地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

さよならEF55碓氷号、堂々運転!

2009-01-17 19:32:35 | 国鉄型車両


 戦前の流線型全盛時代を最も象徴するELとして名を轟かし、いったん廃車・保存扱いとなりながらも1980年代に奇跡の復活を果たしたEF55……。ただ、復活後もさすがに調子の悪さは否めず、JREの保存SLなどと比べれば余り目立った活躍が出来なかったように記憶しているのですが、このたび正式な再度の廃車と鉄道博物館入りを前に、高崎機関区の渾身の保守整備が実って、一連のさよなら運転キャンペーンが行われているのは周知の通りです。
 その姿は……各種の雑誌やネットなどで目にするにつけ、不死鳥の如き神々しさすら感じられましたが、如何せん私自身、鉄道趣味は余程のこと (例えば昨年の東急8000系引退のような一大事) がない限り出来るだけ、貴重な余暇としてのんびり・まったりと楽しみたいと思っているだけに、とにかく人が多過ぎるJR系のイベント運転は尻込みし、各種のメディアでの事後確認にとどめるのがもっぱら (汗)。一連のEF55さよなら関連も、とりあえず静観するつもりでいました。
 しかーし! 何事もひょんなことから思わぬ展開が待っているというもの! いつもお世話になっている「ぱれっと」さんから、ある日突然「さよならEF55碓氷号の指定券をキャンセル待ちで奇跡的にゲット出来ましたので、1枚如何ですか?」というとんでもないお知らせが……!! そこでとっさに「それではここは一番、たまには撮るよりも乗る側に回り、久々の12系乗車を楽しみながら車内と沿線のヲタ祭りをビール片手にのんびりと観戦し、すきあらばサクッと参戦するのも、普段とは違った息抜きとしてオツなのではないか……?!」と判断し、「行きます行きます!」と即レス (爆)。ぱれっとさんのご厚情に有り難くあずかることにしまして、いざ本日朝7時半、集合場所である上野駅中央改札口を振り出しに、横川まで満員御礼の12系の客となったのでした。



 それにしても……普段は静かな上野駅13番線が、個人の乗り鉄・撮り鉄に加えて、指定券のかなりの部分を押さえている (?) 大手旅行会社の老若男女のツアー客が入り乱れ、のっけからスゴいことに……。EF55の正面付近は人多過ぎで接近不可能 (汗)。というわけで、ぱれっとさんと早々に席に落ち着いて朝からビール状態に突入したのですが、車窓には次から次へと現れるホーム先端の黒山の人だかり! そして車内に眼を転じれば、5号車の1ボックスが車販基地に化け、記念サボ (1枚1500円也) を求める長蛇の列が本庄を過ぎるあたりまで途切れることなく……不景気なんぞ何処吹く風状態でした (^^;)。という我々は、車販の行列が途切れた頃合いを見計らって、余っている記念サボを待ち時間ゼロでゲット! (笑) 当初全く購入を意図していなかった (とゆーか、販売そのものを知らなかった) 超限定グッズを、これほど首尾良く購入できるというのは痛快です (笑)。
 こんな感じでビールを片手に、壮絶な撮影地絵巻 (極めつけは安中手前の鉄橋! 鉄橋を望む陸橋への取り付け道路の法面部分には、パッと見で200名?……とにかく人人人で埋め尽くされまくり @o@)、そしてたまに響き渡る汽笛や12系の乗り心地、急行列車全盛期を思い出させる車内景観……などのもろもろを楽しんでいる間に、列車はグングンと高度を上げ、ついに横川駅に到着! 
 その後この編成が回送として折り返すまでの約40分間、ほとんど全ての乗客が撮り鉄&ケータイにわか鉄に豹変し、横川駅構内はカオスのるつぼ状態に……(爆)。それでも何とか隙を見つけて、逆光ながらもまあ記念として満足できるカットをものにすることが出来ました (^O^)。私はしばし、走り去って行くEF55の艶光りする車体をファインダーの中で追いながら、こうして偶然にも横川で撮影できた喜びに浸ったのでした……。(2枚目の画像はレタッチで人を消しております)
 何はともあれ、残すところあと1日となったEF55の運行、最後まで安全運転で鉄路での存在感を全うして欲しいものです。そして、超超超偶然でキャンセル待ちゲットされた指定券を私にもお頒け頂き、楽しい道中をともに過ごさせて頂いた「ぱれっと」さんに、心より心より御礼申し上げます!! m(^^)m

西鉄宮地岳線改め貝塚線の主力・600形

2009-01-16 21:38:49 | 都市民鉄 (近畿以西)


 黄色つながりにかこつけて、長らく未公開在庫となっていた画像を放出するキャンペーン (?!) も、ついに関門海峡を渡って福岡へ。2年半前の出張撮り鉄で撮影した西鉄600形です (余り黄色くないけど ^^;)。当時、この路線は宮地岳線であったはずですが、その後部分廃止により (T_T) 貝塚線に名称変更、全ての列車が貝塚=西鉄新宮間の運行となり、三苫行 (2枚目の画像) は消滅……。本数はラッシュ時10分間隔、それ以外15分間隔と減便され、3両編成も全廃ということで、相当寂しくなってしまったなぁ……と思うのは私だけでしょうか。まぁ現実的に考えて貝塚線は、コテコテデザインながらも快適な普通列車が大量に走るJR鹿児島線と平行していることから、利用客の主な源は香椎から先の鹿児島線からやや離れた住宅街 (香椎花園前・唐の原あたりを中心としたエリア) に 限定されると想像されるわけで……減便・短縮化もやむを得ないのでしょう。
 そこで、300形は全廃、313形もカルダン化された315Fを残して全廃……(昭和20年代製の編成が1本だけでも残っていること自体はスゴいことですが^^)。下回りを西武701系の台車に交換した600形が圧倒的主力としてのんびり走っているとのこと。600形も如何にも質実剛健な私鉄電車らしく好ましいスタイルで (*^^*)。以前撮った写真をこうして掘り起こしてみるにつけ、あぁ~また九州に行きたいなぁという気分になって来ます。



 そんな西鉄貝塚線、当面の変化はとりあえず終了したかのような雰囲気がありますが……考えてもみれば、貝塚線に集められた600形は初期車が多く、たしか昭和30年代後半の作品だったはず……。最も若い車両でも車齢40年を過ぎ、実は秩父1000系と同じく「圧倒的に古いのに圧倒的主力でもある」という状態……。
 ここからは完全な予想・妄想ですが、西鉄としてもこのような現状を放置するはずはないため、早ければ数年以内に新たな車両の動きが起こるような気がしています。最も無難に考えるとすれば、天神大牟田線への3000形投入により、2000形のみならず5000形にも余剰発生→貝塚線に転配……ということになりそうです。しかし、貝塚線にはかねてから福岡市営地下鉄との直通計画があり、貝塚駅の構造も既に線路さえ延ばせば連結出来そうだったり (そう見えるだけです。スミマセン ^^;)、既に高架化された千早・香椎駅の構造が20m車6連に素早く対応出来るようになっていたり……。こういった準備状況を踏まえて、劇的な活性化のための手が打たれ、20m車が闊歩することになる可能性も無きにしもあらずでしょう。しかし、西鉄が貝塚線のために一気に新型20m車を揃えるという決断をするのかどうか、疑わしいのもまた事実 (^^;;)。そこで、JR九州から103系1500番台を譲り受けるのか、それとも関東・関西私鉄から地下鉄対応の20m車を譲り受けるという超サプライズがあるのか……。いかん、妄想が止まりませんのでこの辺で (爆)。

東急恩田通信・入換用新型アント出現編

2009-01-14 16:28:51 | 事業用車両


 新年の黄色つながりシリーズ、さらに西へ向かう予定だったのですが、思わぬ伏兵の出現によって、急遽地元・神奈川県に戻って来るはこびとなりました……。
 去る師走の秩父7000系甲種輸送以来、個人的な多忙に加えて、車両の動向がしばし止まる年末年始が重なったため、長津田&恩田界隈への探訪は約1ヶ月ほどご無沙汰になってしまったのですが、そろそろテクノシステムで改造中の8624Fの様子が気になりまして、仕事帰りに田奈で途中下車してみました。
 しかし……徒歩で到着した長津田工場で目にしたものは、年始早々衝撃の光景……。何と、新たな入換用機械として、アント工業製の大型 (?) アントが2両入線し、ちょうど入場したばかりの3000系を早速牽引しているではありませんか……(@o@)。とりあえず、2両のアントには「AD84」「AD85」という番号が付されており、恐らく「A」はアント、「D」はディーゼル車を意味していると思われます。
 この2両の入線は恐らく、最早骨董品の域に達したデキ3021やED301を置き換えるためなのでしょう……。既にED301は昨年秋からずっと正門脇で眠ったままですが、昨年末までは活発に動いていたカラスことデキ3021も、2両のアントにすっかり役目を譲り、普段は廃車予定の8000系列が並べられている無架線ゾーンの一番奥に置かれている光景を、こどもの国線車内から目撃した次第です……。



 かねてから、無架線ゾーンにまたがる車両の移動には、工場内で通常動いている無軌道対応アントが用いられており、しばしば恩田駅ホームの脇までアントが出て来ていたものですが、ついに架線下用入換車もアントの天下となったということで……個人的に専用線などで見かけるスイッチャー・アントの類は大好きではありますが、置き換える対象が余りにも貴重な古強者だったりすると、非常に複雑な気分ですね……(-_-;)。ELの余りの古さから、いつかは新型車両に置き換えられるだろうと薄々予想しつつも、それが余りにも突然で、しかもパンタが付いた電動車ではないとなると、恩田の入換風景の魅力が一気に減ってしまいそうな気がしています (まぁ、それでも昭和のステンレスカーをめぐる動きが続く限り、何のかの言って恩田を訪れることになりそうですが ^^;)。
 ちなみに、デワ3043はまだ架線下に留置されており、屋根も心なしかキレイになったような……。いつ故障するか分からない旧型入換車3両の役割を新型アント2両が担うのはいともたやすいことであると思われ、デワ3043もこのまま置き換えられてしまうのかも知れませんが、今後少しでも長く恩田で生息する姿を眼にすることが出来れば……と思うのみです。
 それにしても、当ブログの新年初更新では、デキ3021ほか古豪事業用車両の益々の活躍を祈念したばかりだというのに、これは一体……何てこった……。

山陽の国鉄型めぐり (6) 芸備線のキハ40系列

2009-01-13 00:12:07 | 国鉄型車両


 黄色つながりはさらに西へ……(爆)。途中広島電鉄の話題を挟んで中断していた山陽の国鉄型シリーズ、半年以上前の話になってしまいましたが再開です (^^;)。
 広島といえば、国鉄時代に製造された車両でほとんどの旅客列車が運行されているという点で、まさに「最後の国鉄型王国」の観があり、新型車両を望む沿線利用者の皆様にとってはフクザツな気分なのかも知れませんが、古き良き車両を愛好する立場から言えば天国です (*^^*)。そんな聖地巡礼の出発点となるのは自ずと広島駅でしょうが、次から次へと発車する103・115系をよそに、広島駅の片隅からひっそりと (?) 発車する芸備線のキハ40系列も無視できません。考えてもみれば、キハ120がたまに運行されるという点で、芸備線はJRW広島近郊エリアの中で最も「新型率」が高い路線だったりするのかも知れませんので、後で触れる姫新線のように、キハ40系列の動向には常に注意しておく必要があるわけです (^^;)。
 それはさておき芸備線ホームに向かったところ……ちょうどうまい具合に「みよしライナー」が入線して来ました! キハ28・58とは多少異なるマスクとはいえ、国鉄型マスクに白地+赤字の「快速」表示が掲げられているのを見ると、忘れかけていた国鉄型車両優等列車の雰囲気を思い出します……(*^^*)。もっとも、1年前に訪れていれば急行「みよし」のキハ28・58が見られたのかも知れませんが、末期は多分パニック気味だったでしょうから、個人的には「誰にも注目してもらえない (?) キハ40系列をまったりと撮るのもオツだ」と思っております (^^;



 そんな芸備線の「お好み焼き色」(^^;) もとい広島支社色のキハ40系列、配置そのものは小郡あらため新山口となっており、岩徳線や山口線のキハ40系列とともに集中管理されているようで、たま~に広島=新山口間で回送列車が運行されています。とは言っても、ダイヤを前もって把握して広島を訪れたわけでは全くなく、改札をくぐったところイキナリ目の前にキハ40系列の堂々5連が停車しているのを目にした瞬間、食べたばかりのお好み焼きが胃の中で派手にフィーバーするかのような興奮が! (笑) グオオオオオ……と5両分のエンジン音も高らかに発車して行く光景を見送りながら、キハ40系列万歳!……と心の中で叫んだのでした (^O^)。
 それにしても、JRWの気動車といえば、今春から姫新線のキハ40系列が置き換えられるとか……。あのオレンジツートン、姫路駅でバルブしただけで日中の走行シーンを撮っていなかった……(苦笑)。来月の関西出張の際には姫路あたりまで足を伸ばすことを検討しないと (^^;)。他にも、キハ40も登場から既に30年を経過している以上、これから置き換えの動きが加速するのは間違いないのでしょう。これまでとにかく人気がない車種なだけに (多分……でも私は大好き ^^)、減り始めてからものんびり・まったりと撮影出来るだろうと予想しているのですが、まぁ注目されていないうちが華と肝に銘じて、私鉄訪問の傍ら少しづつ撮り貯められれば良いなぁ……と思っているところです。

近鉄京都線を撮る (1) サニーカー12410系

2009-01-11 04:23:00 | 大手民鉄 (近鉄)


 黄色つながり、そして近鉄富田駅で連絡しているよしみで、お次は近鉄ネタと参りましょう。さる師走、名鉄パノラマカーを撮影後、出張の用務のために訪れた京都で撮影した近鉄特急です。用務はいつするのか……という声が聞こえてきそうですが (^_^;)、最近の京都出張は夕方から夜にかけて開かれる会議が本番でして、しかも今回は私がエライ人を前にプレゼンする担当。というわけで、間違っても列車の突然の運休で遅れるということがあってはならない以上、なるべく早めに京都入りしておいて、会議の開始まではどこかで時間をつぶす必要がありました。そこで、かねてから初撮影の機会をうかがっていた近鉄京都線(しかも京都駅からさほど離れていないエリア)に狙いを定め、真冬の午後の斜光線をフルに活かしてじっくりと撮ることにしたという次第です (^O^)。その成果は……抜けるような京の冬空の下、自分でも驚くほど短時間で極めて効率的にいろいろな車種を記録できましたので、満を持して (?) そろそろ変化の波が迫りそうな (??) 近鉄京都線の今を、シリーズとしてアップしてみたいと思っています。
 ……ま、関西私鉄の中でも近鉄は、関西以外のファンには馴染みの薄い世界かも知れませんので、このブログをご覧の方のほとんどはスルーされることと思いますが、所詮は管理人の気の向くままのブログですので……(^^;)。
 


 京都で新幹線を降り、南口のコンコースに出ると、そこには近鉄帝国の入り口が待ち構えています。近鉄特急をアピールする広告や特急券売り場を眺めるたびに「こんな真冬の平日こそ、ガラ空きな近鉄特急に乗って遠出したいなぁ」という気分になって来ますが、そこはぐっとこらえて普通電車に (^^;)。東寺、十条……と、高架上の撮り鉄しやすそうな駅が続きますが、太陽の角度からまず目を付けてみたのが上鳥羽口。ダイナミックなカーブの外側通過線を優等列車が駆け抜け、しかもカブる心配が全くないというロケーションは実にワクワクする光景ですが、そこをさっそく豪快に通過していったのは「サニーカー」12410系! 
 大所帯の標準特急車・スナックカー系列を改良した12400/12410/12600系列は、まさに昭和の近鉄特急の決定版であり、完成されたデザインで伊勢志摩を目指し、あるいは古都を結ぶ姿はまさに「Sunny」そのものと言えましょう。とは言っても、もともと半鋼製釣掛式電車党だった私としましては、むかしは「こんなのビスタカーじゃないしダメダメ! 今はなき2200系復活プリーズ!」と思っていたものです (→あり得ないって。^^;)。しかし、今やJRでも国鉄特急型車両が消えつつある中、華がありすぎず、奇をてらうこともなく、あくまでシンプルな風格を保ちながら快走するサニーカーの姿は……本当に頼もしく、眺めていて癒されます。しかもサニーカーは、ビスタカー30000系の登場時と同じ正面デザイン・塗装を今でも継承しており、幼い頃図鑑で眺めたビスタカーの圧倒的なイメージを思い出させてくれます (^^)。数こそ必ずしも多くないですが、主力の一翼を担っていることは間違いないですので、今後も末永き活躍を願いたいところですね~。
 それにしても……1枚目の赤地の行先幕、ビスタカーではお馴染み (?) ですが、スナック&サニーカーではレアなような気がするのは私だけでしょうか? (^^;

【3.15補足】シリーズ表題を当初の「近鉄京都線冬の陣」から「近鉄京都線を撮る」に変更させて頂きました。第2編以降を遅々としてアップしないうちに冬が終わり、近鉄阪神との直通を迎えてしまいましたので……(滝汗)。