
   

   イモカタバミは、黄色いカタバミとは違って、ピンクの花で、わが庭では、雑草扱いなので、いつの間にか、足の踏み場もないような状態で咲いている。
   それに、わが庭の垣根の外の小川への急斜面にサクラソウを一寸疎らにしたようになって咲いているので、下の道から見ると奇麗である。
   
   
   
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團菊祭五月大歌舞伎・・・夜の部「京鹿子娘道成寺」ほか

2019年05月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   團菊祭五月大歌舞伎は、菊之助の長男尾上丑之助襲名初舞台公演で話題を呼んでいる。
   私が観たのは夜の部で、プログラムは、
   令和慶祝 鶴寿千歳、
   絵本牛若丸、
   京鹿子娘道成寺、
   曽我綉俠御所染 御所五郎蔵

   「絵本牛若丸」が、その初舞台公演で、
   この作品は、昭和59年の六代目尾上丑之助(現 菊之助)初舞台披露のため、村上元三によって書き下ろされた作品で、時を経て、今回、新丑之助が牛若丸となって、源氏の再興を夢見て旅立つ舞台である。ポスターのように、中央でしっかりと足を踏ん張って、六韜三略虎の巻を手に持つ牛若丸は、頼もしい立ち姿を見せて、祖父の両人とも人間国宝と言う歌舞伎界最高峰の菊五郎と吉右衛門、そして父の菊之助をはじめとした多くの俳優らが舞台に登場し、丑之助の歌舞伎俳優としての門出を華やかに祝う。と言う趣向である。
   牛若丸と弁慶のイラストは、宮崎駿監督による絵で、意匠の原画はロビーに展示されていたとかだが、見過ごしたけれど、
   祝幕には、この宮崎駿監督の意匠を背景に、鞍馬山と京の都、そして音羽屋の家紋が描かれていた。
  
   
   
  両祖父の菊五郎の鬼次郎、吉右衛門の鬼一法眼と一緒に舞台中央にせり上がって夜叉王義経の丑之助が登場、劇中で、父の菊之助が加わって、口上になって「宜しくお願いします」と挨拶する丑之助に盛大な拍手と「音羽屋!」の掛け声、攻め来る平家の侍に「ちょこざいな。牛若丸の手並みを見よ!」と言い放って、派手な立廻りを披露して薙ぎ倒して、奥州へと旅立つべく、菊之助の弁慶に肩車されながら花道を去って行く。
   30分一寸の短いご祝儀舞台だが、時蔵、雀右衛門、海老蔵、松緑、左團次など人気役者が登場して、華を添える。

   随分、前に、文楽で、鶴澤寛太郎の披露口上で、初代吉田玉男が、サラブレッドと言う表現で披露していたが、この表現はともかくとして、伝統継承の最たる日本古典芸能の家が総ての梨園としての歌舞伎界での七代目丑之助の恵まれた境遇は、素晴らしい未来を予言しているようで、非常にエポックメイキングな舞台であったような気がしている。

   次は、女方舞踊の大曲、「京鹿子娘道成寺」で、これを美しくて格調の高い華麗な舞台として見せて魅せるのは、玉三郎と菊之助以外にはいないであろう。
   その菊之助の白拍子花子が、衣装を取り換え引き換えて、引抜きで衣裳を替えて日本芸術の極致を披露し、優美で美しい踊りで観客を魅了、
   ラストシーンで、鐘の上によじ登って見せる執念の化身として蛇体に姿を変えた花子の妖艶な美しさ、
   私は、歌舞伎や能の衣装の凄さ美しさに、途轍もない日本文化の美意識と美的感覚の極致を実感して感激し続けている。

   夜の部の團菊愛祭と銘打って演じられた夜の部で、團菊らしき舞台は、丑之助披露公演とこの菊之助「京鹿子娘道成寺」。
   昼の部の海老蔵の「勧進帳」や菊五郎の「め組の喧嘩」の方が、團菊祭と言えたのであろう。
   「令和慶祝 鶴寿千歳」と 「曽我綉俠御所染 御所五郎蔵」も、興味深い舞台で楽しませてもらった。
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優先席:代わって欲しいと意思表示

2019年05月08日 | 生活随想・趣味
   電車などの優先席に、必要な人が座れないことが多くて、有効に活用されていない。
   欧米で生活していたので、優先、すたわち、PRIORITYと言う意識なり感覚、権利意識が如何に厳格か、そして、人間としての現然たる鉄則であることは、身にしみて感じているのだが、日本人には、そんな考え方は殆んどない。
   例えば、オランダでの経験だが、隣の優先道路が空いていて、後方からは車が見えなかったので、左折して優先道路に入ったら、高速力で走ってきた車に追突されたと言ったケースだが、日本なら、前方不注意と言う感覚もあろうと思うが、欧米では、PRIORITYが絶対に侵してはならない鉄則なのである。
   イギリスに行けば、車道の左右が変わるのは当然で、サークルへの侵入のPRIORITYは、全く逆となり、また、オランダでの側道の小道からの侵入優先などとなれば、余程慣れないと事故を起こす。
   PRIORITYは、戦争と殺戮に明け暮れて、弱肉強食の世界に生き抜いてきた欧米人の生活の知恵なのであろうと言う気がする。

   尤も、ブラジルとなれば、また別で、すべてアミーゴが優先で、杓子定規もいいところであって、いずれにしても、要するに、「和をもって貴しとする」日本人の「優先席」意識の定着などは、日本人気質を変えない限り無理なのである。
   「おもてなし」などと言う良く分からない概念が、日本人の特質のように思われているが、「世間さま」と言う概念なり価値基準が希薄になってくると、日本人のモラル感覚、優しさ温かさも疑問になってくる。

   さて、この優先席活用について、これまでに、女性専用車両と同じように、優先車両を設置すべきとか、バスのように、「ここは優先席です。必要とする方がおられますので代わってください。」と言うボタンを設置したらどうかとか、色々このブログで書いてきた。
   私の場合には、後期高齢者で、髪が白髪で薄くなっており老人と言う外観を見て、席を譲ってくれる若い男女が結構いるのだが、まず、このようなケースは稀で、大半は殆ど無視で、優先席に、若くて健康な自分が座っていても恥ずかしいと言う感覚はない。

   それでも、良くしたもので、殆ど使はないのだが、何かの拍子に足に痛みが走ることがあるので、杖をショルダーバッグに入れており、偶に杖を突いて優先席の前に行くと、席を代わってくれる人がいて助かることがある。

   上野や東京駅から大船までは、結構距離があるので、立っているのは、一寸苦痛である。
   どうしても、耐えられないような時には、この頃、意を決して、「どなたか、席を譲っていただけませんか。」と、直接、優先席の前で、声をかけることにしている。
   一度だけ、無視されたことがあるのだが、大概、誰かが立ち上がって席を譲ってくれる。
   悪いと思いながら、ご厚意に甘えるのだが、「優先席普及運動の一環かも知れない。」と、自分勝手なこじ付けをして、無理に、納得しようとしている。

   私のように、厚顔無恥と言うか、気にしない人間なら譲ってくれと言えても、大概の高齢者・障害者・けが人・体調不良者・妊婦・乳幼児連れ(ベビーカー含む)など、椅子への着席を必要とする人は、折角、意識して優先席へやって来て、座りたくても、「席を譲って下さい。」とは言えない。
   代わりに、良識ある周りの人が言えば良いのだが、なおさら言えない。
   それなら、バスのように、ボタンをつけて、スピーカーに言わせれば良いのではなかろうか。
   
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窓ガラスに突っ込んだメジロ

2019年05月07日 | 生活随想・趣味
   庭で、椿の世話をしていたら、突然、和室の縁側の大きなガラス戸に、コトっと音がしたと思って振り返ったら、小鳥が地面に落ちてきて、上向きになって、ばたばたとしたかと思うと、コトリ動きを止めて、小刻みに痙攣を起こし、それも、すぐに止んで動かなくなってしまった。
   そのまま、死んでしまった小鳥も知っているので、近づいて拾い上げて、右手で覆うように掴むと、まだ、温かいままなので、大丈夫だと思って、体温を保つために、しばらく握りしめていた。

   5分ほど経った頃であろうか、目をパッチリ開いて瞬きを始めた。
   少し、体を動かせ始めたので、大丈夫だと思って、温かいところと思って探したがなかったので、日干していた傘が陽を浴びていたので、広げてその上に寝かせようと置こうとしたら、そのまま、ぴょんと飛んで、口絵写真のように、立ち上がった。
   数分して、体力が回復したのか、隣の庇の上まで飛んで行った。
   メジロは、スズメより小さいのは知っていたが、右手にすっぽりと握りしめられるほど小さな小鳥であることを知って、一寸、驚きであった。

   随分前になるが、千葉に住んでいた時、ベランダの大きなガラス戸に、ツグミが突っ込んできて、この時は、大きな鳥なので、烈しいぶつかり音がして、芝生に落ちた。
   この時も、両手で支えてしばらく様子を見ていたが、体温が下がらなかったので、大丈夫だと思って、ポリバケツにタオルを2~3枚敷いて、寝かせて、玄関内に置いておいた。
   何時間経ったであろうか、夜、様子を見に行くと、ツグミは起き上がって、バケツの縁に止まっている。
   近づいて持ち上げようとしたら、飛び上がって玄関の空間を飛び回って逃げようとした。
   どうにか捕まえて、様子を見たら、十分に元気になって飛び出せそうになったので、このまま、置いておくのも無理なので、夜で暗かったが、外に出て手を離すと、勢いよく、隣の空地のブッシュの中へ飛び込んで行った。
   翌日、庭にツグミが一羽訪れてきていたので、元気な姿を見せに来てくれたのであろうと勝手に考えて喜んでいた。

   気の所為か、今日も、メジロが一羽、わが家の梅の木を渡っていたので、昨日のメジロだはないかと思って、そうなら、元に戻ってよかったと嬉しくなった。
   普通、メジロは、つがいで、行動するのだが、このメジロは、ガラスに突き当った時にも、そして、今日も、一羽だけで、わが庭を訪れていたのである。

   ヒヨドリ、カラス、ガビチョウ、嫌な鳥もいるが、鎌倉山の裾を引いた森と林に囲まれた緑滴る住宅街の外れなので、いろいろな小鳥が訪れてくれる。
   毎日のように、朝早くから、ウグイスが囀り続けている。
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日々之好日の10連休~孫娘の七五三写真

2019年05月06日 | 生活随想・趣味
   サラリーマンを辞めて、自由の身になって、日々之好日の身分になった者にとっては、10連休と言われても、ピンとこないし、何の有難味もないのが、正直なところである。
   鎌倉に住んでいる者には、休日になると、沢山の観光客が訪れて賑わうので、どうしても外出するのは億劫になって避けるようになり、それに、歳の所為もあって、遠出には逡巡するので、結局、近場に外出するか、家で過ごすことになる。

   私の場合、5月の初めに、1日、三歳になる孫娘の七五三の記念写真を撮るために、北鎌倉の写真スタジオに出かけた。
   10連休どころか、このスタジオでは、連日、七五三写真の撮影でフル回転しており、休む暇もないと言う。
   鎌倉の北から東へ連なる「鎌倉アルプス」の急な南斜面に位置し、森林に囲まれた鎌倉海岸を見下ろせる眺望のよい大きな別荘をスタジオに改装しているので、格好の写場である。
   丁度雨上がりで、薄日のさす時間があったので、戸外での写真も撮れて幸いであった。
   孫息子の場合にもそうだったが、七五三祝いの儀式は、既定の日に寺院で執り行って、写真は、両親とスタジオの都合で決めていて、時と所に拘らずに撮ると言うのが、最近では、普通のようになっているようである。
   私は、祖父母も記念写真に加えると言うことであったので、久しぶりにネクタイを締めて背広姿で付いて行ったのだが、要するに、適当にスナップ写真を撮ると言うことでもあった。 

   孫息子の時のスタジオは、長谷寺に近く、鎌倉文学館の並びの山懐にあって、同じような立派な写場であったが、やはりシステムはよく似ていて、記念の大型パネルやアルバムなどを作成するために、ワンセット、仕事の流れが整然としていて、流石にプロである。
   室内には、三部屋ほど、奇麗にセットされて、家具や小道具の置かれた写場があり、戸外には、ベーカリー風の小屋やブランコ、ベンチなどがセットされていて、庭や石段などを使ってシャボン玉や花を摘むなど子供を遊ばせて、写真を撮ると言う趣向である。

   作業の内容や衣装などが決まると、スタイリストと言うのか良く分からないが、専門のスタッフがいて、子供に化粧を施したり髪型を直し衣装を着せ変えたり、小道具を持たせたり、器用に撮影の準備を整えて、子供を写場に送り込むと、子供をあやしたりすかしたり、おもちゃや小道具を操って機嫌を取ってその気にさせるスタッフが大奮闘して、そのタイミングを見計らって、フォトグラファーがシャッターを切る。
   
   素人では、適当な背景を選びながら、被写体を前にして、カメラ任せでオート撮影するのが、大体のところだが、プロは、すべて計算の上で撮っているので、差が出るのは当然である。
   よく、シャッターを押してくださいと言われて、スマホを渡されて写真を撮ることがある。こんな場合には、背景を考慮するくらいで殆ど選択肢はないので、何度か余分にシャッターを切ることにしている。必ず、目を瞑ったり気に入らないショットがあるので、それを避けたいためである。

   長谷寺のスタジオの場合には、逆光を多用して露出オーバー気味にして、ハイキ―写真のやさしい雰囲気を醸し出す手法を取っていた。
   北鎌倉の方は、やはり、背景を白くして被写体を浮き上がらせる写真も撮っていたが、多少、ハイキ―を抑えて、むしろ、表情を重視して、ストレートな写真を撮っていた感じである。

   写真アルバムやパネル写真などは、スタジオの提案で、娘夫妻が適当に選ぶのだが、私は、同時に配布される選ばれた写真を収容したDVDの方に関心がある。
   貰ったDVDが私のパソコンに表示されなかったので、メール送信してもらったのだが、圧縮されて画素数がダウンしていて、大型プリントは無理だが、A4サイズくらいは、まずまずで、私が多用しているはがきサイズや2L版には、全く問題ないので、トリミングやソフトで画像を修正してプリントしてみた。

   昨日の子供の日に、孫息子の端午の節句を祝って、レシューでデコレーション・ケーキを買って写真を撮り、五月人形や鯉のぼりと一緒に撮った写真もある。
   それに、スタジオに持ち込めなかった晴れ着や洋服があるので、孫娘に着せて写真を撮った。
   まだ、3歳になったばかりの孫娘は、言うことを聞かないので、スタジオのようには行かず、大変であったが、何枚かは写真になった。
   毎日、一緒に居るので、F2.8の、90ミリのマクロレンズや、200ミリの望遠レンズを開放にして、孫娘の表情を撮っているのだが、これは、スタジオ写真以上だと自負している。

   いずれにしろ、自分で撮った写真を、最近では、素人でも多少慣れれば、立派な写真本を作成できるので、私は、キヤノンのPhotoJewel Sを活用して、誕生日や運動会や学芸会、正月や雛祭り、入園・入学式などと言った形で多くの写真を撮った時には、写真アルバムにして、娘たちに残している。
   今回も、孫娘の七五三写真と孫息子の端午の節句と写真をジョイントした写真アルバムを作ろうと思っている。
   写真については、パネルは出来ないが、額縁やスタンドさえ、それなりに選んで、自分なりにプリントした写真を収容すれば、結構気の利いたインテリアにはなる。

   わが家には、これらのような写真以外にも、長い海外生活で、あっちこっちで手に入れた絵画や飾り皿やデコレーションが壁に所狭しと掛かっていて、美術館のように賑やかで、家族からいい加減にして欲しい、と言われている。
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ドナルド・キーンのオペラへようこそ! われらが人生の歓び (4)

2019年05月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   オペラは、何語が良いのか。
   モーツアルトでさえ、オペラは、最後の「魔笛」以外は、イタリア語で書いたというくらいで、イタリア語のオペラが多く、次に多いのは、ドイツ語だと言うところであろうか。
   
   オペラは、自国語で歌われるべきだと言う主張のうち、最も説得力のあるのは、聴衆は言葉が分かるので、ドラマとしてのオペラの面白みが良く分かるというものである。
   しかし、キーンは、自分の経験では、母国語の英語で歌われたオペラを聴くと実は何も聞き取れない、劇場の大半の聴衆は、聞き耳を立てても、2割も聞き取れればよい方だと言うのである。
   言語が英語のオペラでも、殆ど意味のないセリフで、それ以外のセリフでも無意味な音の連続として聞こえてしまうことが多くて、英語は、ポピュラーソング向きだと言う。

   日本語についても、オペラには向いていないと、ヴェルディの美しいイタリア語を犠牲にして、妙な響きと化してしまった英語や日本語に耳を傾けることが楽しいのであろうかと言う。
   興味深いのは、能との比較で、言語の能は、言語のオペラよりももっと難しいのだが、観客に能をよりよく理解してもらうために、日本語の現代語訳で上演すべきでしょうか。オペラを観ようとする人が、能の観客程の準備を整えて、原語上演のオペラに出かけたら、訳詞上演を勧める人たちも消えてしまうのではないかというのである。
   この能の現在の口語体で上演されたのは、梅原猛作の新作能「世阿弥」で、3回観たが、良く分かった面はあったが、多少違和感を覚えたのも事実である。
   しかし、シテやワキやアイの謡はかなり分かっても、歳の所為もあって、地謡の詞章は、聴き取り難い感じで、予習と字幕ディスプレィで補っていて、十分な鑑賞には、キャリアを積む以外にないと思っている。
   
   面白いのは、ロシア語を聞いても全く理解できないので、音楽に惹かれて声を楽器の一種として聴いているので、ロシア語のオペラが大好きだと言っており、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」など、プーシキンの英訳の原本を読んだが、感興が湧かず、プーシキンはロシア人にとっての大傑作であっても、チャイコフスキーのオペラは音楽を愛する世界の人々の宝なのだと言う。
   
   「過剰な演出について」の感想が、また、興味深い。
   オペラに設定されている時代や場所を、別の時代や場所に移して上演する新しい演出が、今日では非常に増えてきているのを嘆かわしく思う。
   イングリッシュ・ナショナル・オペラで、「リゴレット」をニューヨークのマフィアの話に移して上演して話題になったが、アイデアとしてはアイデアであろうが、賛成しないと言うのである。
   私もロンドン在住時に、何度か行ったが、この劇場は、オペラを総て英訳で上演する所為もあってか、風変わりな演出や舞台設定が、かなり、あったような気がしている。

   METでも、酷いと、ワーグナーの楽劇について、
   Tシャツで登場するパルジファルを観て、観客は全員目をつぶって聴いていた、そんな変更に何の根拠もない。
   「ニーベルングの指輪」の世界を、ドイツの寂びれたホテルに移して、ラインンの乙女たちは売春婦で、そのホテルを商売の場にするなど、受け入れることはできないと言う。

   舞台に大きな時計が設置され、始終舞台に一人の老人が座っている異様な演出のMETの「椿姫」についても苦言を呈しているが、これは、ネトレプコやヨンチェヴァと言ったトップスターが出演した舞台だったが、このモダンで少しディコンストラクトされた演出は、昨年、ヴェルディ作曲当時の現代であった19世紀パリに舞台を設定したクラシックでシックな演出に変更されている。

   私は、殆ど半世紀前、留学中に、METで、ゼフィレッリ演出の「ラ・ボエーム」の素晴らしい舞台(今でも、METの舞台はこれ)を観て感激して、その後の「トスカ」のまた限りなき美しい舞台に感動して、映画もそうだが、一気に、ゼフィレッリのファンとなって、このような徹底した擬古的なオペラの舞台を追い続けてきたような気がする。

   昔、ロンドンに居た頃、BBCテレビが、原作に基づいて、場所と時間を完全に原作に合わせて、「トスカ」をライブで撮って、同時に放映した。
   ドミンゴ、マルフィターノ、ライモンディ、メータと言うベスト・キャストは言うまでもなく、実際の時間に合わせて、実在するローマの聖アンドレア・デラ・ヴァレ教会やファルネーゼ宮殿、最後はサンタンジェロ城を舞台にして、ストーリーそのままのオペラを上映したのであるから、その迫力と言い臨場感と言い、極めて強烈で、終生忘れられない印象を残した。
   これこそ、本物のオペラだと思うのだが、ビデオに撮ったものの、英国方式であったので残念ながら廃却してしまった。輸入盤でDVDが出ているが、まだ、観ていない。

   キーンの見解には、全く同感で、時空を無視した奇をてらった演出のオペラの舞台なら、能や狂言と同じで、何度か、ロンドン郊外の広大なケンウッド大公園で観たドミンゴのロイヤル・オペラのトスカのカヴァラドッシと言ったコンサート形式の野外オペラなどの方がはるかにマシだと思っている。
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ドナルド・キーンのオペラへようこそ! われらが人生の歓び (3)

2019年05月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   オペラについて、キーンは、色々な視点から、思いのたけを語っていて面白い。
   まず、東日本大震災の直後、あこがれの日本に帰化して日本人になったのだが、一番悲しかったことは、16歳の時からほぼ人生の大半に亘って維持してきたMETの定期会員の資格を手放さざるを得なかったことだと言う。
   最初は一番安い天井桟敷に始まって、次第に上席に移って行ったと言うことで、最後の定席は、4階のドレスサークル席の一番前列の中央あたりだったと養子キーン誠巳が述べている。経験上、舞台全体を見渡すのに最適であり、また、最も聴きやすい席だと言うのである。
   私は、一度だけ、カール・ベーム指揮の「ばらの騎士」の時に、このあたりの席で観たことがあるが、舞台まではかなり遠くて、METへは10回くらいは行っているが、千載一遇のチャンスだと思っていたので、何時も無理をして、中2階のグランドティア席か、出来るだけ平土間の前の方の席のチケットを取って観ていた。
   東京での5万や6万もするMETやスカラ座、ロイヤル・オペラ、ウィーン国立歌劇場などのオペラ公演とは違って、学生や安サラリーマンの私にも、まだ、手が出せたのである。

   キーンのニューヨークのMET離れを癒したのは、世界の映画館で、ハイビジョンでライブ中継されるLive in HD、すなわち、METライブビューイングで、勿論ナマの公演とは違うが、METのオペラを鮮明な大画面と臨場感あふれる音響で劇場サイズで楽しめる、これを幸運と言わずして何と言うか、と言っている。
   私も、これには、全く同感で、数年前までは、世界のトップ・オペラ公演を観に東京へ出かけて行ったのだが、私の場合には、年金生活でもあって、最近では、このMETライブビューイングで満足している。
   METで過ごした時間や思い出も十分であるし、ロイヤル・オペラなど4~50回は通ったし、ウィーンやミラノ、ロシア、チェコなどの思い出も含めて、ナマ公演とオペラ劇場の雰囲気や臨場感は、記憶の中に残っているので、それで良し、と慰めてはいる。

   来週、METライブビューイングでは、ワーグナーの「ワルキューレ」が公演されるが、私は、ニューヨークと東京で、2回ドミンゴの舞台を観ており、前のMETライブビューイングでも楽しんだし、ロイヤルでもハイティンク指揮の舞台を観ているので、好きなオペラであり、楽しみにしている。

   定期会員のメンバーチケットについては、日本でも同じだと思うが、良い席のチケットは、熱心なファンが抑えていて、中々取得困難である。
   最初、取得したのは、フィラデルフィア管弦楽団で、この時は、留学でフィラデルフィアについて真っ先に訪れたのが本拠地のアカデミー・オブ・ミュージックで、幸い、シーズンの切り替え時期で、直前にキャンセルが出て2席取得でき、
   次に、アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のチケットも、翌年の切り替え時期に、3シリーズを抑えることができた。
   このフィラデルフィアやコンセルトヘボウの場合には、席数も限られているし、伝統ある古都という都市の性格もあろうと思うのだが、親子から孫へと継承されていて、市場にでることは少なくて、取得は非常に困難なのである。
   オペラでは、ロンドンのロイヤル・オペラで、幸い良いメンバーチケットを取得でき、4年間維持して、それまで、スポットで四苦八苦しながら取得していたのから解放されてほっとした。
   ロンドンは、正に世界の音楽市場の最たるもので、公演も多くて、ロンドン交響楽団のメンバーチケットの取得は非常に楽で、帰国時に更改しなかったら、どうするのだと電話が掛かってくるくらいであった。
   いずれにしろ、定期会員で、シーズンの公演チケットを維持しておくと、ソールドアウト気味の特別な人気公演をミスることなくなく鑑賞できることで、かなり、割引があるので、1回や2回、行けなくても、それ程損にはならないと言うことである。
   それに、会員券には含まれていない公演については、適当にチケットを手配すれば良いのである。
   尤も、ロイヤル・オペラの場合、パバロッティやドミンゴの出る公演は、時には別枠となることもあったが、幸いメンバーには、プライオリティがあって、高価だったが取得できた。

   帰国時に、このロイヤル・オペラの定期会員権を手放さざるを得なかったが、やはり、通い慣れて、オペラを楽しんでいたこの劇場、そして、色々の思い出のつまったコベントガーデンのレストランや商店や野外市、街頭パフォーマンス、ミュージカル劇場などなどの雑踏と独特の雰囲気から離れるのが、無性に寂しくなったのを覚えている。
   その後、オペラハウスは、改装されてパブリックスペースが素晴らしく整備されて立派になったが、何回か訪れて楽しんでいた。
   取得困難イギリスの永住権を持っていたので、イギリスに移り住んでも良いかなあ、と思っていた時期があったのである。
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ドナルド・キーンのオペラへようこそ! われらが人生の歓び (2)

2019年05月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   偉大な日本文学者のオペラ談義であるから、その造詣の深さと鑑賞眼の冴えには舌を巻く。
   特に、私などには分からない名歌手についての論評である。
   最大の賛辞は、マリア・カラスで、キーンが思い出の歌手たちで語っている8人の中に、取り上げられていて、更に稿を改めて、最終章に、”マリア・カラスを偲ぶ”と言う長文を掲載している。
   前述したように、マリア・カラスを知ったのは、1952年11月のロイヤル・オペラでの「ノルマ」で、キャンセル待ちで高価なチケットを手に入れて観劇して、オペラがそれほどまでに人の心を奪うものであり得るとは夢想だにしていなかったので、マリア・カラスこそ、現役最高の歌手と言う確信が根付いたと言う。

   その後、日本に居た空白の後、METでカラスの「ノルマ」を観た時には、体型がほっそりと美しくなって、舞台上の動きには、パワーのみならず、限りない優雅さが満ち溢れていて、別人が歌っているのは当然だと書いている。
   しかし、声を絞り出すような声量がわずかに落ちていて、そこにわずかな不安定性が現れていたというか、絶頂期を過ぎていた感じであった。
   ところが、この不安定さが、ひとふしひとふしに込められた驚くべき技巧と一つの楽節を切れ目なく次の楽節へ繋げて行く工夫の程が、最大限の効果を上げるように計算されていて、後年目立つようになった高音域の不安定さによって、舞台の劇的緊張が高まることになった。カラスが音程を外した時には、聴き手の心の中には痛みが駆け抜けたが、その痛みも、次の試練を待ち受ける希望と期待に転じた。
   失敗によって、勝利の効果が一層強まるという仕掛けで、この現象を最も巧みに説明した文章は、世阿弥の「至花道」にみられる、芸の達人は、自らの芸を完成させたのち、観客にその完璧さに慣れと飽きを感じさせないように、時には、意識的に下手な技を取り込むことがあると言う一節だと言う。

   それに、カラスの卓越した演技力にも触れていて、ライバルであったレナータ・テバルディを、役になり切ると言うことを知らなかったと大根役者よばわりで、カラスの姿勢は全く違っていて、如何なる役も実在の人間と同じだと言う信念に裏付けられていた、という。
   昨年末、映画「私は、マリアカラス MARIA BY CALLAS」に、ほんの少しだが、カラスの蝶々夫人のシーンが出ていたのだが、びっくりするほど、初々しくて女らしい、そして、優しそうな姿に感じ入ったのを覚えている。
   ロイヤル・オペラで渡辺葉子の、サンパウロで東敦子の蝶々さんを観たが、これは当然日本人女性なので素晴らしいのだが、欧米人の蝶々夫人は、観られたものではなかったので、印象的であった。
   キーンも、カラスの録音を聞いて、蝶々さんがピンカートンに長く愛してと訴えるところなど、胸に迫るものがあり、十五歳の日本娘になり切っている。カラスは、この作品に表現された悲劇の核心を直感的につかみ取ることによって、このオペラの歌詞を、いいえ、音楽さえも超越していたのです。とまで言っている。
   20世紀、カルーゾと並ぶ二大歌手の一人だと言うのである。
   私は、ただ一度だけ、フィラデルフィアで、最晩年だが、まだ、美しく色香の漂うカラスの歌声を聴いただけだが、幸せだったのかもしれない。

   キーンは、カルメンを筆頭にして、オペラへの誘いで、11曲のオペラについて解説していて、夫々の舞台行脚を披露していて面白い。
   この蝶々夫人については、プッチーニは、イタリア駐在大山公使の奥方の薫陶教化をうけたり、日本語のイントネーションを学ぶため公演中の川上貞奴に逢いに出かけたり、日本音楽を徹底的に学んで、日本の旋律に独特な和音を施して、自分の音楽として完全に消化し、日本的な響きを再現した。
   どうしようもない程低俗な種本を基にしながらも、ピンカートンと添い遂げるためにキリスト教徒に改宗しながらも、日本人として潔く自決した亡くなった蝶々夫人の生き様を昇華したと言うことであろうか。

   フランコ・コレッリの代役として登場したプラシド・ドミンゴを高く評価していて、METでは、パバロッティの方が評価が高いと、一寸、不満げで面白い。
   しかし、パバロッティは、遥か以前にあの世の住人、
   ドミンゴは、今でも、バリトンに鞍替えしして、METのスーパースター。
   とにかく、キーンのオペラ演目の好き嫌い、贔屓の歌手など、独特の語り口が、非常に面白い。

   
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都響定期B・・・大野和士指揮のシベリウス:交響曲第6番とラフマニノフ:交響的舞曲

2019年05月01日 | クラシック音楽・オペラ
   私は定期Cシリーズなので、本当は、20日の大野和士指揮のグリークのピアノ協奏曲とベルリオーズの幻想交響曲であったのだが、当日、落語の桂歌丸追悼公演会とかち合ってしまったので、振替で、同じ大野和士指揮の定期Bのコンサートに変えてサントリーホールに出かけた。
   プログラムは、次の通りで、私が聴いたことがあるのは、シベリウスの交響曲6番くらいで、ほかの曲は、コンサートホールで聴いたことはない。
   指揮/大野和士
   曲 目
     武満 徹:鳥は星形の庭に降りる(1977)
     シベリウス:交響曲第6番 ニ短調 op.104
     ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45

   夫々の作曲家の最晩年の曲を選曲したコンサートと言うことで、大野和士が、都響のホームページで、シベリウスとラフマニノフの2曲を、録画で丁寧に解説をしていた。
   私には、専門的な音楽の難しい話は、分からないので、猫に小判だが、
   シベリウスのこの曲は、ある音階教会せんぽうのドリア調だとピアノを弾きながら説明し、教会堂のはるか上の方からの木漏れ日のような微かな光を描こうとして・・・と語りながら、
   終曲では、シベリウスが常に求めていた遥か彼方の世界、FAR BIYONDとのコンタクト、結びつきを求めて、神秘的な世界へ舞い上がって行く内的心情を表現しようとしたと解説しながら、
   大野和士は、手を天空に向かって真っすぐに伸ばして伸びあがり、祈るようにじっと静止して説明を終えた。

   ケルンやランスなどの壮大な大聖堂の天を突いた壮大な教会堂の一番上方の窓からの光は、私の印象でも神秘的だが、北欧では、それ程高くて立派な教会はない筈で、シベリウスのイメージは、フィンランドだったかノールウェーだったかで感激して観上げた、こじんまりとした素晴らしい木造りの教会の神秘的な光の醸し出す印象ではなかったかと思っている。
   極北に近くて弱い太陽の光が教会堂に現出する絵のように美しい世界は、格別なのであろうと思う。
   フィンランドには、2回訪れただけだが、上空侵犯のロシア空軍機を、愛国者のシベリウスが、自動小銃を構えて追い払おうとしたした国だと知っていたので、ムーミンとサンタクロースの国でもあり、感慨深く、数日過ごしたのを思い出す。

   ラフマニノフの強烈なエネルギー炸裂の凄い迫力の交響的舞曲を聴いて、終曲のハレルヤにおける神との格闘と人間の人生での相克と言う、ダイナミックで強烈なオーケストラの咆哮に、作者が自分自身の人生での総決算ともいうべき最後の別れを印象付けよとした、と言うことが何となく分かったような気がして聴いていた。
   ラフマニノフについては、ピアノ協奏曲での印象が殆どであった私には、死の舞踏と言うか、悪魔が大地を踏みしめて咆哮するような不気味で強烈な舞曲と言う感じで、新鮮な驚きであった。
   ベルリオーズの幻想交響曲と一緒に聴いてみたら、面白いかもしれないと思った。

   クラシックのコンサートには、好きだと言うだけで、もう、半世紀以上も通っていて、欧米のトップ・オーケストラも随分聴いてきたが、如何せん、音楽の勉強をしていないので、その方面の知識には暗くて印象だけで聴いている。
   幸い、欧米生活が長かったので、見聞きした風景や風物などを思い描きながら聴いているのだが、何となく、大野和士の解説を聞いていると、自分勝手であったとしても、イメージを膨らませて楽しめればよいということのようなので、少し、ホッとしている。

   今日は、新天皇皇后即位の令和の最初の日。
   両陛下の御代に幸あらんことを心から祈念する!
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