今回の東北震災は多くの日本人に、自分も何かの支援をやりたい、やらなければならない衝動に駆られた。震災地では、無数の悲劇が起きていた。
更に若者やシニアーのボランティアが、現地で活躍していた。被災者を支える多くの人々の活動は、「絆」という言葉で表現され、昨年の一文字で表す言葉として採用されもした。そのことは、高く評価したい。
しかし、時間が経つにつれて、この言葉と全く違う方向に日本が歩み始めていることに気付かされる。この言葉で言い表されるほど、人々が支えあうことが行われているなら、あるいは絆を持ちあえるなら、TPPという無法な強者の論理を掲げる体制は、あってはならないことである。
強者が生き残るための無関税システムが、TPPである。あるいは、圧倒的多数の弱者が食われる制度が、TPPなる無関税システムである。あるいは、生産効率や消費効率が良い都会が生き残り地方が衰退するシステムが、TPPである。要するにより一層の格差社会の実現である。
それは究極の新自由主義であり、強者が圧倒的に有利に働くシステムでもある。弱者にも均等に機会が与えられてると言われるが、圧倒的多数が弱者にならなければ、強者は存在することが出来ない。TPPはそうしたシステムである。
この国の為政者が推進しようとする無関税システムは、みんなで支えあい、絆を確かめ合うシステムに相反するものである。
震災が一段落して、「絆」という言葉は今や強者の隠れ蓑になりつつある。保険による焼け太りに似た、震災太りの大儲けするような業者が出てきている。仙台では、高級腕時計や宝飾類が飛ぶように売れているというのである。
報道番組に限らず、ほとんどあらゆる番組で震災を支える、絆を売り物にしたような表現が見受けられる。現実には視聴率を傍らに置いた、私利的な思惑に彩られたものであるが、そのことはひた隠す。
お金儲けにつながる体制が、社会の隅々で脈々と進行している。お客には慇懃に接し、収益を上げていないかのように装う周到さも、見逃してはならない。
それほど「絆」が求められるなら、社会的弱者や地方や農業をもっと支えるべきである。そんなことをすれば、営利目的の社会体制は崩壊するから、単なる言葉遊びで終わり、数年経てば「絆」などという言葉はすっかり忘れ去られるであろう。