「戦争しなけれが、北方領土は取り返せない」と思っている若者は少なくはないだろう。今回のビザなし交流で、酒癖の悪い若い代議士が述べた言葉を、内心肯定する若者は少なくないだろう。とりわけ日本会議の会員なら当然と思っていることだろう。維新の会の除名宣言の中でも、「国会議員としてあるまじき発言」とのべて、内容の否定もでは及んではいない。発言の影響に恐れをなしたのである。
この若者の発言は、戦争体験がないというだけではなく、戦争をゲーム感覚でとらえている。戦争とは人殺しで、人権や私財などの存在も認めるものでもない。相手国に対してはない。自国民に対しても国家は人権も自由も認めない。それが戦争である。
ゲーム感覚というのは、勝つことしか考えていないからである。負けないためには相応の軍事力を持たなければならない。相手国も同じである。
軍議力による、「抑止力」とは幻影でしかない。本ブログにも幾度も同類の発言(コメント)が寄せられる。その都度十分な反論はできてはいないが、戦争で取り戻す、自国の存在をことさら際立たせようとする、”愛国者”たちの強い思いが寄せられる。
何時もそうであるが、政治家の発言は”失言”などではない。ほとんどは本音に他ならない。政治家としての立場を天秤にかけて、失言扱いにするだけである。本音を漏らすのが多いのが、麻生太郎である。この男の場合は、言い換えたり話を捻じ曲げたりと、失言扱いにして逃れることも少ない。
「戦争が終わって僕らは生まれた」という歌があるが、今や「冷戦が終わって、僕らは生まれた」という時代である。戦争を実体験しない世代が増えることは喜ばしくもあるが、ほとんどゲーム感覚で正義を振り回し愛国心を鼓舞する。勇ましい姿が国粋主義者たちの憧れなのであろう。
相手国を”敵”と断定しせん滅する対象とするのであるが、その”敵”も同じことを思っている。「国民に人権や主権があるのがおかしい」と、自民党改憲派の議員は平気で口走る。昭和一桁時代に酷似した思想の人物が徘徊する時代になった。なべて若者でありょとも恐ろしい。