絶滅危惧種の保護を個体の保護に限局してはならない。シマフクロウは、僅か80羽ほどになったのは、シマフクロウを食べたり殺したからではない。人間が彼らの生息環境を奪ったために、種を繋ぐことができなくなったのである。特別天然記念物のシマフクロウの個体を傷つけたりすると罪になるが、彼らの生息環境を破壊しても問われることはない。シマフクロウを保護しようとするとすれば、環境を守らなければできないことである。
シマフクロウには金を出すが、環境保全には無関心の環境保護政策など意味がない。この構図は、農家には金を出すが、農業には金を渋る農業政策構造にどこか似通っている。
日本には美しい言葉が沢山ある。その中に「折り合いをつける」という言葉がある。肩肘を張ることなく、お互いに存在を確認しあうことが、持続する環境保護なのである。江戸が見事な環境循環都市であったように、農村では里山を守り棚田を作って自然に和んだ風景と、入り会いなどでお互いをいたわる国を先人たちは築いてきた。
今度総理になるお坊ちゃまがこの国を「美しい国」にしたいという。経済効果が優先される開発などではなく、自然と折り合いをつけて、シマフクロウが舞いきれいな森や里山があるのが本当の「美しい国」であろる。憲法を変えてまで軍隊を持ち、核兵器を保有することが美しい国の姿とは思えない。
人を危めることが仕事の軍隊を持つより、相互の国がおり合いをつけることがこの国の憲法が示した外交の精神である。