先日、別海9条の会で身内の戦争遺品を持ちよった。ことの起こりは、会員の方のお父様が亡くなられて、遺品を整理していると軍人手帳が見つかりました。極めて保存が良く、大事に保存 されていたのが解ります。会で以前満洲から沖縄に行って、沖縄戦を戦われて生き残った方に、お話をしていただきました。その方の話は、紙芝居にしてあちこちで披露しています。
その方と同じ分隊から満洲へ行かれていたのが、手帖から解りました。そこで軍人手帳を見せたところ、驚き大変感激してもらえました。会員の方は通常だと、捨ててしまったかもしれない遺品を、9条の会に入っているからと世話人会に持ってきてもらったのです。会の存在意義もこうしたところにあるのかと実感したところです。
会に3歳の時に出征した兄さんの遺品を持ってこられた方がいて、これが大量の手紙と日章旗への寄せ書きがあったのです。近所の方々が思いのまま書き込まれていました。兄さんは22歳で出征して、中支(現在の中国の中ほど)で戦死されました。出征からちょうど12か月の、昭和16年12月6日、日米開戦の日でした。この間兄さんは、父や母それに弟や妹に大量の手紙を書いています。家族のことばかり案じています。戦局などについては全く触れていませんでした。何処にいるのかも解りません。
当時は長男と言えば後継ぎです。家を何よりも大切にする時代の長男は、今とは比較にならないほどの存在です。良心の悲しみはいかばかりであったことでしょう。全国でこのような悲劇が無数にあったことでしょう。
驚いたのは、友人から父に来た手紙でした。戦死おめでとう書かれてあったのです。兄さんの霊前にこの手紙を捧げてくださいと結んでいました。兄の死を友人がおめでとうと言わなければならない時代だったと、溜息ついた次第でした。寄せ書きには、幼い妹たちの言葉や、生きて帰れとはいえない女性たちの苦しげな文言が並んでいました。日の丸のすぐ下には血痕がありました。
今、北朝鮮などの乱暴な動きに、武力の増強を唱える人たちが少なくありません。戦争を有事と言い変え、相互理解を安全保障とすり替えてしまう欺瞞に満ちています。戦争は人殺しです。時が経れば、こうした人々の感情を引き裂いた戦争をまた考える人たちが出ることも、恐ろしいことです。時が経ると戦争が風化してしまうます。そのためにもこうした作業を絶え間なくやって行こうと思っています。