ロシアが侵略地のウクライナで、向こうが先に撃ってきたからと、戦闘の正当性、その後の軍事拡大の正当性を主張する。そんな馬鹿な理屈は成り立つわけがない。他人のうちに強制的に侵入して、住人が抵抗したから撃ち殺したという論理である。奢り切った暴論でしかない。
しかし、全く同じようなことを日本は過去行っている。日本が85年前の今日、7月7日盧溝橋で中国側が先に発砲したからと、自衛のため応戦しその後日本が中国に侵攻したのである。近衛文麿首相は、暴支膺懲 (ぼうしようちょう:暴れる支那を懲らしめる)と、軽い侵攻で素早く平定できると、戦線の拡大を決断した。
これを日本は支那事変と呼んでいる。戦争でないと言い張り、特別軍事行動であると言って憚らない、ウクライナ侵略をするプーチンと全く同じである。実体はその後の経過を見れば、日中戦争と呼ぶべきである。
その後は、12月の南京大虐殺事件へと続き、アメリカの忠告を無視し宣戦布告までしてしまう。終戦の術を持たぬ戦は本土空襲や原爆投下という悲惨な終結を待つことになる。
私は1978年に盧溝橋を訪れたことがある。古い石造りの橋で河原は広く、此処で実弾演習をしていたと了解した。その当時は一衣帯水の日中関係が良好で、お互いに望まない偶発事故だというような説明があった。
多くの地域で日本軍は、共産党軍・八路軍と良好な関係にあった。当時の兵士を呼んで話を聞いた事もあるが、彼らは上司からの指示でパーロ(八路)に武器を結構提供していたという。革命第一世代が消えてきたことが、現在の日中関係の悪化につながったといえる。それと国家資本主義が順調に経済を発展させた。
国民を鼓舞して戦争に踏み込んだ”暴日”は、出口戦略を何も持たなかった。プーチンのロシアも出口戦略を明確に持っていないと思われるが、ウクライナとて同じである。
このロシア・ウクライナ戦争には仲介者がいない。メルケルの引退を待っての侵攻のようにも見え、コメディアンが大統領になるのを見てのようにも思える。忠告者のいない長期政権のの悲劇である。