地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東急恩田通信・土曜午後に憩うカラス編

2008-11-15 19:26:16 | 事業用車両


 いつ何が起こるか分からない東急の車両事情……今日も田都沿線で野暮用があったついでにフラッと恩田の長津田工場に寄り道してみました。
 今日は土曜日ということで、基本的に入換作業は期待していなかったのですが、もしイレギュラーな入換があれば超ラッキーであることは言うまでもありません。そこで恩田に到着したところ……待てど暮らせどやっぱり入換はありませんでした。しかし、10日ぶりに来てみるとやはり変化は大きく、何と非貫通化改造を受けた8500系がテクノシステムから工場側に移動しているではありませんか! 
 そんな光景を横目に、カラスことデキ3021は惰眠をむさぼっていましたが、その後ろには社紋にガムテープを貼られた中間車が。正門の奥にはトレーラーが複数停車しており、来週あたりにはこれらの車両がカラスの牽引で最後の入換を行ったあと、川崎市営埠頭、そしてジャカルタに向けて旅立つのでしょうか……?



 いっぽう、恩田川沿いの遊歩道の脇から撮ると↑こんな感じ。余り者の1000系は、昔の回送幕に記された「Dead Head」そのままに死に体となっているのが現状ですが、いずれ新たな動きが起こる日が楽しみですね……。
 それはさておき先述の通り、テクノシステムで改造されていた8609Fが工場側に引き出され、代わりに8624Fの一部と思われる車両がテクノシステム (少なくともデハ8624が見えました) に収容されていましたが、恐らく8609Fと同じような改造を受けるのでしょう。いっぽう、8609Fの現状は以下の通りです。
 *高台から見やすい位置に8609+8950+8509。
  原型先頭車2両・非貫通の改造先頭車2両がそれぞれ編成を組む模様。
 *ドアスイッチ設置位置と思しきスペースは当面フタがされています。
  転出先で最後の仕上げとしてスイッチを装備するのでしょうか?
 *デハ8609はクーラーを1基撤去してパンタ新設! 
 *デハ8609の貫通路窓の下に小さなガムテープが。
  先頭化改造車の真ん中の窓にはワイパーがあるため、同様にワイパー装備へ?
  但し、デハ8509はそうではなかったため、あくまで憶測の域を出ません (^^;
 *デハ8509・8609ともども運用番号表示器は撤去。
  そのうちこの窓は塞がれる? というわけで、まず長電行きではなさそう。
 とりあえず、明日(日曜日)は動きがなさそうですので、今日と同じような光景を観察することが出来るでしょう。いっぽう、地方向け?1000系2連×2は正門脇・ED301の隣に留置。また出場線には8631Fと思しき10連が停車していました (遊歩道から出場線の窓越しに確認)。

さようなら・京急1000形8連快特!!

2008-11-14 09:13:00 | 大手民鉄 (京急)


 京急といえば1000形。1000形といえば快速特急の主力! ……2000形が登場して、日中のA快速特急(現・A快特)のほとんどを担うようになる前の1970年代はそんな時代でした。いや、正確には湘南フェイスの600形 (琴電1070形として現存するほか、逗子の池子公園でも保存) が京急の女王でしたが、女王陛下だけに如何せん本数が少なく、私が京急沿線に住んでいた1970年代後半は、駅や沿線で待っていても、かなりの確率で1000形が快速特急として運用されていたものです。これに加えて、都営浅草線に乗り入れるH特急は完全に1000形の運用でしたので、まさに優等列車の天下は1000形のためにある……かの感が子供心にありました (なお、川崎=逗子海岸間の急行は、停車駅の多さゆえに優等というよりも「速い普通」という印象で、かつ400・500・700の世界。そこで、とりあえずここでは京急の優等=快特&特急として書いております ^^;)。
 正直なところを申しますと、快速特急には600形が来れば「当たり」で、ごくありふれた (爆) 1000形が来ると「ちぇっ、またかよ・・・」と思ったものですが、代表的形式の最盛期とは往々にしてそのようなもの。JNR→JR103・113系、東急8000系、小田急フェイスの車両、そして東武8000系など……一時代を築いた決定版であればあるほど、どんどん数を減らし、やがてなくなったときに初めてその偉大さに気付き、「その日常風景の中を当たり前のように飛ばしていたこと」が無性に恋しくなるものです。京急1000形の場合でいえば、ロングシートのため着席確率が低い→立たざるを得ない→子供なので釣り革に手が届かない→三浦半島でのカーブの連続をブッ飛ばし揺れまくるときに敢えて「どれだけよろけないか」我慢比べ大会をする……という相当子供じみた不毛な思い出が、1000形独特の「プモォォ~」というCP音の連続、そして激しくうなるモーター音の連続とともにメチャクチャ懐かしかったりします (笑)。



 しかし、そんな1000形の優等運用も、2000・1500/1700・2100・新600の出現とともに次第に数を減らし……特に新1000が現れて以来、日中の飛ばしまくり運用に入ることはまずなくなり、最近では僅かに朝の9B (12連)、夕方の81SH (8連) に残る程度となっていました。
 このうち朝の9B・12連につきましては、ここのところ毎週1回仕事の都合上、9B品川行の横浜到着とほぼ同じ時刻に横浜から東京へ向かう東海道線を利用していることから「いずれ消えることは確実なので、撮っておかねば……」と思っていたのですが (出来ればその時間、「走るんです」に貢ぐよりも京急に乗り、かつ撮りたいものの、こういうときに限って時間の制約あり)、なかなかその機会なし (T_T)。いっぽう、午後3時過ぎに久里浜を出庫して三崎口に向かい夕方のラッシュ運用に入る81SHにつきましては、日中「快特・三崎口」を表示するシーンを撮影できるのは久里浜以南しかないことから、何とか機会を見つけて撮ろうと思いまして、去る9月に無事三浦海岸で撮影 (^^)。1枚目は、一応バックにうっすらと房総半島を入れたり……。2枚目も、バックの巨大な「1970年代風リゾートマンション」は、「東洋のマイアミ」として三浦海岸が売り込まれ、シーズン中には海水浴臨が増発されていた当時を物語るかの風情があり、1000形との組み合わせも絶妙……ですね (かなりうがった見方ですが ^^;)。
 こうして細々と優等運用に入っていた旧1000形ですが……先日、その出勤ついでに東海道線車内から9Bを眺めたところ、何と旧1000ではない……。その直後、とある極めて信頼できる筋から、旧1000形の9B運用が正式に消滅した旨ご教示を頂きました。ということは……朝の9Bとセットになっている夕方の81SHも当然陥落したわけで……こうしてまたひっそりと、長年にわたる原風景が失われてしまったことに、改めて寂しさを感じる秋の暮れであります……。

祝マイクロエース発表記念・北の勇者711系

2008-11-12 21:29:24 | 国鉄型車両


 いつも楽しいコメントを頂いております「とっし~」さんと、ここ数日来、東武模型の話題から大いに脱線しまして北海道型の模型をめぐる話題で盛り上がり、「もしマイクロエースから711系が出たら即予約」なんて書いてみたところ……ぬおぉっ!何と!マイクロエースから来春本当に711系が発売になるではありませんか!! 帰宅してネット上をウロウロしていたところ、そんな話題が目に飛び込んできてビックリ! 速攻で模型屋に予約を入れたことは言うまでもありません (爆)。私が初めて北海道を訪れた時には既に新塗装でしたので、予約したのは冷房改造車セットと3扉改造車セットですが、いや~楽しみです (*^^*)。



 これでさらに、札沼線のキハ141系列・ラッシュ時6両編成セットなんてものが出れば鼻血モノなのですが……最近ついつい調子に乗って京急「ありがとうギャラリー号」「歴史ギャラリー号」セットも予約してしまいましたので、まぁぼちぼち出してもらうことにしましょうか……(^^;
 それはさておき、こんな感じで衝動的に予約した余勢を駆って、まだアップしていなかった画像を漁ってみたのですが、はぁ……こうも忙しいと、夏の北海道でのんびりと711系を待ったことが夢のようにも思われます (汗)。今度は吹雪で雪まみれの711系をじっくりと撮ってみたいですね……(寒いのは苦になりませんので)。
 (※アップの都合上、12日付けとさせて頂きます)

真夏の?京都鉄路巡礼 (5) 叡電デオ720旧塗装

2008-11-11 00:34:09 | 地方民鉄 (近畿)


 周知の通り先日、叡電で最後まで非冷房・釣掛駆動で残っていたデオ600のさよなら運転が行われました。個人的な叡電との付き合いとしましては……如何にも「京の雅」そのものな半鋼製車・デナ21やデオ200が健在だった頃に2~3度訪れたことがありますが、当時はカルダン駆動のデオ300や、元阪神・デナ500の車体更新車であるデオ600は所詮「ハズレ」扱いで余り真面目には撮らず、今考えてみれば非常にもったいないことをしたものです (汗)。そこで、数年前に撮り鉄の道に復帰して以来、デオ600の走行シーンをいつかはまともに撮りたいと思っていたのですが、結局それも叶わずついに廃車……(T_T)。先日のさよなら運転は、無理をして行こうと思えば日帰りで行けなくもなかったのですが、秩父日帰りの後で既にグッタリしており、しかも明日また京都に日帰り出張することになっていますので、結局ボツ (^^;)。
 まぁ、私が叡電を度々訪れたのは、まだ京阪が出町柳に到達しておらず、かつ市電もなくなって久しく、叡電がまさに陸の孤島だった時代のこと。京福叡山本線・鞍馬線が分社化されて叡電と名前を変えながらも、低迷する利用状況にあえぎ、日中はどの電車も空気輸送に近かったのを思い出します……。そんな中でのんびり・まったりと叡電を味わったことから、京阪に乗って観光客が殺到する今の叡電は隔世の感があり、同慶の限りとはいえ自分勝手な違和感を感じていたのも確かです (^^;;;)。ましてや、撮り鉄でパニックの叡電なんて想像したくもないわけで……そんなことも結局、叡電デオ600の引退を遠くで見守るという判断に結びついたという次第です。



 というわけで、デオ600の画像ではなくて恐縮ですが、そんな叡電のいまを当ブログとしても綴ってみようかと思いまして、ちょうど1年前の今頃、出張ついでに撮影したデオ720の旧塗装をアップしてみることにしましょう (いちおう京都鉄路巡礼シリーズの一環としておりますが、夏に撮ったわけではありませんので、表題には「?」を追加しております。笑)。
 デオ700シリーズは、まさに分社化された叡電の発足まもない80年代後半、沈滞したムードを打ち破るために (?) デナ21やデオ200を車体更新することによって生まれた、主に八瀬遊園行きワンマン用車両ですが (デオ730は京阪1800系の機器流用)、当時はもちろんこのような色と車体の電車は、およそ内心思い描いていた叡電のイメージとかけ離れた歓迎されざる車両でした。そこで、来れば「いらねー」とブツブツ……(^^;;;;)。しかし、あに図らんや! その後デオ800・900 (しかも後者はガラス張り!) が現れるに及んで、単行でのんびりと走るデオ700シリーズは、カルダン駆動化という変化はありながらも、いつの間にか好ましい車両へと印象が変わっていたという……。しかも考えてもみれば、京福福井が2度の事故により呆気なく営業放棄し、なかなかシブい京福福井カラーの電車がえち鉄カラーへと衣替えした今となっては、京福福井色を今に伝える貴重な存在となっているではありませんか!
 しかし、そんなデオ700シリーズも新塗装への変更が進んでいるということで……これはまずい!と思い、抜けるような秋晴れの下、デオ700旧塗装の記録に励んだのでした。まだこの塗装は現存すると記憶していますが、ホントに放っておくといつの間にか激減→消滅してしまいそうですので、まさに記録は思い立ったが吉日……ですね (^^;;

雨の三岐訪問記 (4) 秩父のデキ202

2008-11-09 10:37:00 | 貨物列車 (民鉄)


 先日の秩父訪問では1000系を熱く追い求めるあまり、電気機関車を1台も撮っていませんでしたので (デキ100が3両も運用に入っているという非常に美味しい状況だったのですが……)、代わりに三岐シリーズのひとつとして、東藤原に佇む元秩父のデキ202をアップしてみましょう。
 もともと秩父と三岐はセメント・石灰石輸送が大黒柱であり、しかも私鉄中型電機が健闘しているなど路線の性格が似ているだけでなく、チチブセメントと小野田セメントが合併して秩父小野田→太平洋セメントとなった結果、同一資本の大きな影響力のもと置かれて今日に至っている……という関係。秩父・三岐両社の公式HPを見ても、リンク集にそれぞれ三岐・秩父が載っており、全く接続していない遠く離れた路線どうしが突拍子もなくリンクされている光景は一見ミョーですが、こういう関係を踏まえれば何の違和感もないわけです。そして、そんな秩父・三岐関係を象徴するのがデキ202の存在でしょう! ……いや、単に中部国際空港建設の土砂輸送にあたり不足する機関車を手当てするために、90年代の不景気で機関車が余剰となった秩父から移籍したというのが正確な事情のようですが、資本関係と移籍事実の一体どちらが先でしたっけ (^^;)。



 しかし、台車が特殊で、塗装も秩父ブルーなままのデキ200は、東武から輿入れしたELと比べても明らかに継子っぽい雰囲気……。しかも、三岐名物・重連運転を行うための総括制御化も行われていません (ジャンパ栓が見当たらず)。というわけで、202は東藤原に常駐し、もっぱら入換用として使われてきたようですが、この色褪せ具合に雨が打ちつけ、何だか非常に悲しい雰囲気……というわけで、最近そもそも入換用としても使っているのだろうか??という疑問が湧いてきます (-_-;)。冬になるとスノープロウを装備して除雪用として働くのを、02年末に初めて三岐を訪れた際に目にしていますが、果たして現在は……。ちなみに、スノープロウはやや小ぶりな黄色いもので、これを装備すると結構精悍な雰囲気です。が……スキャナが現在壊れたままになっていますので、恐れ入りますが画像は省略させて頂きます (→新しいのを買えよ、と ^^;)。
 それはさておき、こうして普段は仕事にあぶれているデキ202ですが、折しもセメント列車運休期間中につき東藤原の構内がタキ1900であふれている中、かつて武州原谷あたりで同じようにセメントタキに囲まれて元気に活躍していた頃をそっと思い出しているのでしょうか……。
 ちなみに、秩父からはもう1両、デキ203が輿入れしているはずですが、長らく保々工場の奥で眠っている様子……。再起する日は果たして来るのでしょうか?