そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

格差社会の弱者の呻きである

2008-06-09 | 政治と金

秋葉原で通り魔事件があった。今までにない被害者の悲惨な事件である。全く罪もない人たちを、ただ社会の不満からの犯行に及ぶ行為は許せない。

どうも最近この種の、誰でもいいから殺したかったというような事件が多すぎる。キレやす080608 い若者たちが大量に出現しするのは、ファーストフード化した食事情も無関係ではないと思うが、それでだけでないように思える。

福田首相は、原因の徹底究明を記者会見で発言している。官房長官にいたっては、ナイフの規制をやらねばないなどと言っている。

最近この種の事件が起きると、その多くが派遣社員かフリ-ターか自称何とかや無職ばかりである。今回のこの男も、自分の携帯ブログに会社での不満などを書きまくっていた、派遣社員である。

自らの不満の解消方法も場所もない、社会的弱者の悲鳴のように思える。競争原理一辺倒が生んだ、格差社会に排泄された人間の事件である。

大手電機会社にいた友人が、本社から外れ数年札幌支社に転勤になった。勤務を終えて 、本社に帰ってみるとワンフロアーに数人しかいなかった「派遣社員」が、半数を占めていた。10年前のことである。今ではさらに増えて7割にもなるらしい。

派遣社員は、昇給も昇進もなく労働者としての権利も行使できない立場にある。彼のところで002は、派遣社員は年齢や経験に関係なく、全員が同じ給料であった。給与は友人の三分の一程度であった。

派遣社員は、一年で全く異なる会社に移される。労働者の権利を削ぐためである。50才を過ぎても、昇給がなく仕事の熟度が上がらない。それでも仕事がればいいと、しがみついているだけである。

特定の技術者たちに制限されていた派遣社員の雇用を、ほぼ全面的にあらゆる業種に開放した。その一方で、企業の税金は見事に減らし、規模が大きいほど減税の幅は大きく設定された。

所得税も、年収200万円以下を大きく増税し、1200万円以上を減税させた。大きくなると恩典があるような政策は、競争原理を煽る新自由主義の基本理念である。

こうして、日本は不況から脱したと、財界から評価されるかもしれないが、低所得層を大量に輩出することで企業の収益を上げただけである。企業さえよければ、景気を測るあらゆる指数が高くなるのである。小泉・竹中改革路線の思惑通りである。

今回の事件の原因を、ナイフの長さに閉じ込めようとする為政者の思惑を見抜かなければならない。出口をなくした格差社会の底辺層の、呻き声ととらえなければならない。

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アメリカ穀物戦略の成功

2008-06-08 | 農業と食

日本が大量の食糧を輸入し始めたのは、終戦後の飢餓に乗じたアメリカの小麦の売り込みであった。緊急輸入された人道的な支援が終わったとたん、アメリカが余剰小麦を大量に日本に売り込みはじめた。

アメリカ穀物協会の当時の担当者は、その時を振り返り思った以上に日本が購入したことを驚いていた。片方では、「米を食べると頭が悪くなる」あるいは「脚気になる」と、小麦食の大々的キャンペーンを行った。

全国にキッチンカーを走らせ、とりわけ地方での食糧改良の普及を行った。当時協力した日本の、俄か仕立てのエセ「栄養学者」たちは、料理法に始まり栄養分析を書きまくっていた。Bird_flu_hits_one_more_vietnamese_l

日本人はこうして、60年代をピークに米を食べることを次第に放棄していった。さらに、第2弾として、穀物協会が行って大成功したのが、家畜へ給与するシステムの普及である。

家畜は、本来人が食べられないものを食べて畜産物を生産するのである。家畜に穀物を給与させて、卵や牛乳さらに、鶏肉、豚肉、牛肉を生産させたのである。これは、人の小麦食への転換以上に成功した。

70年代から、日本の畜産状況は大きく変貌し始めた。それまで、100羽程度だった採卵鶏Photoの経営規模は、10年程度で100倍になった。さらに現在はその10倍程度の10万羽でも中規模といわれる現状にある。

片方では、「物価の優等生」と呼ばれる卵は、雛を供給する特定の養鶏場から間断なく送ら れ、数度のワクチンを接種し、極めて限られた檻の空間で、大量の穀物を給与されて卵を産み続ける。わずかに生産性が落ちても、廃鶏として処分される。

ここでも、アメリカの穀物を普及させるために、多くのエセ「栄養学者」が、家畜への給与法の情報を大量に垂れ流した。その栄養学者たちが、牛に普及させたものにBSEの原因となった肉骨粉がある。

豚も牛も基本的には鶏と同じである。供給側の問題だけではなく、消費者には裕福感を与えさせることで畜産品は普及してきた。

現在輸入穀物は、3000万トン近くあるが人が1000万トン食べている。無関税で輸入される畜産飼料は、2000万トン近いが、1000万トンを鶏が食べている。

日本の食糧事情が大幅に変ったのは、「キンダイカ」と称してアメリカ穀物を消費する形態を追い続けたことにある。アメリカ穀物協会の戦略的大成功が、日本の食料自給率を下げている最も大きな原因である。

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やっと認めたアイヌ民族の存在

2008-06-06 | 政治と金

衆参両院は6日の本会議で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」をそれぞれ全会一致で可決した。日本は国家として初めて、先住民族の存在を認めたことになる。

これは、国連が昨年9月の総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択を受けて、超党派の080606 議員で作る「アイヌ民族の権利や地位向上を協議する議員の会」が、根気良く根回しした結果である。

決議は、早急に突対策として、①アイヌ民族の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認める。②有識者の意見を聞きながら、アイヌ政策を推進し、総合的な施策に確立に取り組む--としている。

我々は、日本は単一国家であると教えられて育った。北海道に来て、アイヌ民族の存在を知り、歴史を知り愕然としたものである。アイヌ人から、名前や言葉など伝統文化を奪い、生命や財産や土地を奪った経緯は、何一つ教えられることはなかった。

松浦武四郎が、同化政策以前のアイヌの扱いを記述している。「成人すると(14歳ほどか)男子は飯場に売られ、女子は性の奴隷として扱われ、病気や怪我をすると居小屋に放置されて治療を受けることはなく、仲間同士で支えあうだけだった」と。

和人が行った不正義あるいは侵略行為は、これからは公の場で扱われることになるだろう。とりわけ、歴史的事実は教科書を通じて次世代に伝えられる意義は、決して小さくはない。

ほんの数年前まで「旧土人保護法」なる法律で、同化政策を行ってきた成果は極めて現実的である。彼らの多くは、アイヌ人としての誇りや自立心を削がれ、特に若者はそれほど強くは持っていない。

これからもアイヌの人たちの生き方は、大きく変わることはないと思われるが、先住民族として位置付けたことは高く評価されるべきと考える。

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バイオ燃料は人と競合すべきでない

2008-06-05 | 農業と食

食糧サミットが終わった。FAOによる緊急会議であったにも拘らず、150以上の国が集まった。世界は、真剣に食糧のことを考えている。

食料を真剣に考えている国家は、おおむね後進国である。実質世界最大の、食糧輸入国の日本のように、他国に食料を依存している国ではない。後進国は、人口の増加と穀物の世界的な高騰を、直撃されているからである。

その食糧サミットで、バイオ燃料に対する明確な態度を表示できなかった。超大国アメリカが、異論を唱えている以上、食料を燃料にすることへの警告は示すことができなかったのである。

古い中国の言い伝えである。ある国民のことを考えない為政者が、民が飢えていても一向に気001 にしせず、かわいがっている馬にせっせと穀物とを与えていた。この為政者の馬鹿な行為は「」とい文字に残されている。

今、先進国の家畜たちは高生産を強要され、大量の穀物を与えられて、肥満と闘っている。日本は、おおむね2000万トンの穀物を家畜のために輸入している。非関税である。

先進国の家畜たちが、大量の穀物を消費することが、穀物の世界価格を高位安定させるだけでなく、モラルとしても問われる時代が近い。

カロリーを落とし大きなロスが生じてでも、穀物は家畜を通すことで畜産物を生産している。ところが、これをバイオ燃料に変えて間接的にでも、車に食べさせるのはそれ以下の行為である。

バイオ燃料が、環境にやさしいからとする、一面性から語られるべきではない。家畜には、人が食べることができないものや、残さを与えて畜産物に変換させるべきである。同様にバイオ燃料も、不要になった木材や芦などから生産されるべきで、人と競合はさせるべきではない。

人よりも家畜や車に優先的に、食料を供給することがモラルとして問われなければならない。

世界の食糧危機に日本が最も貢献できることは、食料自給率を上げることである。食糧依存率を下げることが核心である。日本は目になってしまうのは、時間の問題である。

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現実に追いつけない法律

2008-06-04 | 政治と金

結婚していない日本人との間に生まれた子供たちに、日本の国籍を認めない国籍法は、憲法14条の方の下の平等の規定に反すると、最高裁判所が判断した。

国籍法の2条では、出生前に父が認知した場合は、国籍が取得できるが出生後では、認めな080604いという。何とも不可解な法律である。要するに法律が、現状を反映することができないのである。それに、認知さない場合や父親が行方不明の場合などは、国籍は取れない。

こ れによく似たことを思い起こした。いわゆる「300日規定」と言われるものである。離婚届が出された後、300日以内の出生した子供は、元の夫を親とする法律である。諸般の事情から、結局戸籍すら取得できない人たちがたくさんいる。

確かに「性の乱れ」の指摘や、「道徳的な問題」からは外れる行為であるとされるが、それは親や社会の問題であり、子供たちには何の関係もないことである。

婚姻による家庭の形成が社会秩序の規範であることは疑う余地はないが、現実問題として法からはじき出される子供たちがいる以上、救済されるべきである。

また、タレントの向井亜紀さんのように、病的な理由から自らの受精卵による妊娠を他人に依頼した場合、親子関係を日本では認めていない。法は、やっと養子ならよいと認めた。

家畜の場合は、このような建前ばかりの論議は存在しない。DNA判定で、親子関係を確認でき誰もこれに反論しない。受精卵移植も盛んにおこなわれる。

人の社会でも、犯罪などではDNAを証拠として法廷は認めている。残留孤児にも汎用されている。

こうしたことの関しては、人の社会は家畜以下でないか。つまりはこの問題は、単に法律が現状に追いつけないだけのことでないか。

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そりゃおかしいゼ、福田さん

2008-06-03 | 政治と金

世界的な食料価格高騰を受けて、ローマで国連の食糧農業機構(FAO)「食糧サミット」が開催された。このサミットは150カ国も参加する。

今年の洞爺湖サミットの議長さんだから、日本の福田総理が演説をした。日本は緊急援助としPhoto_2 て、30万トンのお米を放出するというのである。先日このブログで書いたとおり、売れもしないのに約束で仕方なく輸入した米の放出である。

そもそも、日本はこんなところに出かけて、食料のことを言える資格がるのだろうか? 食糧(おコメ)を作らなければ、金を出すなどという前代未聞の政策を延々とやっている国である。世界にこんな国がかつてあっただろうか?

町村官房長官が、ついつい見直してもいいような発言をした。農政の経過を知らない軽々な発言であるが、感覚としては全くその通りである。

しかも、日本は実質世界最大の食糧輸入国である。経済大国日本が、高い円に支えられて世界から買いあさった結果、穀物価格に端を発した食料問題である。日本をはじめとする先進国には、責任の一端などでなく、相当の部分があるはずである。

Photoそれを何を今更、高騰した穀物について語る資格があるというのだろうか。日本で、食料のことを真剣に話す資格があるのは、減反政策に苦しみながらも、ひたすら主食の米を作り続けた農民にしかない。

潘基文国連事務総長は「一部食糧生産国が、食料の輸出規制を行っていることがさらに、価格を押し上げる」と冒頭演説した。自国民のために、輸出制限するのは当然の行為である。食糧とはそうした意味をもつものである。

ベトナムやアルゼンチンなどの弱者を非難するのではなく、穀物を投機の対象にしているゴロツキどもや、日本のように家畜に食わせるために大量に輸入している経済大国を非難するべきである。

輸入制限を行っている国は、国民の生命を守るための行為である。食料を金儲けのために転がしたり、家畜に強制的に与え畜産物に変えるような時代ではない。ましてや、食べ物を車に食わせるような時代ではない。

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裁判員制度に反対する

2008-06-02 | 政治と金

来年5月から、裁判員制度は始まる。国民の日常感覚を裁判に生かす趣旨のようであるが、いくら読んでもこの制度の趣旨がよく解らない。

現在の裁判制度には、日常感覚、一般社会常識が存在しないことを、司法が自ら告白したことに失笑を禁じ得ない。それでは一般社会人の日常感覚で、人を裁けるのか。

法律を全く勉強したこともなく、法律の概念すらないような状態で、人を裁きその量刑まで判断することが正当な行為になるのだろうか。拒否すると罰せられるようであるが、拒否して堂々と罰せられたい。

何の法的な知識も経験もない状況で、いくら罪人といえど(罪人かどうかも判断しなければならないのであるが)、人の一生を決定する判断を公権力が、一般人に強要するのは容認できな55 い。

検察から提出された資料の真贋性を、短期間の間に一般人の日常感覚に判断させて、冤罪が起きない保障はどこにもない。検察側と弁護側に能力に大きな差がある時には、日常感覚は説明の上手い方になびく。当然のことである。

被告人から逆恨みを受けないとも限らない。被告人に面と向かって犯罪の重さを知らしめることを、何故一般人がやらなければならないのか理解に苦しむ。

弁護士一同が、ほぼこぞって賛成していることも不自然である。裁判官や検事は一般社会からかけ離れた存在である。その点弁護人は、社会の現実を見ているために、検事に対して有利に動ける判断しているのであろうか。

この制度は、どう見ても裁判制度、あるいは裁判官がが問題を抱えていて、それを一般人に押し付けようとしているとしか思えない。なら、裁判制度や裁判官の資質の問題ではないだろうか。裁判官に、一般社会常識、感覚を持たせることがもっとも重要なことである。

いずれにしても、裁判員制度は理解できない。指名されると、私は拒否するつもりでいる。、

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羅臼港

春誓い羅臼港