地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

50万アクセス御礼・緑の上田交通

2007-11-23 13:54:04 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは50万アクセスの大台に達しました。Teacupブログのカウンタは、単純なヒット数ではなく、1日あたりどれだけの異なるIPアドレスからアクセスがあったかをカウントするという点で厳格なのですが、それでいて50万アクセスですから、当初は思ってもみなかった数字に改めて驚いております。今後もヒマが許す限り、シブい車両を中心とした濃厚な話題をご提供できればと思いますので、宜しくお引き立てのほどお願い申し上げます。m(_ _)m
 というわけで今回の記念アップは、先日登場した東急池多摩線用の新7000系にかこつけまして、上田電鉄=上田交通が1500V昇圧を行う直前の1986年春夏に撮影したカットです。東急新7000系、計画段階のイラストを見ただけでは「うーん」」の一言でしたが、完成した姿を見てみますと、意外なほど違和感がない……。それは勿論、「走るんです」も完成度を高めてきたということでもあるのかも知れませんが、それ以上に新7000系の姿にデジャヴュを感じたからです (笑)。そしてはっきりと脳裏に浮かんだのは……昇圧時に導入された5000系の姿!



 1枚目は、昇圧に先立って完成していた下之郷の新車庫で出番を待っていた5000系2編成の記録です (許可を得て撮影)。しかし惜しいことに、個人的に5000系の上田時代を撮影したのはこの1枚のみ (滝汗)。何故なら……当時の私は圧倒的に半鋼製釣掛式電車に思い入れておりまして、しかも雀の涙の小遣いでリバーサルフィルムを買うのは決死の覚悟。たとえ生まれながらにして東急5000系に親しんでいたとはいっても、これから750V旧型車を追いやって当たり前のように活躍を始めるカエルのために切るシャッターは1カットだけだ……という発想しか持ち得なかったのであります (^^;)。当時もし既にデジタルカメラが普及していたとすれば、他にも上田駅側線に留置されていた分も含めて、カエルについても撮りまくっていたと思うのですが、後悔先に立たず……とりあえず車庫も電車もピカピカな下之郷の雰囲気を記録しただけでも貴重なのかも知れません。
 むしろ、緑帯の5000系よりも当時はるかに注目していたのが、上田交通の異端車・デハ3310です。言うまでもなく東急3300系の中の1両として池上線で活躍していたこの車両は、半鋼製クハ1両とともに上田交通に貸し出され (のちクハは全金属車3772に差し替え)、朝ラッシュ時に上田原→中塩田→上田→上田原という順路を走るだけの細々とした活躍をしていました。それが如何に例外的で地味であるかは、他の車両の濃紺+白塗装ではなく、貸し出しがやがて譲渡扱いに変わった後もずっと緑塗装のままで走り続けた点、そして何よりも上田式の改番 (1桁目が出力、2桁目が制御方式を表す。またデハ→モハ) を受けなかった点に現れていると思います。そんな特異さや、親会社の車両であるにもかかわらず継子扱いであるあたり、デハ3310は何とも言えない哀愁を漂わせておりまして、雪晴れの朝の中塩田駅を訪れた際にも思わず激写してしまいました。じつはこのときの上田訪問は中学卒業記念 (笑)。ピチピチな女の子よりもヘロヘロな旧型車!という考えでしたので、我ながら酔狂な思春期だったなぁと思います (^^;
 しかし、86年春の時点ではまだ5000系の緑帯塗装を知る由もなく、まさか親会社のグリーンがやがて5000系→7200系と引き継がれる上田標準色となり、今また池多摩線にフィードバックされて (?)、上田ガエルを思い出す新7000系が走り出すことになろうとは夢にも思っていなかったのでした。

※この記事は22日夜9時半にアップしておりますが、23日付とさせて頂きます。

東上線50090系登場記念・初期ステンレス車

2007-11-22 21:09:19 | 大手民鉄 (東武)


 来る25日に予定されている東武南栗橋イベント、今年は昨年の超豪華な車両展示ラインナップと比べますとどうもツボに欠けるところがあり、「うーん、行くべきか行かざるべきか」と悩んでおります。そこで、先ほど改めて東武公式HPにアクセスしまして、開催要領を確認してみようと思ったところ……何と、東上線用の新型車として有料ホームライナーを兼ねた50090系が登場する旨の公式リリースが掲載されており、思わず「ついに東上線も料金制列車不毛の時代を脱するときが来たのか!」と叫んでしまいました (^^;)。しかも、近鉄LCカーや仙石線205系と同じく、用途に応じてロングとクロスを転換可能とは……。恐らく、朝ラッシュ時はロング、日中はクロス状態で京急2100系と同じような料金不要優等列車となり、夕方以降は料金制となるのでしょう。もっとも、所詮は日立Aトレインですので、椅子が恐ろしく硬いものになりそうな悪い予感もあるのですが (爆)、特に川越以遠からの利用者にとっては朗報なのではないかと思われます。名称は公募だそうですが、「フライング東上」以外に果たして適当な名称があるのでしょうか? (爆)



 というわけで、全然50000系列とは関係ないのですが、東上線料金制列車登場を言祝ぐため (?)、新河岸で撮影したステンレス車の画像をアップしてみましょう。
 東武における本格的なステンレス時代の幕開けを告げた9000・10000系といえば……思い出してもみれば、東上線において割と多数残存していた7300系を80年代前半に一気に廃車へと追いやった存在でありまして、ようやく中学生となって撮り鉄旅を親に認めてもらい、「さあ7300撮るぞ!」と勇んでいた私は、結局7300と9000・10000系の世代交代劇を見届けることになってしまったのでした……。それ以来しばらくのあいだ、9000系や10000系は怨みの対象だったはずですが、気が付いてみればそれも今から20数年前の話になってしまいまして (^^;)、いつの間にかコルゲートが多いこれらの車両を「シブい……」という視線で眺めるようになっていました。そして今や、9000系の修繕車が現れ、10000系も館林での修繕が始まっているとか。回転幕を装備したオリジナルな姿が完全に失われてしまわないうちに、今後も少しずつ撮り貯めておかなければなぁ……と思っています。

 そういえば大事なことを思い出しました。実は50090系の代わりに8000系の廃車が進むことは明らかですので、シブい車両趣味という観点からみれば、言祝ぐべきではないのではないかと……(汗)。
 あと、6050系の経年劣化に合わせて、日光線の区間快速用としてこの車両の6連を用意し、新栃木で分断、日光線北部・鬼怒川・野岩会津線の料金不要列車は完全に短編成ワンマン化……ということも有り得るのではないかと……。そうすれば伊勢崎線北千住口での混雑も緩和し、長距離客はいっそう優等列車に誘導することも可能なわけで……。来月のRP誌東武増刊号発売を前に、いろいろ今後の東武の方向性について考えさせられる車両ではあります。

※おことわり この記事は21日夜にアップしていますが、一番上に表示するため、22日付とさせて頂きました。

潮風薫る函館市電 (3) 広告車の面々

2007-11-21 00:28:43 | 路面電車


 前回は五稜郭に停車中のED79をアップしましたので、そういえば、ということで函館市電シリーズの続きです。
 函館市電の一般車両は、如何にも路面電車という風情で、小粒で落ち着いた雰囲気の車体が魅力的だと思うのですが、何とも悲しいことに、すべて広告塗装車だったりします (号泣)。しかも、かなりド派手な車両が多く、カメラを構えていて気分が萎えることもしばしばです。そういうわけで、自ずと「ハイカラ号」や530号への期待が過剰なものになり、一般車両はごく僅かしか撮影しておりません (汗)。
 そんな中でもとりあえず撮っておいた分を申し訳程度にアップしてみましょう (^^;)。まずは8005号。8000形は割と新しい車体デザインではありますが、実際には旧型車800形の車体更新車ということで、走行音は見事に重々しい釣掛です! (*^^*) しかも床が木製ですので、乗った際のテイストとしては、下手な似非レトロ車両よりも余程シブい味わいがあります。そしてこの広告塗装……あらゆる広告塗装の中で最もシンプルな雰囲気に好感度大でした! 



 いっぽうこちらは、8000形に更新されなかった残り僅かな800形のうちの1両。塗装が思わず「うーん……」と溜め息をつきたくなってしまう派手さですが、今回見かけた800形及び、同じスタイルの旧型車・700形のうち、この812号の広告が一番マイルドな雰囲気でした (汗)。
 「直線と曲線がバランス良く絶妙に組み合わされたバス窓の車体なんて、もし落ち着いた塗装をまとっているならば垂涎モノの存在では?」と思うにつけ、どの車両も本来のデザインを誇れていないように思えるのは残念のひとことですが、路線縮小もあって苦しい経営が続いてきた函館市電においては、多分この広告収入が大きな比重を占めているのかも知れません。というわけで、函館市電の一般の車両は、撮るよりも乗る方が楽しいのかも知れない……と個人的に思っております。

来春急行「銀河」廃止、寝台特急減便

2007-11-19 09:32:16 | 国鉄型車両


 かねてからネット上では「来る2008年春のダイヤ改定に伴い夜行列車大幅減便・・」という不穏な話題が流れていましたが、それが真実であり現実であることが、18日付『朝日新聞』一面トップで明らかになりました……。
 【廃止】急行銀河 あかつき&なは
 【減便】北斗星1往復化 日本海1往復化
 【2009年春廃止】富士&はやぶさ
 この結果、再来年の春には東京・大阪から東海道・山陽線を下る寝台列車は全滅することになりました。つい数年前まで、ブルートレインは東海道の夕方ラッシュ時に存在感を振りまきまくっていたはずであり、さらに80年代の時刻表を繙けば、山陽新幹線が開通した中でも東海道・山陽線はブルトレ街道だったはずですが……。1981年の時刻表では定期列車だけで東京発10本、大阪発7本 (583系含む) の偉容を誇っており、国鉄からJRへ移行した1987年春の時点でも東京発は不変、大阪発4本を維持していたのが泡沫の夢のようです……(-_-;)。



 とにもかくにもブルートレインは個人的に申しまして、10代の頃は言うまでもなく、貧乏だった20代の頃も、乗りたくても乗れない高嶺の花でした (その反動で、今では乗るとしばしばA個室寝台をフンパツしたりしていますが ^^;)。ゆったりと流れる夜の車窓に物思いに耽りながらビールを傾け、いつの間にか眠りに落ちて、翌朝目覚めてみれば旅先のうららかな朝の風景が広がっている……そんな寝台列車の旅は、鉄道趣味者でなくとも本来憧れの対象であるはずです。しかし、新幹線の新たな開業や、航空機・夜行バスとの競争という環境の変化の中で、70年代スペックのまま走り続けた寝台特急は、気が付いてみたら費用対総合効果 (所要時間・贅沢さ・快適さなど) のバランスが恐ろしく悪い列車になってしまったような気がします。それはまさに、惰眠をむさぼってしまったとしか思えないものです……。
 「サンライズ」はそこそこ集客し (パッと見たぶん)、大幅にイメチェンを図ったトワイライトエクスプレスも人気であることを考えますと、より「旅を楽しむ列車」らしさを前面に出せば、乗りたい人は絶対に多いと思います。しかし、そういう需要はごく一部の列車に集約し、それ以外の14・24系使用列車は徐々に整理を図り、客車区や機関区のスペースを空けようという計算なのかも知れません (とくに田町の再開発計画とのからみもあるのでしょう……)。
 狭くて便利になりすぎた日本。その陰で失うものも大きいですね……。
 とりあえずは上野発の夜行列車が少しでも長く生き残ることを祈るばかりです。
 画像は、1枚目は偶然EF65 1118が運用に入った急行銀河 (昨11月撮影。乗りました ^^)。2枚目は「北斗星」を牽引したのち五稜郭に単機回送されて来たED79 (これもボロボロですね……)。

※おことわり:この記事は18日朝にアップしておりますが、一番上に表示するために19日付け記事とさせて頂きました

流山電鉄「流馬」今日さよなら運転

2007-11-18 12:53:57 | 地方民鉄 (関東北東部)


 総武流山電鉄で朝のラッシュアワーに活躍する3両編成は、常磐線沿線に住んでいるわけでもない限りなかなか縁遠い存在ですが、個人的には「若葉」の黄緑色や「流馬」のスカイブルーなど、どこか103系を思い出す塗装が結構好きでした。但し……日中訪れるとどちらの編成も馬橋か流山で昼寝をしているのが常 (-_-)。撮りたいものの他の路線を優先していたら結局撮れない!という、如何にもありがちな無限ループから抜けられずにいたのですが (^^;)、それでも冷房化・カルダン駆動化100%を達成した流山電鉄の車両ラインナップは当分変わらないだろうと思い込んでいたのも事実です。そんな中、まさに寝耳に水で飛び込んできたのが、「流馬」編成・2004Fの引退というニュース……。検査期限の到来を期に3両編成を整理するということで、TXの開業以来の利用客減という逆風の影響がこのようなかたちで現れてきたのかと思うと、何とも残念な限りです (-_-)。
 そこで、最初で最後というのは何とも心苦しい限りではありますが、去る金曜日の平日休み、銚子電鉄へ向かう前に早起きしまして、「流馬」がラッシュアワーの運用に入る最後の1日の姿を記録して来ました (今日は午後から神奈川県内で用事がありますので……それに沿線は混むでしょうし)。



 この日はとりあえず曇りで、とくに鰭ヶ崎=平和台間の見通しが効く一帯で撮るには好都合だったのですが、当初は雲がやたらと厚く、光量もロクに確保できない状態……。何でこういう時に限って!と自分の不幸を嘆いたのですが、幸いにして朝8時過ぎからは普通に暗めな曇りに変わり、ISO400でそれなりのシャッタースピードを確保しつつ、2種類の巨大なHMに飾られた「流馬」の勇姿を記録にとどめることが出来ました……。
 それにしても、「流馬」2004Fは割と数が少ない西武801系の貴重な生き残りでもありまして (他には上信に2両×1あり)、他の701系出身グループと比べても車齢は若く昭和43年製……。そんな車両が流山入線から僅か10年で廃車というのはもったいない限りですが (でも車齢39年ですからそれなりに天寿を全うしたのかも知れません)、これも営業環境の変化の中、部品を他の元701系=2000系の延命に回すためにも致し方のないことなのでしょうか。
 西武701・801系といえば……そういえば上信も駿豆線も三岐もご無沙汰になってしまったなぁ、ということを思い出しました (^^;)。とくに駿豆線の1100系は他の編成と比べると古さが際だつわけで (汗)、改めて早めに記録しなければ……。
 ともあれ、見たところ朝のラッシュ3連は辛うじて椅子が埋まる程度+αの乗客がある流山電鉄……今後も都会の中のミニ私鉄として頑張って欲しいものです。