そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

農協が持つ地方の金融市場参入へが目的の、農協改革

2016-11-25 | 格差社会
規制改革推進会議農業ワーキンググループは、①全農の農産物委託販売の廃止と全量買い取り販売への転換、②全農の購買事業を転換しメーカー関連事業に譲渡・販売、③信用事業を含むJAを3年後をめどに半減、④クミカン(組合勘定)の廃止、を柱にする提言をした。
これだけでは一般の方は解り難いであろうが、戦後の長い期間にわたって農業協同組合が地域でほとんどの分野にわたって担ってきた、経済行為を廃止するというものである。
農家は個別で交渉して生産物を販売することができない。農協がその仕事を担ってきた経緯がある。消費者にとってはそれが、価格の引き上げになるという側面はあるが、食料を安定的に供給できる基盤であったことも事実である。そのための機材の購入であり、金融の事業の展開であった。戦後の日本は2,3次産業への転換を進め、更には商工業に加えて輸出産業重視と政策を進めてきた。
それを人的に担ってきたのが農村である。一昔前までは、都会の人たちには必ず古里があったが、今はそれすらない。地方は都会へ人間と富を送り出してきた。地方が困窮する中それを支えてきた、地方の総合商社と化したの農協という存在があった。
しかし、こともあろうか農協は日本の農業を疲弊させてきた自民党農政を支え続けてきた。農村は票田と呼ばれ、数限りない国会議員を国会に送り続けてきた。農民には、1961年の農業基本法が農民に都会並みの収入を支えると説明しながら、結果的には農村に無数の土木事業を展開させ、食糧生産をコメに特化した政策が、農民と農村そして食糧生産の形を歪める結果になったのである。今日の過疎化の元凶をも造り出してきた。
農協には相互扶助という大きな理念があったはずであるが、それは今はほとんどの農協がこの理念を失なっている。とりわけ府県の農協は、府県単位の合併を終えて巨大化し、生産事業を軽んじて組織の生き残りを最優先する、金融機関と化してしまっている。これが新自由主義を抱える自民党が、気に入らないのである。

農家は個別交渉をできない。農協が資材の購入や生産物の販売を担ってきたのは当然である。農業のことも農協のことも地域のことも何も知らない、小泉進次郎などは自己改革を促すと言っている。これは消費者価格だけで農産物を判断する結果になっている。彼の言動には、農業が任ってきた食糧生産や環境保全に関する知見や知識は、みじんも感じることができない。
農協は自己改革しなければならない。その基本は、相互扶助と食料生産である。その意味での自己改革を進めるなら大賛成であるが、今回の提言は、農協が抱える地域での金融市場などへの、海外を含めた大企業の参入のための地ならしである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港