30年ほど前、「日中友好協会」に所属していた。国交回復直後の中国にも行った。大変な歓迎をあちこちで受けた経験が、今となっては空しい気がするのはなぜだろう。
四人組が追放されて、中国がやっと安定し始めた時でもある。日本などの、非東欧圏との交流が欲しかったのは、経済的に破たんしていたからであった。この時期、中国側が盛んに口にした言葉は「一衣滞水」であった。
現在、ネット検索してほとんど見られない「一衣滞水」は、隣国関係を強調する言葉であった。胡錦濤の口からは、同じ内容の表現はあっても「一衣滞水」という言葉はついぞ出なかった。
胡錦濤の訪日は、時代の流れを大きく感じる内容であった。「人民網日本語版」の中国側の発 表を見ても、総論に終始する内容である。
歴史問題は、歴史を直視し未来へ向かう精神で修理し・・・に止めている。
双方の相違点は、対話や協議を通じて処理するよう堅持する・・・とある。
中日間の経済・貿易関係を量から質に…物質的基礎を固める・・とし。
各分野で協力体制を構築…青少年の相互理解と友情をを育み・・平和メカニズムの構築・・ともに世界的課題に対処する。・・ヨクワカラン。
今回課題とされていた、ギョウーザもチベットも東シナ海油田も見えてこない。総論とパンダとピンポンに埋没した感がある。
韓国メディアが、歴史問題を封印したことに不快感を露わにしているのも、気になるところである。世界各国のメディアの取り上げも極めて低い。
いずれにしても、日中関係は新しい時代に入ったようである。より抽象的表現の「一衣滞水」の時代の方が、内容があったように思える。なぜだろう。