東方のあけぼの

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映画「沈まぬ太陽」はハードボイルドの秀作

2009-11-05 08:18:53 | 社会・経済

* 久しぶりに映画館に行った。テレビでも、映画やドラマをながいこと見ていなかったので暗闇の中の三時間半にはすこし疲れた。

日本映画、テレビドラマでなにがいやと言って、べたべたした感触だろう。戦争映画超大作でもべとつかずにはおかない。ところが「沈まぬ太陽」の3時間はジメジメベトベトしなかった。

そういう映画は初めて見た。もっとも昔から映画はほとんど見ていないのだが。「沈まぬ太陽」は家族を描いた場面でもウエットではない。

* 原作と映画の関係だが、原作と比べて映像化されて、がっかりしたとか、アレレ・・?ということは皆さんも多いだろうが、この映画はそういうことはない。また、原作を読まずに映画を見て必ずしも原作を見たいと思う人も少ないだろう。それだけ、完成度が高い。

シナリオを何回も書き直したというが、映画として完結した作品だ。

* 主演の渡辺謙が米国での上映は難しいと言っている。きわめて日本的なサムライを描いているから向こうの人には分からないだろうというのだが、そうだろうか。私は海外上映でも感銘を与えるのではないかと思った(映画の話である)。

** 主役の恩地はフィリップ・マーロウだね。わたしがハードボイルドという所以である。

ハードボイルド・ミステリーというのは特殊なジャンルなので、すこし説明する。

いくつかの説明がハードボイルドについてなされている。ま、厳密なものではない。この種のことは厳密にやってももともと意味のないことではあるが。

犯罪小説であるから、殺人が出てくるが、殺し方に凝らないのが最大の特徴だ。密室犯罪だとか、不自然な状況設定、種明かしがされて見ると、突拍子もない凶器だったりする。これがいわゆる本格ミステリーだが、この種の不自然さがハードボイルドにはない。参照:レイモンド・チャンドラー「簡単な殺人法」

さて、私が「沈まぬ太陽」はハードボイルだと言ったときに念頭にあったのは、ハードボイルドでもチャンドラーのフィリップ・マーロウものに顕著にみられる主人公の倫理的側面である。

次号につづく