地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東急8007F「伊豆のなつ」+αを作る (上)

2009-01-24 01:37:54 | 超へっぽこ模型製作


 かねてからお世話になっているTR-11さんが開設された、N模型メインのブログ「パーミル製作日記」とのリンクを記念しまして、久々の模型ネタです (^^)。
 昨年秋、生まれて初めての板キット挑戦としてGM東急8000系を製作し、お目汚しながらもその苦節の一部始終をご覧頂いたわけですが、その余勢を駆ってゲットした伊豆急8000系塗装済み板キットにつきましては、他のブツの製作に浮気してしまい(デワ3043+α、東武6050&8000系、鉄コレ第9弾などのN化改造)、しばらく放置が続いていました (^^;)。しかし「これではいかん……東急8000系シリーズを充実させるのだ!」と改めて気分を奮い立たせまして、この年末年始にさっそく組み立てにかかりました。
 但し、今回は伊豆急8000系としてではなく、東横線で感動的な光景を展開した8007F「伊豆のなつ」として製作することに決定 (笑)。その方針に沿って既に屋根の穴開けを進め、トイレの窓埋めも省略しております (^^;)。でもどうせ、出来上がったら出来上がったで、既に持っている完成品の伊豆急100系や湘南色の113・165系、そして157系などと一緒に並べるに違いないという……(笑)。ふだん1畳分の即席レイアウトでしか運転させないので、正確な編成の再現をするつもりもなく、取りあえず雰囲気を楽しめれば良いか……ンというイイ加減な初心者ノリです……はい (^^;;;;;;;)。



 それはさておき、取りあえず車体を組んで屋根をかぶせ、台車と組み合わせた台枠の上に載せてみますと……う~ん良い感じ♪ 何やら、こういう製作中のステップ(というか車両工場的雰囲気)を楽しむために組んでいるような錯覚すら生まれて来ますね (笑)。そして気がついてみれば……年始明けから再び忙しくなってしまい、気がつけば製作プロセスはこの状態で停止中 (苦笑)。これからクーラー載せ・車番&社紋貼り・窓貼りといった面倒な工程がまだまだ控えているというのに……。他にも現在、クロスポイントの東急7200系など、いろいろ新たな浮気に走っていることもあって、果たして完成はいつになることやら (爆)。もっとも、初製作時のような超ドキドキおっかなびっくり感覚はさすがに既になく、割と平常心 (?) で少しずつ完成へ向かっている感じですので、次回この車両群をアップするのは、多分完成してからになると思います (^^
 ちなみに……GM鉄道カラーの伊豆急100系色 (ちょっと発色が地味なような気も……) をまとっているのは、兄弟車両のウソ電として製作している「伊豆急100系風全面ラッピング車両」です (笑)。何となく塗ってみたところ……この格好良さは異常という感じ。結構気に入っています (*^^*)。設定としましては……1990年代に伊豆急沿線への誘客キャンペーンを必死に行うため東横線に登場した「伊豆のなつ1995」という感じにしておきましょう。いやホンネとしましては、トランバガテル2代目を走らせるくらいなら、上田の旧塗装全面ラッピングに倣って、実物の伊豆急8000系の世界で100系塗装全面ラッピングをやって欲しいというのが正直なところであります (伊豆高原のクモハ103動態保存だけでなく……^^;;;;)。

高崎の茶色い黒子役・EF64 1001

2009-01-23 00:06:48 | 国鉄型車両


 RP誌最新号の特集に合わせているわけではないのですが (^^;)、去る17日に「さよならEF55碓氷号」に乗ったことから、上野から後補機の任を務めたEF64 1001の存在にも敬意を表しまして、横川で撮影したカットをアップしてみることにしましょう。
 まぁ今さら私鉄メインの当ブログがあれこれ解説する必要はないのかも知れませんが、元来ブルー+正面腰回りクリーム塗装で登場したEF64 1001が茶色に変更されたのは、ひとえにEF55やD51をはじめとする高崎地区の保存機イベント運転にあたって補機の任に充てるためとのこと。
 そこで、17日の「前→EF55、後→EF64 1001」という組み合わせは、EF64 1001にとっても「本来の役目の最後」を飾るものだったようです。今回の一連のEF55イベント走行では、多くの場合DD51が後補機を務めていたようですが、個人的には「折角茶色いEFと組み合わせるのだから、後ろも茶色いEF64 1001の方が良いのではないか? どうせ全区間電化されているのだから……」と思わなくもないのも事実 (DD51ファンの皆様スミマセン。笑)。というわけで、この日の前も後ろも茶色い組み合わせは、EF55の引退劇を最も美しく盛り上げるものだ……と感じたのでした。



 あるいは、EF64 1001をこの日起用したのは、E231や新系列ELがひしめく高崎線区間で十分な走行性能を保つためだったのかも知れません。EF55は先頭でパン上げ・前照灯点灯・ホイッスル吹鳴をするだけで、実質的にはEF64 1001が余裕のパワーで推していたという可能性もあるのかも……と邪推 (^^;;;)。
 そんなEF64 1001を横川駅にて、まだ多くの人がEF55に群がっている中を先回りして撮影し、さらに発車シーンをもとらえたのですが、「やはり12系はEF55よりもEF64の方がマッチングが良いな」と思うのは私だけでしょうか (逆に、やはり戦前型ELには旧型客車が合うわけで……この臨時列車も旧型客車の運行だったらなぁ……と。^^;)。
 それにしても、EF55が引退したこの先、果たしてEF55の相方としての役目を終えたEF64 1001の塗装はどうなるのでしょうか。まあJREの他の特殊塗装ELと同じく、そのまま茶色である可能性が高そうですが、今度はEF64 1001に合わせて12系を茶色く……ってことはまずなさそうですね。そもそもこの6両は、現存する原色の12系として極めて貴重ですし……(^^;
 ちなみに、EF64 1001が「さよならEF55碓氷号」を率いて上野駅13番線に入線するシーンもアップしてみました。「続きを読む」からどうぞ。


 人多過ぎ……ですが、これでもEF55側の大パニック (近づくのを断念しました) と比べればはるかにマシ。東急8000系のときでもここまでは多くなかったような……。
 JR系イベント、恐ろしや……(@o@)。

相鉄5000系、ついに引退決定・・・

2009-01-22 18:40:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 戦後復興期から高度成長期へと移り変わる頃、湘南顔のモノコックボディに直角カルダンという斬新な装備で現れた相鉄5000系を、輸送力増強のためアルミ製20m車体に載せ替えて5100系としてから、早いもので30数年。その後VVVF化により5050番台へと名前を変え、総称としては5000系に戻りつつ、日々相鉄沿線民のために黙々と走り続けて来た太帯車体の歴史にも、ついに終止符が打たれるときが……。このたび相鉄HPにて、2月7日・11日に5000系さよならイベントを開催する旨が告知されました (T_T)。この時期には11000系の第2編成が甲種輸送され、かしわ台が満杯に近くなる (?) ことから、それと入れ替わりで5000系をニセ厚木で休車扱いとし、手が空き次第廃車にしようという算段なのかも知れません。
 しかし思い出してもみれば、そもそも5000系は、今からちょうど4年前に2編成とも運用から離脱して、そのまま休廃車の道をたどっているはずでした。ところがその後、7000系が天王町の踏切 (1枚目の画像) にて、車に体当たりされて再起不能状態に……。そこで5053Fは不死鳥の如く復活! 以来約4年にわたり、その独特な姿を輝かせて来ましたが……11000系が2本一気に導入されることで、奇跡の延命劇も最早これまでということになりました (号泣)。



 そんな5000系、最近は急行・快速メイン10連用の40・50・60番台運用から外れ、各停メイン8連用の10番台運用にもっぱら入っていたことから、「これはもう既に、もう1つの廃車候補である7000系と同じような使われ方に移行している。いつ完全引退の日が訪れてもおかしくない」と予想していたのですが、いざ現実に引退を突きつけられると、やはり心理的な動揺は隠せないですね……(-_-)。
 もっとも、同じ車体更新車でありながら、離脱の告知もさよなら運転もなくひっそりと消えていった2100・3000系と比べますと、5000系には相鉄史の一大立役者・6000系並みのはなむけが送られることになりますので、これも恐らく代表的車体更新車 (かつ初代5000系からの流れを受け継ぎし者) に対する相鉄社内の思い入れの深さの現れなのかも知れません。
 もともと相鉄は他の私鉄と比べると非常に地味な存在であり、しかも2000系やED10のような超独特な車両の引退というわけでもないことから、5000系とのお別れはあくまで沿線のファンを中心としたしみじみ・まったりとしたものになることを期待しているところです。まずは、さよなら運転の終了まで、安全運転でその使命を全うして欲しいものです……。
 ちなみに、個人的には前々から、時間的余裕が生まれれば2月上旬に台湾を訪れて、元宵節(ランタン祭り)と台鉄&ナローのシブい車両群を楽しもうかと何となく画策していたのですが、まだ航空券買わなくて良かった……(^^;;;;;;;;;;;

碓氷峠鉄道文化むらのEF53・59

2009-01-21 21:57:55 | 保存・園内・特殊車両


 横川駅でEF55の回送を見送った後は、ほとんど自然な流れで目の前の「碓氷峠鉄道文化むら」へ。ここは改めて詳述するまでもなく、碓氷峠区間が廃止された結果余ったEF63だまりの空間を活用した施設であり、緑に包まれた屋外に歴史的車両群(とくに高崎エリアに馴染み深い車両)が陳列されているということで、かねてから訪れてみたかったのですが、ようやくこの偶然な機会に合わせて初訪問と相成りました (笑)。
 ここの目玉は、世間一般的に見れば恐らく間違いなくEF63の動態保存・運転体験でしょうか。しかし……訪れた時間帯は昼時ということもあって、パンタを畳んで昼寝中……。EF55を撮っているあいだは、たまにEF63のホイッスルが聞こえ、前照灯もピカッと光っていたのになぁ……と (-_-;)。また、個人的に興味津々だった復活トロッコ列車は、何と冬季運休中 (鬱)。まぁ、どちらもまたいずれ、碓氷峠鉄道文化むらに焦点を絞って再訪する際にバシバシ撮れば良いでしょう (^^;)。
 というわけで、初訪問にあたっての最大の関心は、園内に展示されたシブい車両の面々に! いや……その前に、さよならEF55碓氷号運転に合わせて開催された鉄道部品即売会にもちょこっと関心が向かったのですが(車内で行われた会場入場順序の抽選で、何と非常に早い番号を引いてしまったもので ^^;)、見事に欲しいものがない……(爆)。「使用済みの記念イオカード豪華詰め合わせ」みたいなものがあれば良かったのですが……。そこで、その場にヤ○オクみたいなものがあれば、整理券が瞬間的に高値で売れたかも知れませんが、そもそもネットオークションもやったことがないもので (笑)、整理券は「ぱれっと」さんに譲渡 (^^;)。そのぱれっとさんも全く購買意欲を抱かれなかったようで……結局即売会場は通過 (^^;;;)。多くの人が即売会場に張り付いている中、割と閑散とした状態の車両展示スペースをじっくりと撮って眺めることが出来たのでした (^^)。



 展示されているひとつひとつの車両に「うをっ、懐かしい……」「本物だ……」と感動しながら撮影した中でも、今回とくにフィーチャーしたいと思ったのが、茶色の戦前製EL・EF53&59です。何と申しましてもEF55さよなら運転で訪れていることから、EF55誕生の前提として量産されたEF53にも敬意を表するのが自然な流れだろうということで……。
 EF53は、東海道線の丹那トンネル貫通・東京~沼津間電化運転を踏まえ、本格的国産量産機・EF52を改良して登場した決定版。EF55はEF53をさらに高速化させ流線型のボディをかぶせた車両ということで、なるほど、下回りの配置はEF53と非常に似通っているわけで……。その後EF53は、戦後EF58の登場により高崎地区へ転じたものの、暖房車をわざわざ連結する手間があることから、やがて全車EF59に改造されて瀬野~八本松間の補機として活躍し、EF67の登場により割と長寿な車生を終えたという歴史を持っているわけですが、個人的には1980年前後の鉄道雑誌に載っていた前面警戒色入りのEF59の姿が印象に残っています (当時は小学生につき遠過ぎて撮りに行けず T_T)。そんなEF53あらためEF59が、ゆかりの高崎エリアでこうして見事な美しさを保ちながら当時の勇姿を見せてくれているというわけで……うーん、やっぱりデッキ付きのゴツいELは良いなぁ……と惚れ惚れ (*^^*)。なお、EF53 2は、単純にナンバープレートだけ元に戻したものだとか (^^;
 こんな感じで脳内が茶色になったあとは (笑)、EF53の次位に連結されているオハユニ61の車内へ! さすがに年月の経過は否めず、木製の窓枠の一部が朽ち果てつつあり、近いうちにそれなりの補修が必要だろう……と思ったのですが、総じて状態は良好。80年代の61系客車末期、ニス塗り車内命!な中学生 (若くして既に枯れ果てた人生 ^^;) としていてもたってもいられず、18きっぷ片手に黒磯~福島間をのんびり往復したときの感動を思い出しました……(*^^*)。というわけで、ぱれっとさんと相談しまして、昼食として峠の釜めしを調達してオハユニ61の車内で賞味することに決定! 窓の外は右も左も国鉄車両……という中で釜めしに舌鼓を打っていますと、何やら本当に昔の客車列車の旅気分♪ 至るところに車両が留置されている大きな駅で特急・急行待ちの長時間停車となり、ガラガラの車内はひたすら静寂……ただヒマを持て余して弁当をつつく音だけが静かに響く……そんな感じです (^O^)。
 というわけで、思いのほかしみじみと満喫出来た碓氷峠鉄道文化むら、またいずれ人の少ない平日の曇り日に (今回は光線の関係で撮影を諦めた車両多し ^^;)、のんびりまったりと訪れたいなぁと思っているところです。

秩父7000系、広瀬川原で試運転開始を待つ

2009-01-19 10:51:54 | 地方民鉄 (秩父)


 横川でEF55の回送を見送った後は、碓氷峠鉄道文化むらにて冬の日だまりに佇む保存車両群を激写し、昔懐かしい客車内にて「峠の釜めし」を賞味!!(碓氷峠鉄道文化むらにつきましては、改めて詳しい記事を立てる予定です) すっかり眼福と口福を満たして横川駅に戻ってみると、ちょうど折良く115系の高崎行が到着し、首尾良くボックスシートを占拠! 冬枯れの風景の奥にそびえる白く巨大なピラミッド・浅間山を眺めながら、ぱれっとさんとともに充実した横川訪問の余韻を味わったのでした……(^O^)。信越線の高崎~横川間は、107・115系といったシブい面々に加え、安中駅の緑スイッチャーを眼にして超メロメロになってしまったこともあり (笑)、曇りor雪の日あたりを狙って、なるべく早めに (高崎地区の107・115系置換が表面化する前に) 再訪しなければ……と思った次第です。
 こんなことを考えながら高崎に着くと、13:36発の八高線に首尾良く連絡♪ 客が一気に減る群馬藤岡でめでたくボックスシートを確保し、新年初ディーゼルカーをまったりと楽しみ、やがて寄居に到着~。10分少々の待ち時間でやって来た秩父鉄道の電車は、何とスカイブルーの1001F!! この当たりの強さが、今年の個人的秩父運の良さにつながってくれると良いなぁ~と思いながら、ぱれっとさんとともにデハ1101の走行音や侘び寂びな車内を満喫し、やって来ました、ひろせ野鳥の森! ……そう、年始の高崎線周辺プチ旅の締めくくりとして、昨年末に甲種輸送された秩父7000系の最新の様子を観察することにした次第です (^^)。



 とりあえず、到着直前の車内から広瀬川原の様子を眺めたところ、撮りやすい位置にいるのは部品取りの中間車2両だけ……(T_T)。長津田出発時にまだ未完成だった7002Fはもとより、7001Fも整備のためクラの中か……ということで、そのまま熊谷まで乗り続けて運賃不足分を精算するという判断に傾きかけたのですが、その直後、ワキの奥に停車しているデハ7001のパンタが上がっているのを目撃! これは間違いなく、検査終了目前の車両が通電試験を行うための有架線ゾーン (本線や留置線とは架線がつながっていない) に停車しているに違いない……と踏みまして、予定通りひろせ野鳥の森で下車しました。
 風も止んだ穏やかな冬の午後の散歩道という風情に包まれた線路脇の桜並木を歩くことしばし、ワキ・ヲキ、そして都営6000や12系の部品取り廃車体に囲まれて車体を輝かせるデハ7001の正面を眼にして思わず「ををっ……」という感動が (*^O^*)。質実剛健な面々が居並ぶ秩父の車両陣に、こうして本当に東急8500が加わったのだなぁ……と、東急兼秩父ファンとしてしみじみ。
 そして踏切を渡りまして、通電試験線に停車している可能性を考えて用意しておいた400mmズームレンズを取り出し、パン上げをしているデハ7201の正面を激写しまくったのでした (^^)。まぁホンネを言えば、踏切からよく見える無架線地帯に留置されている姿を、午後のバリバリ順光線で撮影したかったのですが、これはこれで良いでしょう! ともあれ、8609Fが昨年の7月下旬に運用から離脱して約半年、運転室のミラー設置などの小改造も済ませ、こうして再びパンタを上げているということで……如何にも本格的試運転目前という雰囲気がビンビンに漂って来ます (*^^*)。そして、土曜日であるにもかかわらず、広瀬川原のスタッフの皆様が忙しく最終整備に当たっておられるあたり、秩父鉄道としても一刻も早く7000系を走らせたい……と期待するところ大なのでしょう!
 ちなみに、7002Fの顔が1枚目の画像にチラッと見えていますが、工事の進捗具合はよく分かりません (^^;)。「なんちゃって貫通扉飾り」は、正式デヴュー時に果たしてどうなるのでしょうか……(^^;;