この4年3カ月で日本の首相は5人も代わった。4人が元首相の末裔で、3人が自ら政権を投げ出した。しかしこの間、農水大臣は代行や兼任などを含めて13回も代わった。この国で農業が軽んじられる何よりもの証左である。しかも13名の中には、農政に全くの素人が数人いる。非常識以前の無知のな発言などが少なからずある。これには戦後日本が農業を蔑ろにしてきた歴史がある。
日本農業は現在大きな転換点に立っている。戦後三度目に相当する、極めて大きな転換点である。一つ目は戦後の農地解放である。GHQが日本の何の抵抗もなくすんなり行われたのが、農地解放である。日本の食糧を支えた農民の主体は、小作農である。封建時代から続く小作農は突如として自らのの内を手にすることになった。このこと農民を開放し、自らの責任によって耕作する自由と責任を実感することになった。農民は大いに喜んだ。
60年日米安保条約締結後は、西側の国家としてアメリカに大きく依存する経済体制となった。所得倍増計画は、商工業では順調に進むことになった。農業者にも規模拡大によって所得を伸ばすために設けられたのが、61年の農業基本法である。倍々ゲームで生産が伸びることが出来るはずもない農業の規模拡大のために、構造改善事業が日本各地で行われた。
農業基本法では、都会に農民が出てくると、農村で『挙家離農』がおきる。それによって規模拡大が起きると、官僚は簡単に考えた。現実には、農地を手放さない兼業農家が大量に生産されたのである。耕作者主義の農地法は、所有することで資産価値などのメリットを農民に与えた結果である。これには、農地解放によって大量に生産された、農業だけでは生活できなかった小農の存在が背景にある。
この二度目の転換期になる、農業基本法は農地に農村に巨大な重機を投入することになり、多くの構造物を建設することになった。河川改修をして環境破壊をし、農地に農薬や化学肥料を大量に投入し、大型機械が走りまわることになった。負債に困窮する農家を傍目に、土建業者や農機具メーカーたちが大いに潤ったのである。この傾向は今でも変わらない。
基盤整備が進んだ農地は、道路が整備されるなどして格好の住宅地となり、農地転用が進む皮肉な結果になった。若干の農地は農家に転売されたが、多くは農地転用とその後の減反政策で、農地は次々と放棄されることになった。この国には一貫した農業政策がなく、減反しながらも米価を上げる、企業参入を禁止しておきながら昨年緩和するなど、農業を現場から見るのではなく、霞が関官僚の時々の思いつくまま、農業を翻弄し続けたのである。
新農業基本法も、小泉の郵政改革選挙で大量に農政通の代議士を落選させたのである。農村を基盤にする候補者の多くは、郵政改革に反対した結果である。農政通の基準はないが、与野党で70名ほどいたが、一気に一桁になってしまった。今また、何の議論もなく、TPPが提案され農村にいくら金をばら撒くかというレベルで検討されている。
農民や農業、地域や食料や環境を考える人物が政権内にいないのである。降水量が多く日照量も少なくないに日本は、農業生産に最適地でありながらも、農業を放棄する国家となったのである。農業の放棄は食糧の放棄であり環境破壊に直接つながり、地球温暖化に大きく貢献するのである。