そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

民主主義は数ではなく、平等よりも公平をが優先されるべきである

2018-05-07 | 平和憲法

報道各社の憲法記念日の集会扱いは、改憲と護憲の集会を並列したものばかりである。まるで賛否両論が同数存在するかの如くである。上の写真は、有明防災公園での集会である。憲法改悪に反対する集会である。主催者側の発表で6万人とされている。写真を見る限り水増しがあるようには見えない。
方や同じ日、安倍晋三が改憲の期は熟しているとか、いい加減なビデオメッセージを流した改憲集会が、防災会館で行われていた。報道は2000名の参加という事である。ところが会場の定員が2000名であるが、席はスカスカの状態である。どうひいき目にみても、1200名が良いところである。護憲派は殆ど手弁当である。就任以来の安倍晋三の言動が頂点に達していることを受けた、多くの人々の危機感への表れであろう。
この二つの会議を、まるで同列に扱う事が報道として、平等あるいは均一ではあろうが、公平とはとても言えない。デモも同じである。改憲派のデモの多くは、全く同じプラカードを掲げて平然と行進する。手製で思い思いのことを書いたプラカードを掲げ、多くは組織されない人たちが集まってくる。もちろん組織された人たちもいようが、かつてのような同盟などの動員は影を潜めている。
数の事もさることながら、意識をもって理解しているか、単なる思い付きなどの浅薄な考えでの行動であるかの考慮などなく、数だけが決定することになる。だから民主主義を数で断じてはならない。数は重要な要因の一つではあるが、戦争の実態も知らずに、あるいは洗脳のように一方的な押し付けのままから、何時までも脱却できずにいる人たちとを、議会は継がなければならないのである。
北朝鮮を制裁の対象としかとらえることができない狭量な考えの方が、本ブログよく投稿される。この国にも多くの無垢の人たちが住んでもいるし、彼らにも正義の言い分がある。世界では相手が悪いと批難する戦争しか起きないのである。
政治は民主党、民主主義が大好きである。日本人は民主党が好きである。”自由民主党”に”立憲民主党”に”社会民主党”と、今日発足した”国民民主党”を加えると民主党が、4つもある。北朝鮮だって、”朝鮮民主主義人民共和国”である。民主主義は、神の言葉であるのか。民主主義を標榜しながら、実態は全く逆のことをする。
民主主義とは、数などでもなく、国民一人一人が知識力を有し洞察とによって意見を交わすことこそが求められるのである。一方的な統率は、北朝鮮や中国やアラブの王国たちの国家と同じになってしまう。
日本の場合は、報道が恣意的に平等を装いながらも、公平などではないのである。
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