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このたび当ブログは50万アクセスの大台に達しました。Teacupブログのカウンタは、単純なヒット数ではなく、1日あたりどれだけの異なるIPアドレスからアクセスがあったかをカウントするという点で厳格なのですが、それでいて50万アクセスですから、当初は思ってもみなかった数字に改めて驚いております。今後もヒマが許す限り、シブい車両を中心とした濃厚な話題をご提供できればと思いますので、宜しくお引き立てのほどお願い申し上げます。m(_ _)m
というわけで今回の記念アップは、先日登場した東急池多摩線用の新7000系にかこつけまして、上田電鉄=上田交通が1500V昇圧を行う直前の1986年春夏に撮影したカットです。東急新7000系、計画段階のイラストを見ただけでは「うーん」」の一言でしたが、完成した姿を見てみますと、意外なほど違和感がない……。それは勿論、「走るんです」も完成度を高めてきたということでもあるのかも知れませんが、それ以上に新7000系の姿にデジャヴュを感じたからです (笑)。そしてはっきりと脳裏に浮かんだのは……昇圧時に導入された5000系の姿!

1枚目は、昇圧に先立って完成していた下之郷の新車庫で出番を待っていた5000系2編成の記録です (許可を得て撮影)。しかし惜しいことに、個人的に5000系の上田時代を撮影したのはこの1枚のみ (滝汗)。何故なら……当時の私は圧倒的に半鋼製釣掛式電車に思い入れておりまして、しかも雀の涙の小遣いでリバーサルフィルムを買うのは決死の覚悟。たとえ生まれながらにして東急5000系に親しんでいたとはいっても、これから750V旧型車を追いやって当たり前のように活躍を始めるカエルのために切るシャッターは1カットだけだ……という発想しか持ち得なかったのであります (^^;)。当時もし既にデジタルカメラが普及していたとすれば、他にも上田駅側線に留置されていた分も含めて、カエルについても撮りまくっていたと思うのですが、後悔先に立たず……とりあえず車庫も電車もピカピカな下之郷の雰囲気を記録しただけでも貴重なのかも知れません。
むしろ、緑帯の5000系よりも当時はるかに注目していたのが、上田交通の異端車・デハ3310です。言うまでもなく東急3300系の中の1両として池上線で活躍していたこの車両は、半鋼製クハ1両とともに上田交通に貸し出され (のちクハは全金属車3772に差し替え)、朝ラッシュ時に上田原→中塩田→上田→上田原という順路を走るだけの細々とした活躍をしていました。それが如何に例外的で地味であるかは、他の車両の濃紺+白塗装ではなく、貸し出しがやがて譲渡扱いに変わった後もずっと緑塗装のままで走り続けた点、そして何よりも上田式の改番 (1桁目が出力、2桁目が制御方式を表す。またデハ→モハ) を受けなかった点に現れていると思います。そんな特異さや、親会社の車両であるにもかかわらず継子扱いであるあたり、デハ3310は何とも言えない哀愁を漂わせておりまして、雪晴れの朝の中塩田駅を訪れた際にも思わず激写してしまいました。じつはこのときの上田訪問は中学卒業記念 (笑)。ピチピチな女の子よりもヘロヘロな旧型車!という考えでしたので、我ながら酔狂な思春期だったなぁと思います (^^;
しかし、86年春の時点ではまだ5000系の緑帯塗装を知る由もなく、まさか親会社のグリーンがやがて5000系→7200系と引き継がれる上田標準色となり、今また池多摩線にフィードバックされて (?)、上田ガエルを思い出す新7000系が走り出すことになろうとは夢にも思っていなかったのでした。
※この記事は22日夜9時半にアップしておりますが、23日付とさせて頂きます。