自民党の伊吹幹事長が、次の選挙で民主党が政権を取れなかった場合は、民主党は割れるだろうと発言した。この種の今年にも行われるであろう、衆議院選挙の結果についての発言は、思惑を込めてゲリラ的にあちこちで見られる。
日本の自民党と民主党は、アメリカの共和党と民主党ほどの違いがないとされている。民主党内にも自民党よりも右寄りの連中がいるし、自民党内にも民主党よりもリベラルな反政権的な発言をする連中がいる。
こうした交叉している連中は、次の選挙結果ではかなりの部分が烏合集散すると噂されている。伊吹幹事長の発言も、言葉と裏腹に「自民党が足りなくなったら来ないか」と呼びかけているようにも取れる。
衆参ねじれに手を焼いた自民党の苛立ちがおかしい。提案したことはロクな論議せずとも可決されることしか経験していない与党の連中が、政界再編をなりふり構わずやろうとしているのである。
衆参のねじれから、さまざまなことが明らかになっている。年金にしろ、いい加減な道路工事や暫定税率の問題にしろ、ねじれ現象が掘り起こしたものだといえる。ねじれは国民の利益になる。
「選挙結果によっては、政界再編もある」このフレーズは、表現そのものが矛盾する。
政界再編を行ってから、国民に”信”を問うのが民主主義の本質ではないか。”信”を問うてからその結果で自分勝手なことをするのは、民主主義とは無縁のことである。
当選した連中が、政策論議は放り投げたままで、自己保全に走る現象がこの「政界再編」の本質である。これほど国民をばかにしたことはない。
しかしながら、政界再編は現実のものになりつつあるようである。この国に民主体制も理性もないのだろうか。