今日の文章は、話があっちこっちへ飛びますので、読む方はマインドマップにかいて整理しながら読まれると良いかもしれません。
世の中に「コーチング」という分野が広がりつつあります。コーチをする相手の個性や能力を引き出し、その人(またはその団体)自身の力で問題を解決していけるように寄り添うようにして導いていくことだと私は認識しています。
このコーチングにマインドマップを活用すると大きな気づきが生まれるのです。
私は日本における「マインドマップフェロー」の1期生であり、小学校教師としては「世界初のマインドマップフェロー」だという自覚があります。この自覚のもとに、最先端の事例を創り続ける使命を感じてこの2年間取り組んできました。おかげ様で、様々な出版社や雑誌社、新聞社から取材を受けたり、出版への協力を依頼されたりしています。2010年内にも数冊の本へ関わらせていただいています。
そのような実践の中で生まれた「コーチングマインドマップ」は本当にすごいパワーを発揮しています。
学校の教員は、自分のクラスのことで四六時中、真剣に悩んでいます。もし学級運営を一人で悩み続けたら、間違いなく精神的におかしくなることでしょう。誰もが一人では抱えきれない重荷を両肩に抱えているのです。
幸いなことに私の職場は、職員室が本当に仲が良くて(というか、そうなるように働きかけてきましたが)、困ったことがあるとほっておかない雰囲気があります。そんな中から生まれたのが「二十四の瞳作戦」なるものでした。24人の教員の目で子どもたちを見守っていこう。また教員同士、心の壁を取り払って、お互いに学び合っていこう。そんな価値を生み出すための作戦です。
みんなで学びの交流をし、子どもたちも分け隔てなく見守っていこうという価値観を持っている職場です主幹教諭という立場を与えられている私は、たま~にこのような声をかけることがあります。
「その問題は一緒にマインドマップにかいていくと解決方法が見えてくることがあるよ。」
実は、問題解決をするためのマインドマップをかくには、ものすごいエネルギーを必要とするのです。かき始めるまでが大変です。私自身もこの「問題解決マインドマップ」だけはかくまでになかなか一歩を踏み出せないことがほとんどです。なぜなら「見たくないものまで見えてしまう可能性がある」からです。無意識のうちに避けてきた課題を真正面から見なくてはならなくなることがあるからです。苦しいたらありゃしない(苦笑)。
そんな時に、隣で導いてくれる人がいたらどんなに楽でしょう。
このコーチングを私がよくやります。
「クラスの子どもたちの人間関係が今一見えない。担任としてどう働きかけたら良いのか悩んでいる。」という先生にマインドマップをかいてもらいました。
「Aさんはなぜそういう行動をするのかな?」
「AさんとBさんの関係が悪くなったのはなぜかな?」
「ではCさんはどんな行動をするの?」
「Dさんが話していたことを思い出して」
私からの質問への答えを出して、マインドマップにかいていくと、あれれれれ???
Aさんに大きな課題があると思っていたのに、実は被害を受けている側だと認識していたBさんの方に大きな課題があったんじゃない!
そのような「担任としての気づき」が生まれるのです。
ある先生にも、やはり同じように質問をしながらマインドマップをかいてもらいました。その時もかく前は、「Eさんのお母さんはどうして小さなことを不安に思うのか?ちょっと理解できない。」とどちらかというとマイナス感情を持っていた。ところがかき進めていくうちに、
「ん?! もしかしたら兄弟関係で過去にあった大きな問題に対するトラウマ的な不安感情があるんじゃないかな?・・・・・だとすると、お母さんの声は、自分が思っていたよりもずっと大きな不安じゃないか!!!・・・うわ~、すごいことに気づいてしまった!・・・保護者会の前に気づけて本当に良かった!・・・うん、これで保護者の不安を受け止められます!」
担任の潜在意識に“気づき”が生まれると、学級が劇的に良くなります。
なんと、担任が何もしないのに、子どもたちが良くなってしまったなんてことが起こるのです。それは深層心理から考えれば当然のことなのです。
顕在的に見えている個々の存在という表層へのアプローチでは根本的な問題解決にはなりません。潜在意識の底にある集団心理のドロ沼にアクセスしないとならないのです。その精神的なドロ沼の中に、担任が勇気をふりしぼって飛び込み、美しい蓮華の花を咲かせることができれば、何もしなくても問題解決するはずなのです。
学級という「人間的組織」「精神的組織」の動きは、すべては担任の一念の中に存在する「クラスイメージ」に左右されます。マインドマップはそうした「深い精神イメージ」を変革していける強力な道具です。パワーのありすぎる道具なので、一人で使うよりも複数人で協力しながら使うことが楽なのです。