夕刻、北海道の息子からアスパラガスが届いたので、
親ばかバージョンで、自分のココロを遊ばせます。
休みが取れなくて、滅多に顔を見ることもありません。
大リーグで野球をしている、イチローや松井選手のほうがシーズンオフにゆっくり帰国しているじゃない、と文句を言いたくなる気分です。
だから、誰にも迷惑がかからないだろう、ここに、過ぎ去った昔を思い出しての親ばかを書かせてもらいます。
絵の好きな、工作の大好きな子供でした。
3年保育の幼稚園にいきました。
年少さんの秋に描いた絵を覚えています。
運動会の絵を描きました。
練習をしていたかも知れませんが、まだ運動会未経験だった時期だったかもしれません。
八つ切り画用紙だったと思います。
赤いクレヨンで玉入れの絵が描いてありました。
赤い竹かごを目指して、何人もの赤いクレヨンで描かれた子供が、赤い玉を投げています。
そして、画用紙の裏には、
白いクレヨンで、白組の玉入れが描いてありました。白いクレヨンで描かれた子供も何人もいるのですが、白い画用紙なので、目立たないのです(笑)。
赤組は赤で、白組は白で描こう。
我が家の年少さんが精一杯考えて、幼稚園で描いていた姿を目に浮かべながら、持ち帰ったその絵を、秋の日が射す縁側で眺めたこと、覚えています。
その幼稚園は、毎年運動会前になると、園児が運動会案内のポスターを描くのです。絵、大得意の息子は張り切って、一生懸命描くのでしょう。
で、みんなに持ち帰って、そのポスターを自宅前などに貼るように、と指示が出ます。
息子は、悩みます。
「雨が降ったらどうしよう」
で、このお母さんは考えました。
「サランラップで雨対策」
今でも、こんな対策をしているご家庭があるでしょうか(笑)。
もうひとつ、幼い子のあのころのつぶやきを思い出しました。
母の日用だったか、父の日用だったか、それは覚えていません。
人の顔を描くとき、顔の中の鼻をどうかいたらいいか、困るんだー、と。
みんなは、クロい線で鼻を描くけれど、そんな線は顔にないよねー。
幼稚園児のクレヨンには、顔の陰影を描く色はありません。
「見て描こう」としたとき、「鼻をどうやって描くべきか」、幼いながらの課題を見つけたのでしょう。
世のお母さんの集音マイクと録画装置は高性能だから、幼子の一挙一同が、ココロのアルバムにファイリングされています。アハハ
絵を裏表に描いたときも、鼻を黒い線で書くのはおかしいと、迷っていたときも、大人のサジェッシヨンはしないのです。
だって、その新鮮な固有の発想こそが、幼いときでないとありえない宝物に思えたから。
あの頃は、楽しんでいたなー。懐かしい。
明日、アスパラガスいただきます。
親ばかバージョンで、自分のココロを遊ばせます。
休みが取れなくて、滅多に顔を見ることもありません。
大リーグで野球をしている、イチローや松井選手のほうがシーズンオフにゆっくり帰国しているじゃない、と文句を言いたくなる気分です。
だから、誰にも迷惑がかからないだろう、ここに、過ぎ去った昔を思い出しての親ばかを書かせてもらいます。
絵の好きな、工作の大好きな子供でした。
3年保育の幼稚園にいきました。
年少さんの秋に描いた絵を覚えています。
運動会の絵を描きました。
練習をしていたかも知れませんが、まだ運動会未経験だった時期だったかもしれません。
八つ切り画用紙だったと思います。
赤いクレヨンで玉入れの絵が描いてありました。
赤い竹かごを目指して、何人もの赤いクレヨンで描かれた子供が、赤い玉を投げています。
そして、画用紙の裏には、
白いクレヨンで、白組の玉入れが描いてありました。白いクレヨンで描かれた子供も何人もいるのですが、白い画用紙なので、目立たないのです(笑)。
赤組は赤で、白組は白で描こう。
我が家の年少さんが精一杯考えて、幼稚園で描いていた姿を目に浮かべながら、持ち帰ったその絵を、秋の日が射す縁側で眺めたこと、覚えています。
その幼稚園は、毎年運動会前になると、園児が運動会案内のポスターを描くのです。絵、大得意の息子は張り切って、一生懸命描くのでしょう。
で、みんなに持ち帰って、そのポスターを自宅前などに貼るように、と指示が出ます。
息子は、悩みます。
「雨が降ったらどうしよう」
で、このお母さんは考えました。
「サランラップで雨対策」
今でも、こんな対策をしているご家庭があるでしょうか(笑)。
もうひとつ、幼い子のあのころのつぶやきを思い出しました。
母の日用だったか、父の日用だったか、それは覚えていません。
人の顔を描くとき、顔の中の鼻をどうかいたらいいか、困るんだー、と。
みんなは、クロい線で鼻を描くけれど、そんな線は顔にないよねー。
幼稚園児のクレヨンには、顔の陰影を描く色はありません。
「見て描こう」としたとき、「鼻をどうやって描くべきか」、幼いながらの課題を見つけたのでしょう。
世のお母さんの集音マイクと録画装置は高性能だから、幼子の一挙一同が、ココロのアルバムにファイリングされています。アハハ
絵を裏表に描いたときも、鼻を黒い線で書くのはおかしいと、迷っていたときも、大人のサジェッシヨンはしないのです。
だって、その新鮮な固有の発想こそが、幼いときでないとありえない宝物に思えたから。
あの頃は、楽しんでいたなー。懐かしい。
明日、アスパラガスいただきます。