
もうすぐアメリカ資本が入ってくると思って、今年2月にキューバを訪問した。各所にチェ・ゲバラとカミーロ・シエンフェスゴの肖像などは数限りなく見たが、フィデロ・カストロの物は皆無だった。キューバ革命成功の後、カストロとゲバラは対立した。現実主義者のカストロはキューバの経済的社会的安定を求めたが、ゲバラは強く反対した。ゲバラを大蔵大臣に据えたが、世界革命を優先するとして南米のゲリラ戦に旅立った。ゲバラはボリビアで殺害されたが、それがために、カストロは英雄としてゲバラをキューバに定着させた。
ゲバラの肖像はいたるところで見ることができる。本もたくさん発刊されていた。上の写真はキューバで購入した写真集の一部である。二人とも美男子だったことも国民は歓迎した。
カストロは革命の同志を革命後も丁重に扱った。ロシアや中国やその他の全ての社会主義国だった国家の指導者は、革命後は権力闘争に明け暮れ同志の殺戮を繰り返していたが、カストロとほー・チンミンの二人は明らかに異なっている。
カストロの死を日本の報道は、キューバ革命の指導者として扱う一方で、独裁者とも述べている。因みにトランプも独裁者が死んだと述べている。カストロは日本の広島長崎を訪れて、核兵器の廃絶を訴えていた。ゲバラも広島を訪れている。カストロは、この夏訪れた安倍晋三が核武装義者で、核兵器廃絶反対の立場とは知らずに握手している。
20世紀に入ってから、中南米の国家のすべてはアメリカが金に物言わせるか暴力的に作った政権ばかりである。例外はない。最もアメリカに近いキューバでの革命は相当な困難を伴った。幾度のも及ぶアメリカの政権転覆計画にも打ち勝っている。アメリカの圧力を跳ね返すにはソビエトの援助が不可欠であった。独裁者と呼ぶのはかつてのキューバの資本家や権力者たちである。
賃金に格差がなく医療施設の普及と教育施設の普及は南北アメリカで最も進んでいる。かなりの田舎でも、歩道などに段差がないところが設けられていたり、車いすの人が不自由しないように思われた。医療と教育は無料である。国民の80%が国家公務員である。格差のないことへの不満と、多くの点で近代化が遅れている。インターネットもできなかった。日本の車を全く見なかった珍しい国でもあった。経済封鎖のおかげで化学肥料がなく、ハバナは世界最大の有機作物の出回っている都市となっている。
外貨の獲得のためにこれから、アメリカとの交易が進むことになるだろう。しかし、カストロの敷いた社会主義路線はその財産を、資本の論理でどこまで崩されるか不安である。世界の20世紀の最後の英雄が亡くなった。時代は大きく転換する。
