ジャニーズの創業者の悪行の報道がどうしても容認できない。要するにこの創業者のジャニー喜多川は、男色それも特段若くて可愛い男の子を弄ぶ性癖が、死後一層明らかになって、その広がりなどが深刻であることが分かってきた。
この事件は、1965年に週刊サンケイで暴露されている。60年も前である。ところが世はメディアがテレビ時代へと突入し、ジャニーズ事務所の抱えるタレントたちは多くの場で成果を収める。各方面で引っ張りだことなり、タレントたちは日本中を席巻することになる。
巨大化した事務所とりわけ喜多川はタレンたちの切傷与奪権を持ち、誰も背くものなどいるはずもなくなった。
巨大化した権力者として君臨する喜多川の性被害者たちは、黙することになる。60年前から幾度もの告発があるものの、報道も含めて周辺は巨大な権力となったジャニーズ事務所に忖度し、蓋をしたまま喜多川の死を待つことになる。
喜多川が死ぬことで湯水のように、被害実態が明らかになってゆく。事件の性質上、恐らくはあからさまになった数倍を越す被害があることが推察される。
しかしながら、これだけの広がりを見せても、事務所の解体や業界からの排斥や締め出しなどどこからも出ては来ない。せいぜい現社長の引責辞任程度である。まだ辞めるようではないが。
これまで業界が一体となって守り通してきたが、BBCドキュメントや国連人権委員会、それにやっと日本の国会で取り上げられるようになって、多少風向きは変わってはきた。
それでもおそらくは、この事務所は頭をすげ替える可能性はあるが、金を払って口を封じ、今後とも業界に居座り続けることになるだろう。そして結局は誰の罪も問われることもなく、時間が彼らを免罪することになろう。
この構図は、そっくり政治の場でも繰り返されてきた。あれ程騒がれた統一教会の悪行も、さらには安倍晋三の悪行や犯罪行為さえも時間が免責を与えるのを待っているかに見える。