こんな時だから花に目を向けよう! (3) 金八世代と私



ニュース報道によると、東京では今日が桜の開花宣言だったようです。

どんなに苦しい時であっても、間違いなく春の盛りとなりつつあります。桜だけでなく、様々な花が咲き、新しい出会いが生まれる春です。昨日の記事にも書きましたが、四季のある日本では困難な冬を乗り越えた時に、生命のエネルギーに満ち溢れる春が来る。何万年もの悠久の歴史の中で、地下水脈のように見えない流れとして、日本に根付いている精神的な基盤は、こうした冬を乗り越えて春を待つリズムであると思うのです。


さて、昨日のテレビドラマ「3年B組金八先生」を見た方も多かったことと思います。

私は金八先生第一世代の一人です。多感な青春時代にこのドラマをタイムリーに見て、教師という道を進むことになったのです。高校に入学した時点で、すでに自分の将来の夢に向かって努力を始めることができたのも、このドラマのおかげです。

その第一世代の一人、近藤真彦さんがこのように言っていました。

「長い間、"金八先生"という日本の理想の先生像をドラマの中だけでなく私生活においても背負ってきたことは、本当にすごいことだと思います。日本中の先生たちが金八先生のような先生になりたいと思った時期もあっただろうし、日本中の生徒たちが金八先生のような先生に担任になってもらいたいと思った理想の先生・・・」

確かに「教え子のことを信じぬく」という一点では理想の先生でした。私も自分の担任と金八先生を重ねて見ていた面がありました。教師となってからは、金八先生という理想を越えていける「スーパーティーチャー」を目指してきました。普通の授業ができない、周りの先生に迷惑をかけるという欠点のある金八先生は見習わない。そこだけは圧倒的に上回る。そのうえで、誰よりも教え子のことは信じぬく。ドラマという架空のストーリーと比較できるほど現実の教師業は甘くありませんでしたし、もっともっと複雑な問題が多くありましたが、金八先生の姿は、私の教師生活のひとつの目安にはできました。



社会の中でいろいろなことをしてくると、このドラマに出演していた方数人とも、直接的、間接的につながりができたりします。昨日のドラマを見ながら、そんな昭和54年世代の方々の姿を見て、いやいや年をとったもんだという妙な感慨が生まれました。32年もたったんですねぇ・・・・・


ドラマの最後、演出は金八先生にこのように語らせました。

「私は君たちのおかげで、金八先生であることができました。」

この言葉は、私もまったく同じです。どんなに授業力を磨いたところで、子どもたちがいなければ何もできないのが教師という仕事です。また、子どもたちがいろいろな問題を起こし、それに対処するたびに教師としての能力が伸びていったのも確かです。まさしく「子どもたちのおかげで、教師は力を伸ばすことができる」のです。


さらにドラマは、金八先生にこう語らせました。

「ひと隅を照らす者になってください。」

台本上、さらっと流れたこの言葉。もっと演出すれば良かったのに。時間がなかったんでしょうね。実はとてつもなく大きな一言だった。それに気づいた方も多いでしょう。しかし何のことか分からずに聞き流してしまった若い人も多いと思います。そこで、ここに楔(くさび)を打っておきます。

私は大学時代に、数々の偉大な先輩からこの言葉を教えていただきました。「ひと隅を照らす」という言葉ではなく、「一隅(いちぐう)を照らせ」という言葉でした。

人はそれぞれの立場で使命がちがう。社会に大きな光明を与える人もいれば、そうでない人もいる。大切なことは何か?それは少なくとも小さな自分の立場であっても、社会のひと隅に光を灯していける存在になるんだ。その灯が集まれば、まぶしいばかりの世の中になるはずだ。「一隅を照らせ!」・・・自身の使命を果たしていきなさい。そう言われたことを今でも鮮明に覚えています。

どうか20代の若手教師諸君は、この言葉を心に刻んで、「一隅を照らす」人間に育って下さい。


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