放射能汚染の拡散のモニタリング結果が発表された。かなり早い時期から、拡散予想は検討されていた。SPEED問わっるれる拡散予測は、原発事故当初からすでに検討されていた。(クリックすると大きくなります)
海外のメディアや研究者たちの汚染拡大予測は、海洋無含めかなり公表されていた。日本が公表しなかったのは、混乱を避けるためだと説明されている。事実よりも、混乱を避ける姿勢は、責任拡散と建て前重視の官僚そのものである。
小佐古内閣参与が辞任の中で、このことの公表がされていないことも指摘していた。
ところでこの図を見ると、同心円状に避難地域を特定することの無意味さが解る。陸上の拡散は風や雨で運ばれたりして、天候はもちろんのこと地形と大きく係わる。
殆ど原発の交付金の恩恵にあずからない、飯館村がこの図の先端にある。まるで飯館村を狙うかのように、セシュウムの拡散が起きている。この村は30キロ圏外である。
飯館村の11戸の酪農家は、牛を手放す決定をした。決定と言うよりも、選択の余地がなかったと言うのが正解である。口蹄疫なら、処分後の再開に向けて決意もあるかもしれない。苦しくとも先が見えた。
彼らの処分は、何の法的な根拠もなく何処からか要請があってわけでもない。酪農経営の実態を知らなければ、牛を処分するなど一般の人には理解できないであろう。
毎日の搾乳と餌やりは、乳牛に欠かすことが出来ない仕事である。それも、牛乳を販売してこそ酪農家の生きがいがるというものである。売れない牛乳を搾るので、減らせばいいのであろうが、乳量の調整もままならない。何よりも、酪農家の意欲がそがれたままで営農など不可能であろう。
乳牛を手放した酪農家の、「我々が何をしたわけでもない。ただ原発が今は憎い」と言う言葉を、原発推進した者は心に留めるべきである。