地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

上信Jazz and ビール列車・泥酔乗車の記

2015-08-26 01:00:00 | 地方民鉄 (関東北東部)


 最近、沿線の富岡製糸場が世界産業遺産に登録された上信電鉄は、土日ともなれば見物客が雲集し、高崎駅や上州富岡駅がにわかに活況を呈しているようで、ローカル私鉄好きとしては誠に目出度い限りですが、個人的には多忙のため、そして数多のラッピング電車がネックになり、世界遺産登録後はなかなか訪問できないでおりました(否そもそも、数年来ご無沙汰 ^^;)。しかしこのたび、いつもお世話になっております「あまのじゃく」様から、毎年8月下旬に運行される「JAZZ&ビール電車」に乗ってみようとのお誘いを頂きまして、ちょうどスケジュールが空いていたこと、そしてついでに上信も含む高崎界隈の旬な車両を激写することを目論みまして、勇躍参加して参りました♪
 この列車は、高崎~下仁田間の往復運賃と、車内でのビール飲み放題(在庫がなくなるまで)、そして弁当やつまみがついて合計3,500円ということで、単純に上信の全線往復運賃を考えればどうみても採算が取れるとは思えず、恐らく運賃は(たまに発売される)フリーパス1,000円+α、弁当&つまみ代が1,000円以下、残りの1,500円強がビール代なのでしょうが、それでもクソ暑い群馬の夏だけに、下戸不在な参加者は誰もが生ビールをデカいコップで3~4杯以上飲むことを考えますと(強者でしたら8~9杯は余裕か?)、フツーの営業担当者であれば「余り暑くなったり、酒乱が多数参加したりしないで欲しい」と青息吐息でしょう。一応ビール会社の協賛ということで、販促イベントによる大幅割引という意味合いが強いのかも知れません。



 ともあれ、そんな細けぇ話はさておき、あまのじゃく軍団一同9名は朝9時半に高崎駅西口のだるまの前に集合し、さっそく上信本社に向かって参加費を支払い、10時半過ぎの発車までの控え室となる会議室に通されたのですが、そこからの構内の眺めが絶品すぎ、しかも留置されているラインナップが特選車両揃いでしたので、うかうかとクーラーの中で涼んでいるわけには行きません! 強烈に蒸し暑い中「あれもこれも撮らねば!」と狂奔し(笑)、発車時刻となるまでにすっかり汗をかきすぎてグッタリ気味になってしまいました (^^;
 というわけで、定期列車の発車後すかさず入換でホームに入線した501Fに乗り込み、車内各所に設けられた即席ビールサーバを目の当たりにしますと、体中が「早ぅビール飲みてぇ!」状態に……(^^;)。新101系らしい車内の雰囲気を楽しむどころではありません。否そもそも、発車した直後から同乗のジャズバンドによる銀河鉄道999(ゴダイゴのやつ)の高らかな演奏とともに乾杯が始まりますと、もー何だかワケわからん! (爆) ノンストップで続くジャズの演奏と激しい揺れ (汗) の中で、とにかくビールをこぼさずにうまく受け取りガンガン飲む!ということに全神経を注ぎ (笑)、ジャズと他の客の談笑による凄まじい喧噪の中で軍団一行の皆様とヲタトークをしていたと思ったら、今度は車内全体うたごえ喫茶状態の中でヤケッパチで私も歌い……うぅ~強烈に酔いが回る! 残暑の中、むせ返るような緑と強烈な青空が頭上に展開し、こりゃぁ~定期列車に乗っても、あるいは沿線で待ち構えても「なつのローカル線」日和だわい、と思わなくもなかったのですが、新101系の走行音すら全く判別できない状態ではそんなことどうでも良く、とにかく飲む!叫ぶ!歌う!ということで……いや~滅多に経験したことのないカヲスです (笑)。
 富岡でトイレ休憩のため長時間停車したついでにカメラを持ち出してみますと、爽快な青空と標準塗装の501Fとのコントラストがことのほか強烈で、車内の超俗世ぶりと外観の超越的な夏色の対比にますますクラクラしました……。
 富岡を出ますと、いよいよ車窓両側には山が迫り、眼下に渓谷を望んだり撮影名所を通過したりのハイライトとなります。そこで、車内が既にワケワカメ状態になっているのを良いことに、「きえふにいさん」様とジャズの演奏と全く関係ない某歌謡を高歌放吟したり、「南蛇井!南蛇井!」「千平!千平!」「信号所!信号所!」と連呼したり……あ~ますます錯乱状態ですが、普段こういう経験は絶対に出来ないので愉快痛快です (爆)。
 そんなこんなであっという間に下仁田に到着~。約1時間20分の停車時間は、基本的に下仁田散歩の時間として設定されているのでしょうが、ドピーカンなうえに、途中好ましい車両が運用されていることを確認している以上、撮り鉄しないわけには行きません。軍団一行のうち一眼レフを持参している人々(私を含む)は駅の外れに繰り出し、酷暑に耐えつつ激写しまくったのでした (笑)。
 冷房がキンキンに効いた車内に戻り、再び発車……炎天下での撮影もあって既に気分が朦朧として、帰路の一部始終は余り覚えていないのですが (^^;)、一ノ宮と富岡では何のかの言ってカメラを取り出して交換列車を激写したほか、車内の他のグループが盛り上がっているのに負けてはいられぬということで、疲れているのに余計に声を出して疲れた……という記憶はあります (笑)。隣の車両では、特にヲナゴが超ノリノリに盛り上がっており、2名ほど踊りまくっていたのは一体何だったのか……? (^^;;;
 とまぁこんな感じで高崎に到着し、すっかり凄惨な雰囲気となった車内をあとにして解散となったのですが、いや~集合から解散まで約6時間、この日だけぶり返した猛暑とも相俟って、とにかくハイテンションで飲んで撮りまくるデンジャラスな一日でした……! お誘い下さった「あまのじゃく様」以下軍団の皆様には大いにお世話になりました~! また、恐らく全社を挙げて、年に一度の超お祭り騒ぎな電車の運行に尽力された上信関係者の皆様に、この場ながら心より御礼申し上げます~m(_ _)m
 それにしてもこの列車、蓋を開けてみればヲタは我々一行のみで、乗客となった地元の皆様の反応は上々に思われますので、もっと頻繁に走らせれば良いのではないかとも思います。とはいえ、激しく揺れる車内でビールの給仕に専念された事務方社員の方々(?)の激務ぶりを考えますと、やっぱり年に1回というのが関の山なのでしょう。

第七ジャカルタ炎鉄録 (2) 総論2・青赤乱れ打ち

2015-08-25 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 今回の訪問は、撮りたい編成の現状を撮影し、かつ昨年ジャカルタで乗りそびれた東急車に乗り、電化のうえ旅客営業を再開したナンボ線に乗った……という点では所期の成果を得ました。しかし、いくつかの点で何とも間の悪い訪問ともなりました (爆)。それをまず遺憾な備忘録として記しておきましょう。

 *南武線の輸入に関連するシーンに立ち会えず……もしジャスト1週間前に訪問していれば、到着早々タンジュンプリオク港での第二陣水揚げシーンに遭遇できましたし、第一陣がデポックで現地化整備を受けたあとの試運転にも遭遇することが出来たでしょう。あるいは、到着日よりも1日早く訪問していれば、南武線色のままでの第二陣試運転にも遭遇することが出来ました。その模様はパクアン急行様のブログでも伝えられている通りです。



 *神奈臨DD5512のスマラン入り、撮りそびれ……活動最終日の夜、アダム様及びパクアン急行様から衝撃の情報が。長らくジャティバラン常駐の保線用牽引車として余り使われていなかったDD5512が、休止線であったスマラン~アンバラワ間の運行再開に向けてのレール牽引車として起用されることになり、チルボンの機関車整備工場でピカピカにレストアされ再起の時を待っていたわけですが、そのチルボン→スマラン回送が活動最終日の夜に実施とのこと……。もし滞在があと1~2日長ければ、何が何でもスマランまで追っかけ、到着直後の姿を激写したかったのですが。
ちなみに、アンバラワにはSLを中心とした鉄道博物館がありますが、スマラン~アンバラワ間にDL博物館を開設する予定でもあるとのことで、DD5512も功成った後はここで展示されるようになることを期待したいものです。

 *総じて天気がビミョー……南半球にあるジャカルタの8月は総じて乾燥した秋~冬にあたり(それでも普通に毎日30度前後となり、湿気もありますので、日本の秋冬とは異なりますが、雨期と比べれば相対的にそうだ、ということです)、エロい斜光線の中を走る列車をバリバリ順光で撮影するのが愉快痛快、そうすることで激しく蒸し暑すぎる日本を束の間脱出した喜びを感じ、日頃余り撮り鉄する時間が無いストレスを解消してきたものです。しかし、今年は全く期待外れの天候でした。重く湿った空気がジャワ島を覆い、ジャカルタの街全体から発せられる凄まじいホコリや排気ガスが湿気とともに垂れ込め続けるような感じであり、朝9時頃までは必ず晴れてもスカッとした光線ではなく、9時以降は幸いにして晴れることもあれば、急に雲が増えてお目当ての列車が来るときに限って暗くなるというイライラな展開が……。これがエルニーニョってやつか……。確か2010年の訪問時も、雨期でもないのに凄まじいスコールに連日襲われたからなぁ……。しかし、スコールは短時間で済み、その後空気が澄むのでまだまし。今回はスコールになるほどではなく、重く湿気て汚れたままの空気が漂い続けるままであるため、たまったものではありません。撮影中もとにかく激しく汗をかき、例年であればポカリを毎日900ml、ミネラルウォーターを1.5リットル購入すれば、日中の補水は何とかなっていたところ、今年はポカリも水も全然足りない……とくに活動初日は4リットル以上飲み、夜もビールやら何やら、2リットル近く飲んで事なきを得た次第です。パクアン急行様によりますと、私が到着する前日まではスカッと爽やかに晴れて秋のような日が続いたとのことですので、己の不運を呪うのみです。というわけで、期待外れの雲行きにカリカリするくらいなら、乗り鉄や観光をして体力を温存した方が良いかな、と判断しました。それでも1,500カットくらい連写しまくったわけですが……(爆)。

第七ジャカルタ炎鉄録 (1) 総論1・青の時代の落日

2015-08-23 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 東南アジア最大の都会として日々躍進を続けるインドネシアのジャカルタ。その経済は、「リーマンショックの影響を余り受けなかったアジア太平洋経済の期待の星」として注目を集めまくった2009~2013年頃のような勢いがやや陰り、クルマやバイクが一頃よりも売れない云々……といった話題が見られるように、圧倒的に賃金が安い労働集約型産業の国から中進国への転換点に差しかかっているのでしょう。そんなジャカルタ、そしてインドネシアが中進国としてふさわしい社会経済的環境を整えることが出来るか否かは、まさに交通インフラが鍵。現状では既に、世界最悪の交通渋滞が日々発生している以上、道路はこれ以上容易にクルマを受け止めきれないわけで、そんな中でも増え続ける移動需要を何とかこなすなら、手っ取り早く増え続けるトランスジャカルタでは所詮焼け石に水。鉄道こそが大いなる切り札であることは、論を待たないところでしょう。
 そんなジャカルタの鉄道、将来革命を起こす存在として、高層ビルが林立するスディルマン通りを中心にMRTが建設中で、日本の経済援助が目に見える形で実現するのが待たれているところですが、とにかく当面の火急をしのぐ切り札として大量の日本中古冷房車が投入され続け、非冷房エコノミが完全に駆逐されて屋根上乗車も消滅してはや2年。本当に、ジャカルタの街の急激な変貌と、ジャカルタの鉄道シーンの急激な変貌が完全に歩を一にする数年間でした。個人的にも、2009年の8月に初めて、東急と103系目当てで訪問し、単に東急と103系に限らないめくるめく鉄道シーンと街の躍動感に圧倒され、以来毎年この時期に通い続け、一年ごとにいろいろな物事が変貌していることに驚き続けて来ました……。



 そんな激しい変化も、一昨年来の205系大量投入による「JRジャカルタ線化」、そしてKCJのIC乗車券化や駅デザインの統一化・エキナカ推進路線、加えてKAI客車の等級を分けない標準塗装化によって一つの区切り目を迎えつつあるかのように思います。
 というわけで、2009年8月以来6年間にわたって毎年通い続けたジャカルタ遠征の一つの締めくくりとして、このたび第7回のジャカルタ遠征を敢行しました。その主題は、果たして何時まで残るか全く分からなくなった東急8000・8500系や都営6000系などKAI所属車(青+黄帯)をなるべく味わうことに努めつつ、旅客営業再開後間もないナンボ線に初乗車し、スルポン・バンテン線からまもなく消えようとしている客車鈍行の魅力を再確認する……といった感じで、総じて2009年の初訪問時に興奮を覚えた諸々の事物との別れを惜しむことに重点を置いた次第です。しかし勿論、変わりゆく様々な事物にも関心を注ぎまくり、ド順光な状態で目の前に来た列車は全て撮る!という方針を貫いておりますので、その模様を今後また数ヶ月から約1年ほど (爆汗) かけて、ダラダラと備忘録としてアップして参ります。

 なお、例によって、線路内に入って撮影しておりますが、本来は禁止されており、黙認されているに過ぎないことを申し添えます (インドネシア人・日本人ともども、ファンが最近撮影した画像はだいたい線路・鉄道用地内撮影であり、または線路内を歩いて撮影地に移動しています ^^;)。有り難いことに、線路内撮影をしている私を見かけた運転士の方々が点灯サービスして下さることも、今のところしばしばあります。
 また、駅構内での撮影は、駅にもよりますが、無許可での本格撮影は難しくなっておりますのでご注意下さい。せいぜいスナップ程度に撮り、その場に長居せずすぐに離れるということであれば、ガードマンの兄ちゃんも追いかけて来ないでしょう (彼らの最大の関心事は、自らの持ち場に宜しからざる人物がとどまり続けるかどうか、という点にあるようですので)。

 今回の訪問にあたりまして、落花生。様、パクアン急行様、T様、現地ファンのアダム様には、滞在最終日を中心として大いにお世話になりました。楽しいひとときをどうもありがとうございました!! m(_ _)m

第六ジャカルタ炎鉄録 (36) 103系万歳!

2015-08-14 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 これまで延々と続けて参りました昨年8月のジャカルタ遠征の記録、なかなかアップする時間もないまま、いつの間にか多くの記録が鮮度を失ってしまい、ただ単に撮った画像を忘れずにレタッチするためにもアップするという感じになってしまいました (汗)。この間の約1年、本当にいろいろなことがありました。プルワカルタの廃車放置会場がいっぱいとなった結果、日本製冷房車は短期訪問ではなかなか到達しづらいド田舎チカウムに放置されることになったり、横浜線205系が集中的にデビューした結果としてKCJ全体がJR化していった一方、都営6000系・メトロ6000系・東急8500系に離脱車が発生したり、はたまたKAI客車の塗装変更が始まったり……。そして何と言っても忘れるわけには行かないのは、ジャカルタでも10年以上にわたって爆走し続けてきた103系が最近ついに、ラッシュ時のマンガライ~ドゥリ間フィーダからも離脱し、休車状態に陥ったらしいということでしょうか。



 思い出してもみれば、2009年に初めてジャカルタを訪れた当時、103系は4+4の8連が2本という陣容で、決してタマ数は多いとは言えませんでしたが、運用は基本的に中央&ボゴール線(たまにブカシ線)の急行と決まっており、ラッシュアワーであれば結構頻繁に見かけることが出来、ボゴール線の山登りで強烈なモーター音に酔いしれたものでした。しかし、2011年に東海色となって以来、既に散々酷使された103系の凋落が始まり……全検から余り使われていないにもかかわらずケヨE20・27編成は休車となり (今やチカウムの土に……)、ケヨE21・22編成の8連が孤軍奮闘を続けて来ました。とはいえ、既にメトロ・JR軍団が大量増殖する中、103系には余り目立った出番はなく、個人的に東海色時代は余り撮れなかったのを思い出します。
 そこで、もうこのまま検査切れで離脱か……と思いきや、昨年前半には再び検査入場してKCJ標準色に!! 基本的には引き続き予備車ながら、まだ横浜線205系が揃うまでは、メトロ6000系・KF・Holec ACの不調と相俟って、都営6000系が老骨にむち打って走っていたのと同じく、103系もマンガライ~ドゥリフィーダに入ることが多いとのことでしたので、昨年の今頃は「何とか乗って撮るチャンスに恵まれないものか……」と願いつつジャカルタ入りしたのでした。すると何と!期待通りにフィーダ運用に入ってくれたのみならず、別の日にはスルポン線運用にも入り、マジャからタナアバンまで延々2時間近く乗るという感動!感激!にも恵まれたとは……。また別の日には、パクアン急行様のお取りはからいでブキッドゥリを訪問する機会も得られ、103・203・205系の並びを激写するという最高の一瞬にも立ち会えたとは……。
 今度の訪問の直前に103系が離脱してしまったのは、一昨年の訪問の直前に非冷房エコノミが完全に離脱してしまったのと同じく遺憾なことではあります。とはいえ、昨年の訪問時にこれだけの経験が出来てしまった以上、他に多くを望むのは贅沢というものでしょう。
 103系……もしJREとKAIとの協力関係が13~14年以上前に確立されていれば、もっと多くの編成が海を渡り、日本から6000km以上離れた土地に103系帝国が現出していた可能性もあります。しかしそうならなかったのは、少々遺憾なところです。それでも、103系に最高によく似合う青ツートン塗装をはじめとして、様々に装いを変えて熱帯の街を駆け抜け、逼迫する輸送需要に最高の安定性を以て応えたのは、まさに103系の本領発揮、103系の名車たる所以というものでしょう。

 ジャカルタの103系、長らく本当にお疲れ様でした。
 遠来の103系ファンに、何度も装いを改めながら楽しい夢を見させてくれて本当にありがとうございました。
 またこのことは、103系に全幅の信頼を寄せて整備に余念がなかったインドネシア人スタッフの皆様の尽力の賜であったことを忘れるわけには行きません。

 ……とか何とか思ったら、事態は……(謎)。
 
 以上で、昨年8月のジャカルタ遠征の記録を終了させて頂きます (ラッピングだらけのメトロ7000・05系は時間切れで省略 ^^;)。長らくお楽しみ頂き誠にありがとうございました m(_ _)m

千代田線6000系狭窓車、多摩線内を行く

2015-08-13 00:00:00 | 都市民鉄 (首都圏)

 
 千代田線の開通に伴い用意された車両のうち、103系1000番台については車体デザインのボロさ (?!)、否それ以上に、抵抗器から発せられる熱がトンネル内にこもり、真夏は極めて悲惨なことになっていたことから、遙か昔に (爆) 千代田線から消えてしまったものです。いっぽう営団地下鉄が用意した6000系は、電機子チョッパのまま残った車両も数年前まで現役でしたし、何と言ってもデザイン面で非常に洗練されていたため、今でも他の車両と比べて決して見劣りせず (?) 走っているのは特筆に値するでしょう。まぁ……さすがに16000系と比べると全然古いか (^^;)。



 そんなメトロ6000系、個人的にはここのところ、ジャカルタでばかり撮っていたものですが、女性専用車ラッピングも広告ラッピングもない鮮烈な姿が過去のものになってしまいますと (KKWラッピングはまぁ、あってもOK)、結局のところシンプルな千代田線緑帯姿こそが一番美しい、と思わなくもない今日この頃……。とはいえ、最近はたまに小田急線内を走る姿を見かけても、なかなか撮るヒマはなく、「いかん……既にメトロが残存6000系の置き換えを予告している昨今、このままではズルズルと撮り逃してしまう」という危機感を抱いておりました。
 そんな中、先日ようやく久しぶりに、京王相模原線沿線での用務が早めに終わったついでに、しばし多摩線内で撮り鉄する機会を得まして、多摩急行が16000系や小田急4000形でやって来る中「何とか6000系来てくれよぉ……」と念じておりました。すると……狭窓6120F御登場!! (^O^) 言うまでもなく、田の字窓編成が来ればサイコーでしたが、贅沢は言えますまい。むせ返るような緑に包まれた丘陵の住宅街を快走する緑帯の6000系の姿に、小さな幸せを感じるひとときとなりました……。