秋葉原で通り魔事件があった。今までにない被害者の悲惨な事件である。全く罪もない人たちを、ただ社会の不満からの犯行に及ぶ行為は許せない。
どうも最近この種の、誰でもいいから殺したかったというような事件が多すぎる。キレやす い若者たちが大量に出現しするのは、ファーストフード化した食事情も無関係ではないと思うが、それでだけでないように思える。
福田首相は、原因の徹底究明を記者会見で発言している。官房長官にいたっては、ナイフの規制をやらねばないなどと言っている。
最近この種の事件が起きると、その多くが派遣社員かフリ-ターか自称何とかや無職ばかりである。今回のこの男も、自分の携帯ブログに会社での不満などを書きまくっていた、派遣社員である。
自らの不満の解消方法も場所もない、社会的弱者の悲鳴のように思える。競争原理一辺倒が生んだ、格差社会に排泄された人間の事件である。
大手電機会社にいた友人が、本社から外れ数年札幌支社に転勤になった。勤務を終えて 、本社に帰ってみるとワンフロアーに数人しかいなかった「派遣社員」が、半数を占めていた。10年前のことである。今ではさらに増えて7割にもなるらしい。
派遣社員は、昇給も昇進もなく労働者としての権利も行使できない立場にある。彼のところでは、派遣社員は年齢や経験に関係なく、全員が同じ給料であった。給与は友人の三分の一程度であった。
派遣社員は、一年で全く異なる会社に移される。労働者の権利を削ぐためである。50才を過ぎても、昇給がなく仕事の熟度が上がらない。それでも仕事がればいいと、しがみついているだけである。
特定の技術者たちに制限されていた派遣社員の雇用を、ほぼ全面的にあらゆる業種に開放した。その一方で、企業の税金は見事に減らし、規模が大きいほど減税の幅は大きく設定された。
所得税も、年収200万円以下を大きく増税し、1200万円以上を減税させた。大きくなると恩典があるような政策は、競争原理を煽る新自由主義の基本理念である。
こうして、日本は不況から脱したと、財界から評価されるかもしれないが、低所得層を大量に輩出することで企業の収益を上げただけである。企業さえよければ、景気を測るあらゆる指数が高くなるのである。小泉・竹中改革路線の思惑通りである。
今回の事件の原因を、ナイフの長さに閉じ込めようとする為政者の思惑を見抜かなければならない。出口をなくした格差社会の底辺層の、呻き声ととらえなければならない。