東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

推認有罪とは?

2012-04-14 22:37:16 | 社会・経済

前2回の続きなんですが、アップをすると責任を感じるし、気にもなるので電網空間を流してみたんですが、推認有罪とか推認主義とかいう言葉があります。

これはなんですか、と聞くと法曹界のど素人であることがばれてしまう。

娑婆の言葉で推認という意味は「推定」出来ますが、それでいいのかな。それとも、なにか特別に厳密な定義とか学説があるのでしょうか。

電気網のなかでは、たとえばWIKIPEDIAでは、見かけない言葉ですね。どうも語られている文脈からすると、物証なしに有罪とする(つまり主張者によれば推定認識?)することらしい。

しかし、証拠の証明力は裁判官の判断に委ねられているのだから、認められるのではありませんか。勿論「推認」に至る判断の過程が正しいかどうかは、上級審、法曹界、司法ジャーナリズムの批判に耐えなければならないでしょうが。

極端に言えば、物証だけでいいなら、裁判官はロボットでもいい。ロボットと鑑識の人たちだけで法廷は維持できるのではありませんか。


推定無罪とは

2012-04-14 21:23:16 | 社会・経済

推定無罪とは、私の理解するところでは、何人も有罪と宣告されるまでは、無罪と推定される、の謂いである。正確には「無罪とも有罪とも断じられない」と言うべきだろう。つまり「無罪ともなりうる」という当然のことを言っている。だから判決が出るまでは容疑者の人権は配慮されなければならないのである。マスコミであたかも既に犯人であるかのように報道することを戒めている。

世間では誤って状況証拠だけでは有罪に出来ない、というのを推定無罪と思っている向きがあるらしい。

再三述べたように日本でも刑事訴訟法第318条で、証拠の証明力は裁判官の自由な判断に委ねる、とある。

証拠は物証に限るとは刑事訴訟法のどこにも書いていない。ちなみに補足すると自白は物証ではないね。日本の裁判では自白をやけに珍重する。そこから小澤一郎のケースでも検察官が焦って妙なことをやったわけだ。

状況証拠しかないときに臆病になるのは、日本の司法界の「雰囲気」、「慣例」、多くの判例ではある。それは風潮であって拘束力はない。

現在の日本では、状況証拠によると、恣意的な、不合理な判決のオンパレードになるという後進国並みの状況と考えているなら、なにをかいわんや、である。

もしそうなら日本の司法ジャーナリズムは存在しないことになる。

アメリカでは状況証拠だけで死刑になるケースが非常に多い。合理的に状況証拠で判断できるかどうかが個々のケースで争点になるだけである。一般論で状況証拠を排除している国はほとんどないのではないか。

前回のアップでも触れたが、検察審査会が小沢一郎の起訴を求めたのは、物証がないと言うだけで小澤を起訴しないのが適切でないと国民が感じたからである。

専門検察官の調査で物証が出なかったのだから、今度の特別検察官の調査で新しい物証が出ないであろうことは当初から分かっていることだ。

問題は小沢一郎の行為を取り巻く状況証拠からどういう合理的判断が出来るか、そういう観点から争われるべきなのだ、当初から。小沢一郎の「秘書のやっていることはまったく報告を受けていない」という証言を信用する者はいないのではありませんか。

小沢一郎が言っているからそうだろうよ、で納得しますかね。


木島の次は小澤だ

2012-04-14 08:40:19 | 社会・経済

木島被告に死刑判決が出た。次は小沢一郎だ。裁判員裁判は状況証拠に基づき死刑を宣告した。

小澤被告側の弁護団の主張は、物証がない、状況証拠しかないということだけである。こういう裁判戦略は明々白々な凶悪犯が死に物狂いで捨て鉢で取る振る舞いであって、国民の選良であるべき政治家のとるべき態度ではない。見苦しいかぎりだ。品位もなにもない態度である。

刑事訴訟法でも証拠の証明力は裁判長の自由な判断に委ねる、とある(第318条)。

小澤を無罪にすることは日本の民度をはかる試金石となる。

小澤のこの裁判の本質は、次のようなものである。

これまでの判決は物証がない、秘書と本人の証言が食い違うから不起訴というものだ。そういう状況を承知の上で国民は再審を求めた。すなわち、問題をもう一度俎上にあげて、関連する状況、各種証拠から合理的に判断しても小沢一郎は無罪と言えるのか、を判断することである。それを国民が求めている。それが今回の裁判の任務である。それ以外にはない。

これまでの裁判と同じ手法をなぞっていては意味をなさない。

新しい物証が得られれば、それはそれで結構なことであるが、そんなことは非常に確率が低いという認識の上で、状況証拠を含めて問題を再度遺漏のないように精査して判断してくれ、というのが国民の要求である。

物証がないとか、本人の証言が否定的だからと言う同じ理由で無罪にしたら、この裁判は国民の負託を全く果たしていない。