1017号==>若の鵬が週刊現代の証人で八百長裁判に出るという。
ワイドショーで推理小説ゴッコをしているが、
二十歳の若者は自分が大相撲に戻るのに有利と「勘違い」してこの行動に出た >> そうだろう、そうだろう
周りの悪い大人にそそのかされた(週刊現代もはいるらしい) >> そうだろう、そういう見方もあるだろう
日本の滞在期限を延ばせる >> そうだろう、そうだろう
和解、示談金を(たとえば退職金)を引き出すもくろみで >>そうだろう、そうだろう
タイトルのカッコについて >> 英語のTheにあたる。
さて八百長である。まえから再三書いたように八百長がなくて相撲興行が存続できるなどと考えるのは世間知がなさすぎる。
八百長という言葉が相撲協会は嫌いらしい。響きのいい伝統的な日本語なのにね。案外小心だ。「無気力相撲」なんてこなれない日本語をぶつけてきた。笑止千万だ。
さて、相撲の伝統という。その場合、ほとんどのことは江戸時代末期に興行として確立したシステムのことを言う。どんなに逆立ちしても江戸末期よりさかのぼれない。つまり商業、金儲けとして確立したシステムである。もともと、公的な性格になじまない。財団法人なんて与えちゃいかん。
もっとも、江戸時代の力士のスポンサーは大名だ。大名のお抱えだったわけ。公的と言えんこともなないかな、一本取られたかな。と負けたふりをしてみる。ただし、その場合の「お抱え」の意味は芸者を囲う意味とかわらない。
明治以降は東京と大阪にわかれて純商業的になったはずだ。それもようやく大正時代になってからだろう。
昭和天皇は相撲がお好きで、ためしに東西相撲協会合同で興行したらどうじゃい、とおおせられた。皇太子時代の大正の御世である。
それで優勝者には皇太子の内ド金(皇太子につけられた国家予算)から優勝カップを出そうということになった。
そしたら頭の固い役人が純然たる商業団体に内ド金を出しちゃいかんと反対した。そいじゃ、財団法人にすべえ、と抜け道を考えた。それで財団法人になったのだ。いつまでも財団法人格を与える理由はない。今の相撲協会はべらぼうな隠し財産をもっている。優勝カップなど自分でつくれ。
伝統というときに相撲は神事でもあり、純然たるスポーツではないと、いう。特に耳障りなのはかって相撲協会付属、NHK付属だったかな、(いずれにしても同じことだ)ちょうちん持ち中継アナウンサーであった杉山なにがしである。やめてくれよ。そんなつまらんことで声をはりあげるな。
勝ち負けを争うスポーツマンが賭博師と同様に迷信深いのは洋の東西を問わない。昔も今もかわらない。ゲンを担ぐなんて世界中のスポーツマンの特徴だ。また、負けすなわちけがれという心理も世界共通である。とくに金銭がからみ、それで飯を食っているプロには非常に強い。
相撲にいろいろな神事的な行事があり、奉納相撲が行われるのはそのためである。靖国神社の機能とは違う。間違えるな。