そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

ドキュメント”「シカとスズ」勝者なき原発の町”を見て

2014-12-23 | 原発と再生可能エネルギー
深夜に放送される、日本テレビ系列のNNNドキュメント14であるが、今週は金沢テレビ制作の”「シカとスズ」勝者なき原発の町”であった。シカは志賀(シカ)町、スズとは珠洲(スズ)市のことである。能登半島先端の二つの町が、原発に揺れたほぼ30年を追ったものである。いずれも、高齢化と過疎の進む零細な一次産業の町である。

スズ(珠洲)に原発の話が来たのは1970年台である。町は過疎対策、企業誘致に積極的な賛成派と、海や山を汚すなとする反対が二真っ二つに分かれた。監視小屋を作ったり感情的にもなり、親戚でも絶縁したり墓を移すなど、決定的な対立構造を作った。
ところがである、関西電力は28年後の2003年に何の前触れもなく、建設の凍結を発表した。賛成派は喜び、反対派は悲しむというものではなかった。どちらも虚脱状態となり、残ったのは深い溝だけであった。今でもこの構造は消えることない。
一体、スズにとって原発はなんだったのか?

一方シカ(志賀)は誘致に成功し、2基の原発が建設された。この間にシカには交付金220億円、交付に関する固定資産が550億円も降りている。町は大いに潤っている・・・筈である。
2007年に事故の隠ぺいが発覚した。8年前の1999年に国内では初めての臨界事故が起きていたのである。8年もの間、深刻な事故の隠ぺいは、発覚してもその後うやむやに終わっている。
2011年に福島原発事故が起きて、稼働が見直され2基とも停止状態であるが、1号基の直下に活断層が見つかったのである。どうして建設の時に解らなかったのか、シカの人たちは首をかしげる。
13か月毎に行われる点検に、1500人もの人が三か月滞在し町は潤う。
稼働停止で、シカは原発稼働による交付金が入ってこなくなった。

原発を誘致した町と来なかった町のどちらにも虚脱感が残る。スズの反対派だった僧侶が、「原発は何処からか降ってきた。自分の力で思考しものを生み出さずに、思考力を失った」と言ったのが印象的である。

先ごろ「日本創生会議」が地方の消滅してもおかしくない自治体が、2040年までに896にもなると発表した。その中で、原発の所有自治体の7割もその中に入っている。
原発は金を持ってきただけである。そのための思考停止が地方が自らの本来の姿を消し去っているのである。これは何も原発に限ったことではない。
地方にはれっきとした、本来なれればならない風土に生かされた産業があるはずである。あったはずである。多くは農業であるが、巨大な事業がそれらを破壊し思考停止に陥れるのである。田舎には迷惑事業ばかりが来る。なんかの廃棄物処理場だったり、軍事施設だったり、汚水処理施設だったりするものばかりである。
一時のお金に翻弄されずにいるほど、地方は強くはない。地方創生を国が金で指導することなどできはしないのである。
コメント (3)
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