今年北海道は開拓150年である。明治と同時に北海道は開設され、明治と同じ年限となる。北海道と名付けられた蝦夷地は先住民族がいた。アイヌ人である。狩猟民族のアイヌ人はしばしばジャモ(日本人)と諍いを起こしていたが、武力で劣るアイヌ人はしばしば日本人の奸計などで制圧させられている。もっとも有名なのが、「シャクシャインの戦い」である。多くの民族を束ねてシャモと戦ったシャクシャインは、和睦の酒宴の席で殺害されている。この他にも多くのアイヌ人の蜂起があるが、日本史ではほとんど教えることもない。
明治政府は北海道を日本に取り込み、1899年(明治32年)に「北海道旧土人保護法」を制定した。この法律の内実は、1、土地の没収 2、漁と狩猟の禁止 3、固有の風俗の禁止 4、日本語使用の強制 5、改名して戸籍の獲得 というものであって、日本への同化政策である。本法はほぼ100年後の1997年(平成9年)まで存在していた。つい最近までである。アイヌ人から言葉も名前も文化も生活圏も民族の誇りすら、日本人は奪ったのである。
アイヌの友人がいるが、幼いころから学業でも社会にでても見た目にわかる顔立ちで、差別を受け続けていた。彼らの話を聞くと、憲法に抵触する差別の連続であった。アイヌ人は、保護とは名ばかりの法律の下、みじめな暮らしを強いられてきた。
私たちは日本を単一民族として教えられてきた。大和民族はアイヌへの侵略などをしていたなどとは、教えてもらえなかった。ほぼ同時代の島原の乱は僅か100日ほどで平定されている。シャクシャインの戦いは、雌伏期間を入れると30年近くの戦いで、しかもほぼ北海道全土で天草の限定地に比べてその広がりは比ではない。日本史で扱いは全く異なっている。
日本人の異民族への意識は、アイヌ人を制圧した武士に与えられた、征夷大将軍の称号に始まると思われる。近代になって、東南アジアの中で民族としての優位性を誇示する意識もこの頃醸成されたものではないか。
<下記は、北海道新聞の記事である>
アイヌ民族らでつくる市民団体「ピリカ全国実行委員会」(事務局・札幌)は17日、道庁で記者会見し、8月5日に札幌で行われる「北海道150年記念式典」の開催に反対し、中止を求める声明を発表した。
同実行委代表代行で、旭川アイヌ協議会会長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは「アイヌ民族に対する謝罪もなく、『開拓』のもとで行われた抑圧の歴史をうやむやにしたままで150年を祝うことは納得できない」と説明した。声明は、研究機関が発掘したアイヌ民族の遺骨の返還、民族の自決権や土地権などを明記した新たな法律の制定なども求めており、7月1日に道や国などに申し入れた。
私たちは今一度日本国内の、侵略と抑圧それに続く差別意識の存在と歴史を知るべきである。ましてやそれが戦前の国粋主義、八紘一宇や大東亜共栄圏思想に直接拘るものであるなら尚更である。
アメリカ先住民らも日本人とアイヌの関係同様の扱い受けて悉く滅ぼされてしまった。二風谷の萱野茂氏の父は故郷の川で日々の糧としてそれまでと同じようにサケを取っていたら日本官憲に「密漁」として逮捕されたと記述している。その時の悔しさ悲しさはいかほどのものだっただろう。自らの土地への侵略者日本人により、こんな理不尽で酷い目に遭わされたりしたことは。
本来、北海道も沖縄も元々の住人らに返還すべきなのだ。
ネットで探されてはと思います。少し縮小してますから