「典型的な無駄な公共事業である」と、諫早湾干拓事業を批判したのは、野党時代の菅直人である。ギロチンで区切られてから13年余り経った。漁業被害を現実に起きている。貝類の収穫は半減以下になり、養殖ノリも同様である。赤潮の発生も国の予測を大きく上回っている。海水の酸素濃度が極端に少ないと言われている。
福岡高裁は一審の長崎地裁の判決を支持して、5年間は常時開門をやって調査するよう命令を出した。当然のことである。しかしながら、これほどまでに干潟をなくしたりして環境を壊した現実がある。元のは戻るはずはない。農家が塩害を案じるのも当然である。水を浄化し鳥など大量の生物を抱える干潟を、不要で何の作用もないとする発想による、事業そのものが間違いなのである。
こうした事業を数限りなく見てきたが、土木振興のための数字合わせを官庁がやり、それに現実の事業量をあてはめる作業が行われている。結果が伴わないのは当然である。この事業は防災と農地の確保が目的とされる。農家は現在20戸である。事業料2533億円で除すると、一戸当たり130億円にもなる。驚異の農地獲得の補助事業である。費用対効果という言葉は好きではないが、年収が1億円であっても130年もかかってペイすることになる。
国は農業者を次々と都会に送りこんできた。減反によって、コメの作付を減らしてきた。そうして現実があるにも拘らず、農地を確保するという発想が間違っている。現状の農家を保護するべきであったのであるが、新しい農地を何のために作るのか全く分からなかった。防災という側面も、干潟を保護することの方がよっぽど現実的であったのである。
日本の公共事業は、メリットばかりを強調する。事業を行う理由を作文でも良いから作るのである。その一方で、デメリットについてはほとんど検討されることがない。土木業者が政治的に動いて、ありもしない事業計画を作成するのである。根室管内の標津川の、河川改修も昭和28年ごろの木造の橋が流される写真を何度も使用する。国民をバカにしているとしか思えない。
開門しても赤潮はなくならないかも知れないし、干潟を埋めてしまったので水質の回復も期待できるとは思えない。この異様な構造物を、人間の愚かな所業の結果と永劫にわたって残せばいい。今この構造物の意味はそうしたことでしか存在しない。
民主党政権は、もぞもぞ発言するのではなく、控訴などやめて首相が野党時代に言ったことを、今度は実行することを望むものである。