パキスタンの神学校の武力制圧は新たなテロを生みだす結果になっている。ムシャラフ大統領のの選択した手法は、アメリカやロシアのテロに対する武力制圧と同質のものである。
大国にひれ伏す結果「テロ」に対する毅然とした態度を見せる必要があったのであろう。暴 力の連鎖・スパイラル(螺旋)がここでも始まったのである。テロと呼ばれる行為をする人たちは、弱者で ある。彼らが命をかけて行う行為には、彼らなりの理由がある。
予測された通りに、昨日イスラマバードなど3か所で政府機関などに対する、自爆攻撃があった。40人ほどの死者が出ている。これに対しておそらく「テロを許さない」とする、論理で又武力制圧を政府が行うことになると思われる。
攻撃する方も攻撃を受ける方も、底辺の人間である。弱者が弱者を攻撃することになる。テロが起きる素地を検証することが先である。説得ということではなく、テロにはまず暴力制圧とする構図ばかりでは、暴力のスパイラルに陥ることになる。
暴力は、うっぷんを晴らすにはもってこいの方法ではあるが、問題解決にはつながらない。暴力の連鎖・スパイラルになり永久に問題の解決にはならない。イラクがいい例である。9.11のアメリカはうっぷんを晴らすにはもってこいだったが、それも一時のことである。
ブッシュが、勝利宣言してからの方が比較にならないほど、戦争が長引き被害は甚大である。昨日も、アル・カ イダの指導者ビンラディンが40分にもわたり殉教者を称えるビデオ映像が確認されている。
暴力は、暴力によって解決されることはなく、新たな暴力を生むことを私たちは、歴史から学んでいる。その教訓は、我が国の平和憲法の前文と9条に明記されている。これを邪魔だと思う人たちは、ムシャラフ同様に大国の暴力論に与するものである。