東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

日本人の遺伝子を変えた東条英機

2009-08-16 08:07:36 | 東条英機

民主党は靖国神社のかわりに追悼施設を作るつもりらしい。

靖国神社に代わる追悼施設が出来るとは思えない。天皇陛下のご親拝を復活し、数百万英霊のみたまを安んじるためには、東条英機ほかの分祀しかないだろう。

日本の伝統ではこういう人たちのために御霊神社を立てるのがならわしである。彼らの怨霊を鎮めるためにはそこへ分祀するのほかはない。

昭和の歴史は薩長支配を憎む旧徳川弱小藩(東北北陸諸藩)の「関ヶ原もとえ戊辰戦争のうらみをはらす」である。東条英機は岩手藩(盛岡藩)、石原莞爾は福島近くの小藩。昭和期にはいると薩長出身者の陸海軍上層部への登用は絶えた。これを助けたのは軍部の官僚制度の整備である。

藩閥というのは、たしかに問題だろう。現代でも最も簡単なありふれた政治非難は派閥解消を叫ぶことである。

しかし、実績面からみると薩長明治維新勢力は昭和になって勃興した東北諸藩(関ヶ原、おっと戊辰戦争のうらみ派)にはるかにまさる。相対論であるから薩長が最善などとはいわない。実質東北北陸諸藩連合であった昭和軍部の実力の無さにくらべて、である。

明治維新政府が60年にわたる努力で築き上げた世界屈指の大帝国を二十年でつぶしてしまったのだから。

彼らの父祖は賊軍であったから靖国神社に祭られていない。だから彼らは同僚をどうしても靖国神社に祭って薩長を見返したかったのだろう。天皇のご意向をお伺いすることもなく東条などの合祀を強行した当時の宮司であった松平なにがしは、たしか明治維新の賊軍長岡藩の旧藩主である。自身も海軍軍人であった。

なにがなんでも戊辰戦争の同盟者であった盛岡藩の東条英機を靖国神社に入れたかったのであろう。

藩情で国政をゆがめるなど以ての外であった。分祀こそが「日本文化の伝統」である。