合掌。
あまりにも大きな災害です。
私の大学の友人も気仙沼で小学校の教師をしているので心配でなりません。
また、職場の同僚の中にも東北出身の方がいるので、気が気ではない。
私の母も東北出身で親戚も多いので、心穏やかではないです。
幸い、福島にいる妹家族は無事でしたし、災害の大きい宮城県にいる小学校の先生や、停電をしていた青森県の先生も、ツイッターを通して無事であることを確認できました。しかし、気仙沼の同期生の安否は分かりません。
当初こんな時にブログに記事をアップするのは不謹慎だと感じましたので無言でいましたが、自分にできることはすべてやっておいた方が良いだろう、教訓として残せるものは書き残しておいた方が良いだろうと思いますので、あえて書くことにしました。
3月11日(金)、14:45頃
私のクラス(4年生)は、習字の学習をしていました。
5,6時間目の2時間をたっぷり習字にかけていたので、3分の2の子どもが課題を終え、片付け作業に入っていました。
ちょうど廊下には、「15時すぎからお話をしましょう」とお呼びしていたFさんのお母さんが来て、待っていてくれました。
そこに大地震が起こりました。
始めは「ああ、地震が来たな・・・」程度の揺れでした。習字の片づけをしている子がたくさんいたので、半数以上は立って作業をしている状態の我がクラス。今振り返って考えてみると、私からの指示が通りにくい状況があったと思います。
数秒間は軽い揺れでした。
ところが時間がたつにつれてドンドン大きくなっていく。
まるで校舎が何か柔らかいものの上に乗っかって、上下左右に揺らされているような感覚。
ただちに子どもたちは机の下に避難しました。
すぐに止まるだろうと予想していた揺れは、なかなか止まりません。
そのうちに教室にある60㎝水槽から水があふれ出しました。
泣きだす子もいたので、私からは「大丈夫だから、このくらいの揺れで校舎はつぶれないから。声を出さずに静かにしなさい。」という指示。となりのクラスからも担任教諭の「みんなすごいよ!避難訓練通りにできてるよ!えらいっ!」という大声の指示が聞こえてくる。
揺れがおさまったところで防災頭巾をかぶり、整然と校庭に避難しました。
子どもたちが全員避難できたか人数確認をして副校長に報告。その後、校舎の状況を見て二次災害の危険がないかどうかの確認ために、男性教員で手分けして校舎内へ入る。そこで私は痛恨のミスを犯していたことに気づかされました。私たち教員は「子どもたちの安全」ということに対しては、月に1度の避難訓練によって徹底的に身につけているつもりです。ところが、子どもたち以外に意識がいかないことを今回痛感しました。
なんと個人面談をしに来ていたFさんのお母さんが一人、教室で水槽からあふれた水の片づけ作業をしていたのです。
子どもたちを避難させるという意識しか私にはなく、まさか大人のFさんが教室に残っているなんてことは考えもしなかったのです。
「Fさん! 片づけなんてしなくていいですから、早く校庭に避難して下さい!」
幸いなことに東京地方の余震は小さかったので、Fさんも安全に校庭避難できましたが、Fさんのことまで頭になかった私は強く反省をしました。私の地震災害に対する意識はあまりにも甘すぎる!
二度とこのようなことをしてはいけない。学校は地域全員の安全拠点なのだということを、しっかり心に刻んでおきます。
テレビ情報によると東北地方を中心とする大災害。関東地方も余震による危険があり、緊急時の「保護者への引き渡しによる下校」となりました。ところが電話がまったく通じない。メールも届いたのかどうかわからない。
中にはご家族が帰宅困難者になっている子もいて、全員を引き渡せたのが20時過ぎ。
子どもたち全員を保護者の方々に受け渡すことができて、初めて私たち教員は自分のことを考えられます。
交通網がすべてストップしてしまった東京にあって、私たちは完全な「帰宅困難者」になっていました。
しかし、学校は「避難所」としての役目もすることになっています。
駅に近い隣の小学校には帰宅できない方々が次々と訪れているという情報が入りました。
さらに収容しきれないので、次に駅に近い小学校も指定避難所となった。
私の勤務校にも車移動中の母親と子どもが2組避難しました。
地元に住んでいて、歩いて帰ることのできる教員は帰宅。その他のほとんどの教員は学校待機となり。緊急時対応。
私のツイッターには、クラスの子の父親から「家と連絡が取れません。我が子は大丈夫でしょうか?」とメッセージが入る。
そこで安全を確認して返信。
落ち着いて、ふと思い起こすと、地震が起きた時に出張していたり、休暇を取り帰宅の途についていた同僚がいる。
そこで、ご自宅に連絡をすると、一人は歩いて帰宅途中という。
一人は友人の車の中にいて動けないらしい。
ただ一応連絡が取れたのでひと安心。
夜遅くまで、さまざまな電話での問い合わせにも対応する。
何もしないで待機していても無駄なので、来年度の年間指導計画を徹夜で作っていました。
その間、刻々と伝わってくる東北地方の被害に胸をしめつけられました。
史上最大の地震災害。私たち日本に住む仲間は、自分のできることを自ら見つけて、団結し、この試練と戦わなくてはなりません。
まずは明日、緊急募金活動をやりましょうと呼びかけるつもりです。