菅原文太が亡くなった。私は若いころのヤクザ映画も、トラック野郎の映画も見たことない。
ただ、一人息子さんをなくされた辺りだろうか、農業への関心と戦争のしない国へのメッセージを流し続けていた。
沖縄知事選挙では、翁長さんへの応援に来られたが、これが大衆の前に出た最後だろうか。その時の決め台詞が「仲井真さん、弾はまだ残っているがよ」である。苦しそうなとぎれとぎれの応援演説であったが、万雷の拍手を受けていた。
文太さんは、辺野古基地建設反対にも何度も足を運び、積極的に支援されていた。普天間移転でないことが良い。
ここ十数年は、俳優の仕事も減らし戦争のしない国と農業、しかも有機農業の普及に力を入れていた。言葉だけではなく、山梨で有機農業を行う農業法人を立ち上げて活動されていた。一人息子さんを、交通事故で亡くされた心痛も大きい。
政治には素人なので、名古屋の市長選挙などでは利用されていた面もあるが、仙台出身であることもあって、震災の地には何度も足を運んで、住民を励まされていた。原発は反対を通り抜けて、あってはならないものであると断じている。そこまでは文明を発展させなくてもいいのではないかという発言が心に残る。
原発以上に警鐘を鳴らしていたのが、一連の安倍政権の取り組んだことである。
「安倍政権は内閣法制局長官を交代させてまでして集団的自衛権の解釈の見直しをはかり、憲法を改定して自衛隊を国防軍にしようとしています。平和憲法によって国民の生命を守ってきた日本はいま、道を誤るかどうかの瀬戸際にあるのです。真珠湾攻撃に猛進したころと大差ありません。」
と正確な分析をしています。
以下は、奥さん文子の関係機関へ配信したの文章の後半である。
「『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」
との文章に心打たれる。故人の冥福を祈りたい。合掌
ただ、一人息子さんをなくされた辺りだろうか、農業への関心と戦争のしない国へのメッセージを流し続けていた。
沖縄知事選挙では、翁長さんへの応援に来られたが、これが大衆の前に出た最後だろうか。その時の決め台詞が「仲井真さん、弾はまだ残っているがよ」である。苦しそうなとぎれとぎれの応援演説であったが、万雷の拍手を受けていた。
文太さんは、辺野古基地建設反対にも何度も足を運び、積極的に支援されていた。普天間移転でないことが良い。
ここ十数年は、俳優の仕事も減らし戦争のしない国と農業、しかも有機農業の普及に力を入れていた。言葉だけではなく、山梨で有機農業を行う農業法人を立ち上げて活動されていた。一人息子さんを、交通事故で亡くされた心痛も大きい。
政治には素人なので、名古屋の市長選挙などでは利用されていた面もあるが、仙台出身であることもあって、震災の地には何度も足を運んで、住民を励まされていた。原発は反対を通り抜けて、あってはならないものであると断じている。そこまでは文明を発展させなくてもいいのではないかという発言が心に残る。
原発以上に警鐘を鳴らしていたのが、一連の安倍政権の取り組んだことである。
「安倍政権は内閣法制局長官を交代させてまでして集団的自衛権の解釈の見直しをはかり、憲法を改定して自衛隊を国防軍にしようとしています。平和憲法によって国民の生命を守ってきた日本はいま、道を誤るかどうかの瀬戸際にあるのです。真珠湾攻撃に猛進したころと大差ありません。」
と正確な分析をしています。
以下は、奥さん文子の関係機関へ配信したの文章の後半である。
「『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」
との文章に心打たれる。故人の冥福を祈りたい。合掌