東条英機は中世的軍律を唱道した。
ところが東条英機はみずからを中世的軍律で律することがなかった。死の専門家である軍人でありながら「ためらい自決未遂」の醜状を世界にさらした。江戸時代なら町人でも「死にそこない」は日本橋のたもとでさらしものにされる。
武士としてこれほど間抜けな醜状をさらしたものが江戸時代に一人でもいたであろうか。明治維新後の軍人でいただろうか。
日本人は神を喪失した西洋人にも匹敵するほどの衝撃を敗戦直後に受けたのである。茫然自失したのである。
連合軍(アメリカ軍ほか)、シナ人、朝鮮人の残虐行為は父から子へ、子から孫へと語り継がれるはずであった。しかし、東条英機の女性的「ためらい自殺失敗」は日本人の遺伝子を変えてしまったのである。父子相伝の民族の歴史は断絶したのである。
数十万人の民間人を意図的にナノ秒で虐殺した原爆投下は「過ちをふたたびくりかえしません」という倒錯に裏返ってしまったのである。民族としての人格障害におちいってしまった。