地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

惜別!東横線8000系 (7) 桜木町があった頃

2008-01-21 10:08:12 | 大手民鉄 (東急)


 数回にわたってお送りしてきた東急東横線8000系惜別特集も、今回が最終回。それにふさわしい画像として、桜木町駅に停車中の歌舞伎編成と横浜ランドマークタワーの組み合わせをご覧に入れたく存じます。
 たとえ東横線に時が流れ、横浜駅が地下化され、終点が元町・中華街に変わり、横浜の業務・観光の中心にダイレクトで行ける便利を享受するようになろうとも、やはり心の底ではどこか「横浜駅は高架であって欲しい。終点は桜木町であって欲しい」と思うのも事実です。住宅街の中を右に左にカーブを切りながら走って来た電車が反町のトンネルを抜けると、国鉄→JRの行き交う列車を見下ろす高架に躍り出て、横浜駅にすべり込む瞬間は、幼い頃横浜に買い物に来るたびに最大の楽しみでした (2枚目の画像。ここで車内から横浜線の73系や静岡所属の80系が見えると「やった!」という気分でした。我ながら、変な幼児だったなぁ……笑) 。さらに東海道線をオーバークロスし、うらぶれた高島町を過ぎた後、しばし根岸線の高島貨物線乗り越し部分に車窓展望を邪魔されるものの、かつては造船所のクレーンがひしめいていたみなとみらい一帯がやがて車窓にパッと開けて来ると、電車はついに桜木町駅に到着……。そんな、余りにもドラマチックな車窓風景の展開が東横線の末端では待っており、その明るい舞台でいつも8000系が車体を輝かせていた……という印象が多くの方におありだったのではないかと思います。



 それにしても、惜別の記事を書きながら改めて痛感するのは……東横線における8000系の時代が本当にあっという間に流れてしまい、自分もいつの間にか言葉の正しい意味で人生の半分を終えてしまったということです (今後も平均寿命分を生きることが出来ればの話ですが)。
 「そこにあることが当たり前で、すべての前提だったはず」の8000系が東横線にもういないという事実をかみしめながら、これから一体どのように生きて行けば良いのだろうか……と、茫然とせずにはいられません。
 それでも幸いにして、8000系には伊豆急にせよジャカルタにせよ、第二の車生を送る素晴らしい舞台があります。そういった場所をこれからも折に触れて訪ね歩き、「お互い頑張ろう」とねぎらいながら、味わいのある確かなものを愛惜する……。そんな趣味人生がこれからも続くのだろう、という気がしています。
 
 東横線8000系の銀色の輝きは、
 永遠に心の中を照らし続けることでしょう。
 8000系が走り始めて間もなく、
 東横線の沿線で生まれたことに、
 いま改めて喜びと誇りを感じます。
 東横線8000系、さようなら。
 そして、心からのありがとうを。