そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

シンギュラリティはやってこない、人は新たな道を模索する

2019-05-06 | AI

シンギュラリティ(Singularity:特異点)とは、AI(人工知能)が人を超える地点という事である。それは2025年とされている。奇しくもその年は、ジャレット・ダイヤモンド氏が人類絶滅の時期としている年でもある。不吉な年であるが、オリンピック後に日本が経済的な崩壊をする可能性があるのもこのころであろう。
AIのこのところの進化は著しい。野村證券が2025年で人々の仕事の、45%はAIに取って代わられるだろうと予言している。SFの世界のようである。
今でも、既にAIが人類を上回っていることが沢山ある。演算能力やデーターの解析などは足元にも及ばない。碁や将棋などは現在でも互角かあるいはそれ以上となっている。
人類は職場を追われても必ず新たなものを作ってきた。例えば人力車が自動車に駆逐されても、自動車が新たな職場を創り出してきた。レコードの出現によって、歌手の仕事はなくならなかったし、録音技術の発達はむしろ新たな可能性を歌手に与えた。人類の広がりを無視したシンギュラリティ理論である。
AIが人類に変わるようなことをやっても、人類の可能性が高まり活動域を広げてきた。しかし、AIはこれまでの技術開発の到達点とは異なる可能性はある。AIが意思を持ったり、人への隷属を脱する可能性が示唆されているからである。いわばAI脅威論である。
AIは人類の道具としての可能性を広げるが、道具以上でも以下でもない。人が社会制度や経済活動の中で、何らかの恣意的な目的の手段としてAIを利用する可能性は残る。人の問題であるがシンギュラリティは起きない。

それはともかくとして、安倍政権の私的重用や不合理をやり、改ざんや隠ぺいなど繰り返しながら、だれも責任を全くとらないような現実を見ていると、政治こそAIに任せればいいだろうと思う。私欲や偏重や独善もポピュリズムもAIは克服してくれる可能性はある。
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