
北鉄鶴来駅に佇む京王3000つながりということで……本家・京王井の頭線で今も活躍する3000系の画像をちょこっとアップしてみることにしましょう。
京王3000系といえば、かつては井の頭線の主として圧倒的な存在感を誇っており、とくに私が初めて井の頭線に乗った1980年代後半以降はこれしか走っていなかったため、「あ~つまらん。緑の釣掛に乗りたかった」と思いながら、たまに初期車・片開き扉の第1・2編成 (ラッシュ時限定運用) に当たると「何かプチな幸せ♪」という気分になったものでした (笑)。今思い出してみますと、当時は全編成とも正面が原形で、クーラーも初期~中期の車両を中心に魅惑の分散クーラー車だったことから、もっと趣味的に深く探求する余地もあったはずですが、一時期毎日井の頭線に乗っていた頃は見事に非鉄……(汗)。
そして気がついてみれば、いつの間にか井の頭線は1000系の天下となり、「しまった……やっぱり井の頭3000もシブいではないか。記録も早めにしておかないとなぁ」と思うようになったのですが、3000系は日によっては僅かしか運用に入っていないこともあり、今度は「撮影効率が悪いなぁ」という理由で知らず知らずのうちになかなか足が向かないという悪循環に (^^;)。

しかし、こうしてウダウダしている間にも1000系20番台の入線は相次いでいるわけで、2010年にはVVVF化率100%を達成!という京王のアナウンスは本気だ……ということを思い知らされる今日この頃です。そこで、いよいよこれはまずいなぁ……と思いまして、まだ花粉が大して飛んでいなかった去る2月下旬、沿線で用務があったついでに手提げカバンにカメラを忍ばせてスーツ鉄を決め込んでみました (まぁ、最近はスーツ鉄ばかりなのですが ^^;)。
その成果は1枚目でありますが、これはこれで、住宅街を行く井の頭線っぽい雰囲気が100%表現されており満足 (*^^*)。しかし……この日は土曜日だったこともあってか、他の編成が全然来ない……(-_-;;)。短時間で渋谷~吉祥寺間を往復出来る井の頭線にあって、30~40分ほど待ち惚けても3000系を見かけないということは……もう3000系は平日ラッシュ時中心の運用に移行しているのだろうかと思わずにはいられないのでした。車齢20年少々の後期編成が、20m4扉車ではないという事実だけのために、まさかこのような憂き目に遭っているとは……。
そんなことを思いながらブラブラしていると、ちょうどそこに現れたのは就役直後と思しきピカピカの1000系。3000系のイメージに近づけた前面窓といい、東急車輌製でありながら他の路線の「走るんです」と比べてはるかに快適な車内といい、文句のつけどころは全くなく、むしろ「その裾絞りボディを小田急にくれ! シモキタの連絡線を復活させて、小田急3000は短距離の井の頭線にくれてやるぅ!」とすら思うのですが (個人的に思うに、それほど小田急3000はつまらん……。かつて子会社だった井の頭線の方が、今やよりデラックスな雰囲気の通勤車を走らせているとは……)、その代わりに長年井の頭線のイメージを代表してきたコルゲートいっぱいボディの3000系が消えて行くのは寂しいことです。
【補記】そういえば、小田急と井の頭線の関係は、かつて井の頭線が小田急子会社の帝都電鉄だった頃から、しばしば車両面での印象の入れ替わりがあるようです。RP誌00年4月増刊号『釣掛電車の響き』(慶應鉄研三田会編) 所収の懐古談座談会記事を読んでいますと、戦前のシモキタ界隈鉄道少年のあいだでは、線路の印象は親会社の小田急が格上だったのに対し、車両の印象としては大きな窓の帝都電鉄の方が圧倒的に上だったとか。それが小田急1600形の登場で「革命」が起こったという……(^^;)。戦時戦後の混乱・大東急時代を経て、井の頭線は当時経営基盤不安定な軌道線であった京王線と一体経営とするべく京王帝都として独立させられ、渋谷という経営資源を失った小田急は恐らく歯ぎしりをしたわけですが、戦後の通勤車両発展史としては、湘南顔にこだわった井の頭線と、小田急顔にこだわりつつ9000形という衝撃のホームランを飛ばした小田急とでは……やはり小田急の方が世間ウケしていたのかも知れません。しかし今や、小田急3000・4000に対して井の頭が逆転ヒット (?!) ということで……。昭和の車両の引退は惜しいことながらも、因縁の車両対決 (笑) が今後も利用者をワクワクさせるような方向で続くことを祈ります。