そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

公共事業という名の災害

2012-02-20 | 政治と金

読売系の局で、日曜の深夜(実際は月曜の早朝というか1時過ぎの放送である)されるNNNドキュメントという番組がある。地方の局が作ることが多く、地道で優れた番組が少なくない。ビデオに撮って見ることが多い。

昨日は、八ッ場ダムを追ったものであった。地道に住民の視点で作られていた。番組の題は「長すぎる翻弄」というものであり、副題として「ふるさとは壊され続けた」というものだった。番組作り手の意志が見える。

1947年のカスリーン台風を受けての、ダム建設であった。すでに50年も経過している。これほど山奥の水量を、いくら止めても水害とは無縁なのは誰でも容易に推察がつく。やがてダム建設は、都会の水ガメへと目的が変更され、計画はお金と次々と増やし継続された。

降って湧いたダム建設に、小さな湯の町は大きく揺れた。反対者は、次第に国の政治の力と金で、その力を削がれてきた。いずれ沈む町として、道路などのインフラの補修はされなくなった。

やがて、自分たちの未来はダムに託すしかなく多くの人が賛成に転じた。しかし代替地の土地代は高く、補償金で賄えず離村者が目立つようになった。

そこに、民主党政権ができダム建設の中止を打ち出した。無用な、土建屋の雇用対策であり自然環境破壊のダム建設中止は当然である。当ブログでも大いに評価したものである。

しかし、一年半経つと民主党も怪しくなってきた。地元民の声が正しい。「政治家がいかに無力であるか知った。同時にお役人の力がいかに強いかも知った」という言葉にすべてがある。

もともと進めていた自民党は反対するわけもなく、結局は計画通りにダムは建設されることになった。地元土建屋たちと雇用が保たれる首長たちが、元建設官僚の大臣の宣言を歓迎した。

国に翻弄され続けた地元の人たちは、すでに7割が離村している。最後に語った、住民の声が耳に残る。

「公共事業という名の、災害に見舞われたのだ」と。

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