アフガニスタンで韓国の、キリスト系のボランティア23人が人質になった。息を吹き返しつつあるアメリカに追い出されてタリバン政権の残党の行為である。人質釈放の条件に、韓国軍のアフガニスタンからの撤退を要求している。 出発前のおどけた彼らの写真を見ると、戦争に対するリアル感がなく、宗教的な慈善行為の感覚であったような気がしてならない。アフガニスタンは、もとよりほぼ純粋なイスラム国家である。彼らの持つ一方的な憐れみ 姿勢の臭いを感じる。 政権末期で、支持率が日本の安倍ボンの半分以下のノムヒョン政権には救済の有効な手立てはない。今年中に撤退すると言っても受け付ける様子もない。 これは国家とは何か、テロとは何かを再度考えさせられる事件である。誘拐事件そのものは非常に卑劣な行為ではあるが、それでは圧倒的な武力行為でタリバン政権を倒した、アメリカの行為を問い返したくなる。アメリカの空爆で、死亡した一般国民はどれほどいたかは、正確な数字もなく公表もされてもいないが、数万になるものと推測される。 もし誘拐したタリバンと称される人たちの中に、最愛の家族をアメリカ軍などのよって殺害された人がいたなら、単純に彼らの暴力行為を否定できない。その確率は決して低くはない。 結果的に「テロ」と呼ばれる行為は、暴力行為への報復であることが少なからずある。テロは弱者の行為である。国家がテロを厳しく糾弾することは当然のことであるが、テロ行為の原因まで踏み込んだ論調はほとんどない。 暴力行為に武力で鎮圧するなら、暴力の連鎖が果てしなく起きることになる。暴力の連鎖は弱者がたちきるとは出来ない。日本の憲法は、そうした教訓からその時の勝者からの提案で作成されたものである。
羅臼港
春誓い羅臼港